懐中の思い出

@mesa-jp

一歩を踏み出したのなら

 私は、懐中時計の音が好きだ。片手でようやく持てるほど大きい懐中時計の、カチリカチリと規則的になり続ける軽やかな音を聴きながら、いつも私は昔を懐かしむ。駅のホームで、水浸しのベンチに腰掛けて電車が来るのを待っている今、この時でさえも。


 私には、恋人がいた。中学時代に付き合い始め、高校も同じ学校に通った。そして、大学も二人とも同じところを受けるはずだった。流石に学部までは被らなかったが、学力は申し分無かったので、一緒にキャンパスへ通うのを私も、彼女も楽しみにしていた。推薦が取れてひと足先に入学が決まった彼女の、浮き足だった嬉しそうな様子は、受験前のナイーブな心を和らげてくれた。

 そんな折、彼女は死んだ。

 前から病気を、それも難病に位置付けられるものを患っていたらしい。それからは、何で言ってくれなかったんだと彼女を責めている自分に気付いては、湧き上がる嫌悪感に任せて自分を傷つける日々を無造作に繰り返した。次第に嫌悪も擦り切れて、今の私に遺されたのは、途方もない無力感だけだ。


 ふと遠くを見やると、踏切の赤信号が点滅し、黄色と黒のバーが降りている。そろそろか。私は湿ったベンチから、腰を上げ、黄色い線の外側へと、歩を進める。後は、足を踏み外すだけだ。そして、電車が来た。いまだ、と思うが、足に力が入らない。やがて、電車は通り過ぎた。まばらになった雲の隙間からさす陽光が、臆病な私を嘲る様で気に入らない。こんなのだから、彼女は私に病気のことを打ち明けられなかったのだ、と聞こえるようだ。

 幸いこの駅は田舎だ。自殺を止める人も現れないだろう。思い出に浸りながら、次を待っていればいい。機能の割に重い懐中時計を握りしめ、音に耳を傾ける。

 

 この懐中時計は大学受験を控えた私へ、お守りにと、彼女がくれたものだ。虹のかかった日であった。懐中時計について、お父さんのお下がりなどと言っていたけれど、曇りのない光沢を放っているところなど、とても中古には思えないものだった。


 私は気まぐれに、懐中時計の裏側に手をかける。見ると、おもちゃについているような横にずらすタイプの電源ボタンのようなものがあり、押すと「カチリ」と、秒針の音とはまた別の、硬い音が鳴って、ガラケーみたいに後ろが開いた。すると中には、「日記」と彼女の筆跡で書かれた手帳が見つかった。パラパラと捲って見ると、表題通り、日記と思しき内容が彼女の字で綴られている。彼女が死んだ日に近づくにつれて徐々に憔悴していく様子が書かれており、改めて自分の無力を思い知らされる。そして、ページは尽きぬまま、彼女が死んだ日になった。それ以降は空白で、空白がゆえに雄弁に、彼女の死を物語る。そして、最後のページ。「遺書」と書かれたそのページには「楽しかったよ」とだけあった。

 

 その言葉。月並みだけれども切実で、突き刺すような優しさで、そして何より彼女の言葉であるそれに、私は、一歩を踏み出す勇気をもらった。


 そして、力強く空ぶった。


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