わたしの推し様(ヴァンパイア)!!
会多真透
第1話
『このメンバーで過ごしてきた6年間は僕にとって、本当にかけがえのないものです。きっと一生忘れることなんてできません。そしてここにいるみんなが応援してくれたから僕は、僕らはこんなにも大きな舞台に立つことができました。正直、大変なこともたくさんあったけど、みんなの声援があったから、僕らはこんなにも成長することができました。ありがとう』
「こっちこそありがとー!」
『あはは。ダメだな、泣かないって決めてたのに。言いたいこともたくさんあったのに』
「泣かないでー!」
『今日で僕は、この愛すべき場所にさよならするけど、これからもどうか、このグループを応援してください。それだけで僕らは、ずっとずっと前に進んでゆけます。今日まで本当にありがとうございました。大好きだよ」
「うわああああああ、愛してるー!」
今日、推しが卒業しました。わたしのすべてでした、生きがいでした。ていうか命懸けてました。仕事に嫌気が差しても、それでも性懲りもなく毎朝玄関出られたのは推しのお陰でした。推しの存在が血となり肉となり、生活を彩り、そして日々の癒しでした。今日、その推しが卒業しました。
つまりコンサート会場からの帰り道、すっかり腑抜けたわたしはまさしく生ける屍だったのです。
「オネーサン。オネーサン。チョトチョトヨテカナイ」
なんぞ。これは。キャッチ? パパ、いやママ活か? わたしってばそんな欲求不満に見られてるってこと? 遺憾である。
「あ。結構です。今、切らしてるんで」
「オカネナクテモダイジョブダイジョブ」
「いや性欲」
「セイヨクナクテモダイジョブダイジョブ」
「いやいや。だいじょばいないでしょ。全然。ムラムラしてないのに付いてったら、お金ムダムダになっちゃうでしょうが。ていうかついてこないで」
「オカネナクテモダイジョブダイジョブ」
「だいじょばないから。だから。ね。わたしってばしがないOL風情なの。お金ないなったら食いっぱぐれちゃうから。それに君、制服着てるじゃないの。未成年と事に及んでみなさいよ。社会的に抹殺されちまいます」
「シゴトニコロサレル?」
「貧乏暇なしってか。やかましいわ」
「デモマイニチミタサレナイデショ」
「さっきから失礼だな君は。子どもだからって言っていいことと悪いことがある」
「楽にしてあげる」
頭上に打ち上げられたお月様のよう、白い肌。山吹色の髪。真っ赤に燃える目。傷口みたく薄っぺらい唇が妖しく開いて――。
「近い近い。うわー。顔がいい! 気安く視界に入ってくるな、死人が出るぞ」
「死ぬよりずっといいことだから」
「そういうのはもっと親密になってからするもんだ」
「そうかな」
「これだから最近の若人は。いや。そうやって十把一絡げにするのはどうだ。老害かよ」
「おねーさん、すっごい僕好みの匂いするんだ」
「嗅ぐな嗅ぐな。てか、は、な、れ、ろ、よお。うぎぎぎ。力つっよ。ビクともしないんだけど」
「ちょっとちょっと。そちらのお姉さん」
「ここでまさかの新たなママ活男子、参戦!」
と思いきや振り返るとそこには、国家権力が規律を身に纏い仁王立ちしてらっしゃいました。なんてこったい。冤罪やむなし。ブタ箱もじきお目見え。
「ち、違うんですこれは。誤解なんです」
「まだなにも言ってないけど」
「甥っ子なんです。どうです、見事なもんでしょう。自慢のやつなんです」
「でもその子、外国人みたいに見えるけど」
「姉の夫がイギリス人でして」
「ふうむ。肩なんか組んじゃって、ずいぶんと仲よさげだ」
「ええ。まあ」
「それじゃねえ、甥っ子の君。えっと。言葉通じる?」
「ヘイ」
「叔母さんの名前はなんて言うのかな」
「まだおばさんて呼ばれるような歳じゃないです!」
「いや。あなた、この子の叔母なんでしょう」
「はい」
「さあ。この女性の名前を教えてくれる?」
あ。こりゃ、もうおしまいですね。わたしのまっさらな経歴に
「与謝野晶子」
「我死にたまふことなかれ」
「与謝野晶子。へえ。珍しい、もしかして同姓同名だったり?」
あれ。もしかしてこれ、いけちゃう感じ?
「与謝野晶子さん。お手数だけど身分証、拝見できます?」
ダメでした。
「いや。その。今日はあいにく持ってなくて」
「なんでも構いません。社員証でも、この際クレジットカードでも」
「もろもろ家に忘れてきちゃったんです」
「そうですか。ふうむ。これからご帰宅ですか」
「まあ」
「夜に女性のひとり歩きは危ないですから。市民の皆様の安全を守るのも警官の務め」
「いやいや、それには及びません。ここら一帯、わたしの庭のようなもんなんで。あとここからウチまで20キロはあるんで」
「いつもそんな距離を?」
「こう見えて学生時代は陸上部だったんで」
「なるほど。これはちょうどいい。最近、運動不足だったんです。お供しましょう」
なんなの。なんなの。無茶苦茶ひつこいじゃん。諦めろよ、もう。てか、だれのせいでこんなことなってると思ってんだ。おい。そこの美少年。突っ立ってないでなんとか言え。ただお喋りしてただけですって、わたしを救え。大体、わたしは車の往来がなくとも赤信号では止まる善良な市民ぞ。市民信じろや。その目は節穴かよ。
あー。なんかだんだん腹立ってきたな。
「うわああああ! だれかああ! 助けてー!」
「おい。なんのつもりだ!」
なんのつもりでしょう。ね。推しロスで情緒がぐちょぐちょになっていたせいで、それで捨て鉢になってたのかもしれません、「わはは」。
わたしは脇目も振らず駆けだしました。けれど学生気分で全力疾走なんかするもんじゃないです。気持ちだけ先走って、全然体がついてけてない。まもなくわたしは足がもつれて顔面から五体投地する羽目になる。
くそ痛いんだけど。絶対血出てる。
「おい。大丈夫か」
とうとう首根っこを掴まれるわたし。これが年貢の納め時ってやつ。観念したその矢先、わたしの体は羽が生えたみたいにふわりと宙に浮かんで、まるで風みたいに夜を切り裂いて――。
「うわ。うわー! おち、落ち、落ち、落ち」
「落ち着いて。暴れたら落っことしちゃう」
「これが落ち着いていられるか。え。なんで。飛んで。羽? あ。どうなってんの。家々の明かりがあんなに下に!」
「僕、ヴァンパイアだから」
弱り目に祟り目。泣きっ面に蜂。推しの卒業に、吸血鬼に、お姫様抱っこされるお尋ね者。
「はは。笑ける」
「だから君の血をいただく」
ちゅ。
「は」
ぴちゃぴちゃ。ぴちゃぴちゃぴちゃ。
「ごちそうさま」
月明りに照らされたその唇は、ぬらぬらと真っ赤に縁取られていた。
「あ。あ。あ。あ」
「ああ。君の血ってばやっぱり僕好みだ」
「うわあああああ」
「ちょ、落ち着い――」
「うわああああああああ!」
するりと彼の腕から滑り落ち、わたしは真っ逆さまに地上へ吸い込まれてゆく。
ああ。思えば恥の多い生涯でした。中学生の時分、アレな同人誌を親に見つかったときから、きっとわたしの人生は歯車が狂い始めてしまったのでしょう。お父さん。お母さん。先立つ不孝をお赦しくださ、「いっ」堪らず目を閉じる。
ほどなくして、この体は激しく地面に叩きつけられ――られ――られ――ない?
「間一髪」
おそるおそる目を開けてみたら、わたしの体は逆さ吊りのままピタリと宙に留まっている。
「ひ」
「へえ。おねーさん、見かけによらず際どい下着穿いてるんだね」
「はわっ。ス、スカートが! 見るな見るなよお」
「わ。暴れたらまた落っことしちゃうから」
「落ち。落ち。落ち。推し!」
「推し?」
「今日は推しに会うから。普段はこんなの、穿かないし」
「にしては不幸せな匂いしかしないね」
「よけいなお世話じゃ。ねえ。早く持ち上げて!」
「うーん。その前にいっこお願いがあって」
「お願い?」
「聞いてくれる?」
「なんでわたしが」
「でも僕が足を掴んでなかったらおねーさん、今ごろぺしゃんこだよ」
「恩着せがましいな。だれのせいだ、だれの」
「聞いてくれたらすぐにでも家まで送り届けてあげる」
彼がほんとに吸血鬼なら、わたしは眷属? にされちゃうってこと?
……まあ、いいか。推しももういないし。今日はとにかく疲れた、早くベッドで眠りたい。
「好きにしたら」
「やったあ」
ヴァンパイアかあ。ヴァンパイアになったら、やっぱ血飲むんだよね。うーん。他人の血を飲むのはちょっと、抵抗あるなあ。あー、ワインとかでもいいんだっけ。あとトマトジュース。
そうだ。ヴァンパイアって不老不死なんだっけ。永遠の命。永遠の若さ。それは、夢あるかも。うん。あ。でも身近な人間が死んでゆくのを見送り続けるのはつらいって、そういえばなんかで言ってたな。
わたし、仲のいい友だちいなかったわ。どっちみち推しももういないし。
「ていうか、いつの間にかめっちゃ流暢に喋ってんじゃん」
「わあ。ほんとだ。いつの間にか呪いが解けたみたい。これってたぶん、運命の出会いってやつ。にひひ」
不覚にも、わたしはほんのちょっとだけときめいてしまった。それは、その笑顔に推しの面影を重ねていたから?
「へたくそか」
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