【シノプシス】第一三回 笑王邪が名画を残す ノ段

第一三回 笑王邪が名画を残す ノ段


●横暴な救い主


 笑王邪の毒にやられて人事不省に陥った欽成隆が目覚める。


「気分はどうだ? 毒ならもう抜けているはずだぜ」


 横たわる欽成隆の丹田の位置で回転していた鉄球がポンと跳び、近くに座している老人の手の内に吸い込まれるようにして戻る。


「その鉄球……もしやあなた様は戒児の……?」

「おう、オレは〈小桃鉄心〉戒児の育ての親よ」


 老人は岩窟翁と名乗った。

 場所は六花山中の森。周囲には同じように救助された大勢の悪漢たち。

 その中には飛胡と怪焔童子、二人の紅月師も含まれる。

 時はすでに夜明けが近い。


「戒児は……そして銀鱗兇娘はどうなりましたか?」

「さあな。分からねえ。だが……ま、こんなところで死ぬタマじゃねえよ。戒児も、あのお嬢もな」


 岩窟翁はこれまでの経緯を語った。

 戒児が桃仙谷を出奔してからずっと尾行していたこと。

 浪蘭に来てからは銀鱗兇娘を巡る謎を調べていたこと。

 欽成隆が戒児に〈小桃鉄心〉の二つ名を贈ったことも知っている。


「銀鱗兇娘の謎とは……?」

「門外不出の〈神煌龍経〉をどうやって持ち出せた? たかが女一人にそれができるわけがねえ。つまり手引きした者がいるってことだ。そして奪った〈神煌龍経〉を銀鱗兇娘に持たせたまま泳がせてる……何故か? 当然、天雷七星を誘き出すために違いねえ。だよなァ?」

「泳がせて……? それはつまり……」

「おうよ、こいつはたかが一人の武威浪の悪行なんかじゃねえ。ドデカい陰謀だぜ。この龍輿の運命を左右するほどのな」


 毒が抜けた悪漢たちを相手に話し始める岩窟翁。


「てめーらはこれから命の恩人であるこのオレの手足となって働いてもらうぜ。〈神煌龍経〉狙いってことは強くなりてぇんだよな? あんなもんよりオレの弟子になった方が手っ取り早いぜ」


 当然のように反抗する怪焔童子。

 岩窟翁は金棒の攻撃を易々と受け止め、怪焔童子の巨体もろとも小枝のように振り回して地面に叩き付ける。

 さらに鴛鴦鉄睾で童子の身体を麻痺させ、屈服させる。

 大喜びの飛胡。


「ジジイ。メチャクチャ強えじゃん! さすが戒児の師匠だぜ」


 有無を言わさず全員を郎党に加えると、岩窟翁は欽成隆に悪漢たちを取りまとめ、組織化して会社を興すように命じる。


「オレたちが結成するのは龍輿を守る秘密結社だが、表向きは鏢局がいい。人よりも物よりも、情報を素早く運ぶ特別な鏢局だ。イカす名前を考えておけよ」


 これが後に〈遊慈苑ゆうじえん〉としてその名を知られることになる一大公司の始まりである。



●丁泰羅と尤璃安


 渓谷で目を覚ます丁泰羅。

 自分と身体を重ね合わせているのが一糸まとわぬ姿の尤璃安だと知って驚く。

 吐剣を食らって胸に開いた風穴は大きな傷痕を残して塞がっている。


「お前……玉露峰の秘術を使ったのか」

「当然だろう。こんなところで死ぬことは許さない」


 暁光を浴びて輝く尤璃安の素肌に網膜を灼かれて恋に落ちる丁泰羅。


「ひとつ頼みがある」

「言ってみろ」

「結婚して」

「ふざけるな」


 ビンタを食らうが、まったく威力がない。

 死者を蘇らせるほどの治癒術を使った尤璃安は、もはや鉄観娘を操って戦うための力をすっかり失っていた。


「お前。神気が全然残って――」

「一〇年養った内力を失ったが、必要なことだった」

「俺なんかのために……」

「お前のためではない。天雷七星の使命を忘れたか」

「五星の兄貴だって奥さんは紅月師だ。俺は真面目に言ってる」

「なら教えてやろう。丁泰羅、お前だから断るのではない。私には感情がない……人を愛する心がないのだ。一〇年前に過去の記憶と共に失くした」


 一〇年前といえば異民族の侵攻により王都が陥落した頃。


「お前は天雷山に戻れ」

「まだ銀鱗兇娘を追うのか!? あのデカい鎧武者を動かす力もないんだろ?」


 自分がやられた時のことを思い返す丁泰羅。


「俺がやられたのは……銀鱗兇娘に気を取られている隙に背後から不意討ちを食らったからだ。あのクソ坊主め! 最初から挟み撃ちにする算段だったんだ」

「お前が相対したという銀鱗兇娘の顔は見たか?」

「いや、見てはいない。吊り橋の上で距離がこう……大蛇を纏った人影だけだ」

「そうか」

「そういうお前だって負けたんだろ」


 再びビンタを食らう。


「お前は師姐のことを何も知らない。師姐は……烈愁麗は、三日三晩飲まず食わずでも、ひとつだけ手に入った木の実を私に譲ってくれる人だ」」


 愁麗との過去を語る尤璃安。


「おびただしい数の骸が転がる戦火の中を、烈愁麗に手を引かれるまま逃げている――それが私の一番古い記憶だ。彼女は途中で出会った子供を皆助けようとしたが、生きて玉露峰まで辿り着けたのは私たちだけだった」


(感情がない……? あるじゃないか。特別に重たいのが)


「だが昔は昔、今や天下の武威浪・銀鱗兇娘だ」

「それはどうかな。お前は銀鱗兇娘についてどれほど知っている? 私は浪蘭で調査した……銀鱗兇娘の噂話を可能な限り集めた。銀鱗兇娘なる武威浪の悪行は、師姐が玉露峰を出奔するずっと以前から始まっている」

「そりゃ有名人だからな。噂にもいろいろ尾ヒレが付いて盛られてるってことだろ?」

「結論から言おう。私とお前が戦った銀鱗兇娘は……師姐ではない」

「偽物だったと!?」

「偽物どころではない。そもそも本物の銀鱗兇娘などいない」

「どういうことだ?」

「銀鱗兇娘という名の武威浪の存在自体が疑わしい。おそらく伝説上の蛇の水妖を元に創作された虚像……それがたまたま師姐と合致した」

「たまたま、だって!?」

「銀鱗兇娘に〈神煌龍経〉を奪わせ、それを囮に天雷七星を江湖に引きずり出す――これはそういう陰謀だ」

「そんなこと……誰が企てた!?」

「天雷門の切り崩しを狙い、ひいてはこの龍輿に禍を招かんとしている者……おそらくは一〇年前の戦渦も彼奴らの計画の一部――」

「そいつらの正体は!?」

「分からない。その正体不明の勢力を我々は仮に〈爛帮〉と名付けた」

「〈爛帮〉……あの坊主もその仲間というわけか」


 丁泰羅は独断専行の末に敵の罠にみずから飛び込んでしまったのだと反省する。


「天雷山に戻り、天雷七星としての使命を果たせ」

「いや……俺は戻らないぜ。第六星の丁泰羅が死んだとなれば、〈爛帮〉は図に乗って攻勢を掛けてくるだろう。そこが狙い目だ。だったら俺は死んだままの方が都合がいい」

「それでどうするつもりだ」

「それはお前が考えてくれ。お前がくれたこの命はお前のために使おう。烈愁麗を追うんだろ? だったらそれを手伝うまでだ。あの鉄環の鎧を使う技だって喜んで習得する」

「お前は愚か者だ」


 尤璃安はやれやれとため息を吐く。


「一人で行かせてもまた愚かなことをやりかねない」

「そうとも。俺から目を離すなよ?」


 同行を認められて喜ぶ丁泰羅。


(どうにかしてこいつの記憶を取り戻せないものかな。そして何より……こいつの笑顔が見たい)



●夜明け


 洞窟内。

 目覚める愁麗。

 膝の上に抱いている戒児の穏やかな呼吸を確認し安堵する。

 赤子にするように戒児の身体を抱き、額の痣にキスする。

 周囲を見回した愁麗は異状に気付く。

 洞窟内に二人を囲むように多数の蝋燭立ち並び、火を灯している。

 追っ手を警戒した愁麗は焚き火もしていない。

 洞窟内に侵入し、これを残した何者かがいる――誰が、何のために?


 愁麗自身も疲労困憊しているが、ここに留まることはできなかった。

 戒児を背負い、敵が待ち受けていることを覚悟して洞窟から外へ出る。


 途端に響き渡る哄笑。

 頭上を振り仰ぐと、樹上に姿を現す笑王邪。

 双蛇で防御の構えをとる愁麗。だが笑王邪は襲ってこない。


「ククク……銀鱗兇娘! 遂に馬脚を露したな! いや……尻尾を出したというべきか? はたまた蛇足を現したというべか」


 何言ってんだこいつ、と思いながらも面倒なので黙っている愁麗。

 相槌がなくともしゃべり続ける笑王邪。


「見事、小僧を解毒できたようだな。それは紅月師の……つまり玉露峰の月華宝典にある奥義! 経脈を繋ぎ、自らの身体を濾過器として毒素を抜く秘術だと聞いている」


「しかしその秘術を行使している間は完全なる無防備! その洞窟に籠もったからには侵入者に対する備えを用意しているのだろうと思ったが……お前は何ら対策を講じていなかったな? 小僧の治療を優先して……我が身を守ることは度外視して」


「お前はこう考えていた……小僧を救えるならば自分の命は構わない、と。悪逆非道の武威浪とは思えぬ。それは……それは……」


 言葉に詰まる笑王邪。不意に身体を折って吐血する。毒素を含んだ真っ黒な血。


「それは慈愛……そう、慈愛と呼ぶべきものだ。それとも恋情か? そうではあるまい。お前のその年頃ならば……ふむ、一〇年前の女緋羅族の侵攻で戦災孤児となり、玉露峰に拾われ紅月師に? 珍しくもない? そうだな。だがおそらく小桃鉄心も同じ身の上……お前は再び失うことを何より恐れたというわけだ」


 勝手な憶測を並べ立てる笑王邪。再び吐血。


「お前は邪悪どころではない……心の底に渦巻く嵐のような悲憤に振り回されようと、揺らがぬ慈愛と清い心がある!」


「銀鱗兇娘! そんなお前には武威浪名次第一位の悪名は相応しくない! 必ずやお前の正体を江湖に知らしめ、悪名を地に堕としてくれよう! 楽しみにしているがいい……フハハハハハハハ!」


 高笑いとともに立ち去る笑王邪。

 呆気に取られて見送る愁麗。


「とんでもねえバカで助かった……」


 笑王邪の話の内容をまったく理解せず、ひとまず助かったという事実だけで安堵する愁麗。



●龍の刻印


 岩窟翁と欽成隆の対話の続き


「さて、ここからはオレの独り言だ。いいな?」

「はい……?」

「一〇年前の女緋羅族の侵攻の際、龍輿王には二人の太子と一人の公主がいたことは誰でも知っているだろう。王と王妃は戦いの中で亡くなったが、その直前、王は生まれて間もない赤ん坊の太子を武術指南役に託して逃がしていた。そしてこいつは豆知識だが……龍輿王の一族には代々、身体のどこかに【龍の刻印】と呼ばれる特徴的な痣を持つ――」

「それは……まさか!?」


 戒児の額にある痣のことを思い出す欽成隆。

 同時に自分が龍輿の皇子に〈小桃鉄心〉の二つ名を贈るという畏れ多い真似をしていたと気付いて青ざめる。

 龍輿王に重用された武術指南役の名も承知している。

 岩窟翁は自分と戒児の素性を欽成隆に明かしたのだ。


「浪蘭で情報集めをしたが、皇太子と公主についての噂はひとつもねえ。二人の行方を捜すこともオレらの役目だぜ」



ハク八星ハッセイという男


「師姐が玉露峰を出奔した原因は……おそらく覇八星という男だ」


 尤璃安が玉露峰を留守にしている間に、酷い内傷を受けた一人の男が治療に訪れ、担当を任されたのが烈愁麗だった。


「私も詳しくは知らされていないが……風采のいい男だったという。その覇八星と師姐の間には……何かがあったようだ。覇八星は傷が癒えたら天雷門に向かうつもりだと語っていたらしい」

「俺もその名は聞いたが……兄貴たちも教えてくれないんだ。覇八星……銀鱗兇娘が〈神煌龍経〉と引き換えにしてでも会いたがっている男か――」


 疲労困憊して丁泰羅の腕の中で眠る尤璃安。

 尤璃安の全身には神気を帯びた紙で斬られた傷痕が。

 右の尻の少し上に大きな傷痕らしきものを見つけるが、それは蛇か龍の形に見える痣だった。



●天雷門・永久凍洞


 天雷山の地下空洞にある修練場。

 結跏趺坐した状態で向き合う天雷門の掌門・バン凱恩ガイオンと覇八星。


「いい加減、屈服したらどうだね? 掌門殿」


 覇八星の放つ横溢な神気に、掌門である万凱恩は必死に堪えている。


「私の正体を今さら疑うわけでもあるまい? 我が名は覇八星……この天雷門を統べる男だ」


 片肌をはだけた覇八星の右胸には、龍の形をした痣が。



●笑王邪が名画を残す


 配下の者から報せを聞いた鴒花緑は、兄の部屋に向かう。

 そこにあったのは巨大な絵画だった。

 極めて精緻かつ神々しい筆致で描かれているのは、少年を胸に抱く聖女の姿――

 その美しさに圧倒される鴒花緑。


「兄上……目の当たりにされたのですね。この世で最も美しいものを」


 少年の額には【龍の刻印】の痣があった。




               [第一三回/了]

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