第8話 冒険に出よう

 まどかさんとの弾丸ツアーから数か月が経った。

 カフェ『ヴェロシティ』に足繁く通うようになって、初めての秋。


「聞いてくださいよ、まどかさん! よーやく箱根旅行のリベンジができたんです!」


 カフェのカウンター席。

 まどかさんに詰め寄るようにしてスマホのカメラロールを見せると、やんわりと押し戻される。


「おーおー落ち着けって、ちひろちゃん」

「私は落ち着いてますよ、もう」

「この熱量、誰に似たんだか……」


 やれやれとまどかさんが肩をすくめる。

 えっ、誰かに似てるんですか、私。

 自分じゃよく分からないなと思っていると、まどかさんが頬杖をついてアイスコーヒーをひと口すする。


「ほんで? どこ行ったんだっけ、箱根?」

「そうなんです。ほら、前に友達と行こうって言ってたのに急になくなっちゃった、アレ」

「あ~、ちひろちゃんがハムスターみたいになってた日」

「もう! だからそれは言わないでくださいって!」

「ひひっ、それでどうだったの、リベンジは」

「見てくださいよ」


 私はスマホを向ける。

 駐車場に停まったクルマ。その運転席で、はにかむ私。


「クルマ借りて、運転しちゃいました」

「レンタカー? 箱根の道は大変だったろ~」

「はい! なので、近場で練習したんですよ。ソーマくんとオサダさんにオススメの道を教えてもらって」


 常連客の二人の名前を挙げる。とはいえ、ヒートアップしがちなコンビだ。そこをシゲさんが上手いことコントロールしてくれて運転慣れのためのルートを組むことができたのだ。

 まどかさんは驚いていた。


「れ、練習? 本当にやったんだ」

「ふふ、友達を連れていける道のりを考えてたので、普通にお出かけの延長って感じですけどね。パフェとか食べたりしましたよ」


 ほら、とパフェの写真も見せる。うん。我ながら綺麗に撮れてる。


「お~、楽しんでるな~」

「楽しんでますよー。自分でハンドルを握るってこんなに刺激的で、ワクワクするんだって噛みしめてます」

「ふふ、だんだんとクルマ乗りになってきたねぇ」


 そうなんだろうか。


「クルマ乗り……」


 そう、だろうか?


「ちひろちゃん、またムズそーなこと考えてるっしょ」


 うぐ。見抜かれてる。


「私、自信がないんです。まどかさんみたいに、なにかにこだわることができる自信が」

「ほほう」

「私……」


 ぽつぽつと語る。

 甘いものが好きで、カメラが好きで、それでもまどかさんと出会った日の私はパティスリーから立ち去ったこと。

 満席だったことで吹っ切れてしまったのか、それほど思い入れが無かったからなのか。

 クルマに対してもそうなんじゃないか? と。

 静かにきいてくれたまどかさんは、困ったように頬を掻いた。


「ごめん、なにが悪いのか分からんかった……」

「えっ」

「あたしだってクルマが好きだけど、気が乗らないな~って日もあるし」

「で、でも、なんか、本気になってる人と比べたら、私なんて……」


 言葉が遮られる。


「ちひろちゃんはもう知ってるはずだよ」


 まどかさんはテーブルの上のドーナツを手に取り、穴を覗き込んで見つめてくる。


「大事なのは他の人と比べたときの熱量じゃない。たとえそれが小さなものでも、飽きちゃう時があっても……自分でハンドルを握ってること。自分で、選ぶこと」

「えらぶ……こと……」


 噛みしめるように俯く。

 脳裏にあの日の弾丸ツアーがよぎった。

 パティスリーに行ったこと、果樹園で食べたぶどうと桃、それから帰りのレストランで、自分の手でハンバーグを切り分けたこと。

 ……うん、食べてばっかりだけど、それも含めてどれも自分で選んだことだ。

 逆に、遠ざかってしまったガスタンクを思い出す。

 自分の手で選べなかったもどかしさを思い出す。

 顔を上げるとまどかさんが微笑んでいた。


「ちひろちゃんはもう知ってるよね。なにが大事か」

「……はい!」

「よしよし、ちひろちゃんなりのカーライフを楽しんでくれたまえ」

「そうします! レンタカーもそのうち卒業したいですし、そうなったら夢のマイカー……?」

「ま、まいかー!? いけない、この店でその単語を出したら……!」


 焦るまどかさん。

 へ? と思う間もなく。

 どこからともなくソーマくんとオサダさんが現れた。


「ちひろさんついにマイカー買うの!?」

「おお、ちひろちゃんがマイカーデビューかあ! なんだか感慨深いなあ……」


 二人はアイスティーのグラスをぶつけて乾杯しあう。


「ほぉら、ちひろちゃん! 沼の住人が来ちゃったじゃないの!」

「ひどいぜまどかさん、俺たちをヤバいやつみたいに」

「そうだぜまどかちゃん、俺たちは初心者がオフロードを走らなくていいようにだな……」

「ええい、散れっ、散れえ」

 まどかさんが追い立てると、二人はサササーッとテラス席へと逃げていく。

「ったく油断も隙も無いんだから……って、ちひろちゃんなに笑ってるの?」

「いやぁ、楽しいなあって」


 こだわりが人間をつくる。

 それがお父さんの口癖だった。

 今なら分かる。その言葉は、頑固になれってだけでも、なにかを強く愛せってだけでもない。

 自分の選択のひとつひとつが私という人間を作るっていうことなんだ。

 私は、私の手でハンドルを握るんだ。


「ねえ、まどかさん。今度はどこに行きましょうか!」


 道はただ広がっている。どこへ進むかは私次第だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イラスト展『HELLO,VEHICLE!』公式オリジナル小説「倉橋ちひろの憧憬」 ~私とクルマの出会い~ 宮下愚弟 @gutei_miyashita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ