第2話

 山田咲子の一日は推しのつぶやきを摂取するところから始まる。


 毎朝7時きっかりにくる通知。SNSを開くとそこには目玉焼きが双子だったとか、飼い猫の抜け毛がすごいだとか、何気ない生活が垣間見える。それはわたしのよく知る日常となんら変わりなくて、わたしたちの世界がちゃんと地続きに繋がっているんだってわかる。遠く離れていても推しの存在を身近に感じられる。今日を生き抜く力がみるみる湧いてくる。


 そして文末には決まって『いってらっしゃい』のひと言。


 一夜明け、あらためてファンへの感謝の言葉が綴られた、おそらく今生の別れになるであろうその投稿にわたしは『いってらっしゃい』とリプライを送った。胸がきゅうっと締めつけられて、熱いものが込み上げてくる。けれど悲しんでばかりもいられない。働かざる者食うべからず、人生は続いてく。


 ベッドから体を起こしたら、今朝は少しだけ壁のポスターから目を背けて足を地に着ける。そうして一歩踏み出した――。


 ガッ。


「くぁwせdrftgyふじこlp」


 ところで左足の小指を強打して、わたしはふたたびベッドの上へと舞い戻りのたうち回る。だれだ。こんなところに棺桶置いたやつは。

 

「……」


 棺桶? しかも長方形のじゃなくいわゆる吸血鬼とかが眠ってそうな、ふたつの台形の下底どうしをくっつけたみたいな形のやつ。


「……」

 

 コンコン。

 

「……」


 コン。コン。


「おーい」


 コンコン。


「入ってますかー」


 ドンドンドン。


「……」


 ドッゴドッゴ。


「いませんかー」


 ドドンガドン。カッ。カッ。


「ふぬぬぬぬぬ、かった。全然開かん」


 カパッ。

 

「えあ。もう夜?」


「おわっ。寝起きも顔いいな! 急に飛び出してくるな、心臓が止まる」

 

「まだ、明るいよお。おやすみぃ」


「待て待て、蓋を閉めようとするんじゃあない」


「んあ」


「なんでこんなもんがうちの中に鎮座してんだ」


「夜更けに運び入れましたあ。えへへ」


「かわいっ。じゃない!」

 

「だって。僕、ヴァンパイアだし」


「あー、そうか。これは夢、みんな夢なんだ。夢。夢。早く目を覚まして会社行かないと」


「あんなにも、熱い夜を過ごしたのに」


「人聞きの悪いこと言うな」


「ちゅーだってしたのに」


「あ、あんたが勝手にわたしの鼻を舐めたんでしょうが。あんなもんはちゅーとは言わん。ノーカンノーカン」


「スオミ」


「は」


「僕の名前。んふ」


「とりあえず帰ってもらっていいかな」


「昨日はここにいていいって、言ったくせに」


「あれは。その。一時の気の迷いというか――寝るな寝るな」


「お願い聞いてくれるって、言ったのに。無責任だあ」


「大人は総じて無責任なもんなの。それより、ほら。早く学校行ったほうがいいんじゃないの?」


「学校? なんで」


「なんでって。制服着てるし」


「あー。これ。よく似合ってるでしょ」


「え」


「この格好してると、みんな話聞いてくれるんだ。咲ちゃんみたいに」

 

「とっとと出てけ」

 

「締め出そうったって、そうはいかないよ。一度、招き入れ――」


「寝るなー」


 すやすやと棺桶の中で寝息を立てるヴァンパイア。天使。その神の寵愛を賜りし寝顔を目の当たりにしたら、とてもじゃないが平手打ちをお見舞いする気にはなれなかった。こんなことしてたら遅刻しそう。仕方ない、帰ってきたらとっちめてやる。ともかくわたしは重い足を引きずって、家を出た。わたし、名前言ったか?


 よくよく考えてみたら、推しの卒業の日に見ず知らずの男連れ込むとかどうなの。いや。べつにわたし、リアコじゃないけどね。アイドルに義理立てするとか全然ないけどね。意味わかんないし。大体これ、行きずりの関係ってわけでもないし。ただの親切。相手は子どもだし。


 待って待って。このご時世、見ず知らずの子ども匿うほうがよっぽどまずくないか。百歩譲ってあれがヴァンパイアだったとして、傍目には中学生、高校生くらいにしか見えないんだからこんな状況、万一だれかに知れたら。


 未成年者略取。


 通報。


『僕はそんなつもり全然なかったんですけど、おねーさんが離さないで。絶対離さないでねって。僕の体を執拗に欲してくるんです。あの日はそう、熱帯夜でした』


『キス、もしました。血が出るくらいの。彼女は天にも昇る心地がしたと、そう言っていました』

 

 ――完璧に詰んでる。あまつさえ昨夜ゆうべの一件で警察には目をつけられてるってのに。片やうだつの上がらないOL、片や人外じみた顔立ちのいたいけな少年。はたしてどちらの言い分が聞き入れられるかって話。


 うん。追い出そう。すぐにでも。


「山田さん」


 いや待てよ。だってひょっとしたら相手はヴァンパイアだよ。無理やり追い出したりなんかしたら、それこそどんな報復が待ってるかわかったもんじゃない。心臓を抉り出されたりとか、あとはなんか変な呪いとかかけられたりしたら。考えただけでもぞっとする。なにか。なにか手はないのか。


 待って待って。そういえば、ヴァンパイアってたしか苦手なものがあって――。


 日光。はうちのマンション日当たり悪いし、力づくで外に連れ出すのは無理だ。


 十字架。はアクセサリーのとかでもいいのかな。持ってないけど。それとも神の加護を受けたとか、なんかそういう正式なやつじゃなきゃダメ?


 あとは。ニンニク。そうだ、ニンニク。眠りこけてるその隙に、棺桶いっぱいにニンニクを詰め込んで。


『ひどいよ、おねーさん。僕を殺すつもりなんだね。そうなんだね。でも、それはしょうがない。僕は怪物だから、人間の気持ちを理解してあげられなかった。おねーさんが手を差し伸べてくれたとき、僕は本当に嬉しかったんだ。やさしくしてくれて、ありがとう――』


 絵がよくない。八方塞がりだ、くそう。なんか頭がボーッとしてきた。


「山田さん」

 

「はいっ」


「もらったアジェンダ、中身がタンポポになってたんだけど」


「タンポポ? タンポポなんで」


「なんでって、こっちが聞きたいわよ」


「そりゃそうだ。あはは」


「ねえ。あなた、大丈夫? 顔色は悪いし、声はガサガサ」


 言われてみれば、今日は朝からなんとなく体が怠い。今月は、まだ早いから、昨日はしゃぎすぎたせい? なんて口が裂けても言えない。

 

「はい。大丈夫です。心配おかけしてすみません」


「新卒でもあるまいし、体調管理くらいしっかりしてちょうだい」


「すみません」


「それと、その。首」


「首?」


 わたしはおずおずとスマホのインカメラで自分の首もとを見やる。


「な」


「あなたのプライベートにまで口出しするつもりはないけれど」


「これは、その。犬です。犬。最近飼い始めたんですけど、そりゃもうすんごいやんちゃで。気を許したら寝首を掻かれてしまいまして。たはは」


「そう」


 あ。これ。まったく信じてもらえてない。いや。まあ嘘なんですけどね。

 

「仲がいいのは結構だけれど、仕事に支障だけは出さないで」


「は、い」


 なんで。


 だれが。

 

 って思い当たる節はひとつしかない。一宿一飯の恩義を仇で返すとは、許すまじ。ただでさえ肩身の狭い思いをしてるっていうのに、これじゃますます居場所がなくなる。

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わたしの推し様(ヴァンパイア)!! 会多真透 @aidama

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