猛暑の中、君と僕に広がる寒冷の雪。
せにな
アイス
燦々と降り注ぐ陽光は蝉声によってさらに猛暑となり、地面と風景を歪ませる。
川のほとりでは子どもが無邪気に遊び、近くではお酒を嗜む大人がバーベキューをする。
まるで暑さなんて感じさせないその様は、河川敷に止まるキッチンカーからはっきりと見えた。
「あちぃ……」
キッチンカーの中、扇風機に髪を靡かせる少年は、洗濯物のようにカウンターに身を乗り出して言う。
ハタッと音を立てて地面にずり落ちた赤い帽子を取るわけでもなく、角に押されシワになるエプロンを正すわけでもなく、ぐーたらと風に身を任せる。
「お兄さん!ソフトクリームひとつちょうだい!」
不意に声が聞こえ、ヌルっと身体を起こした少年は、パラソルの下で財布を持つお嬢ちゃんに目を向ける。
そして「はいよ」と声を返した少年は見本品であるカップとコーンを手に取り、
「カップかコーン、どっちがいい?」
「んーっと……」
考える素振りを見せるお嬢ちゃんは一度目を伏せ、「コーン!」と満面の笑みでピンッと立てた人差し指を目一杯伸ばす。
「コーンね。今から作るからちょっと待ってな」
「うん!」
川で泳いでいたのだろう。
湿った髪で大きく頷くお嬢ちゃんは、顔にくっつく繊細な髪を小さな手で剥がす。
そんなお嬢ちゃんに、先ほどまでのあるまじき行為とはかけ離れた笑みを浮かべる少年は、積み上げられているコーンを手に取る。
少年が営むのは夏に持って来いのアイス屋。
元々は母が経営していたアイス屋なのだが、脱水症状で倒れた母の代わりに、今日1日は息子である少年が店長代理をしているとのこと。
コーンを添えた少年は右手でソフトクリームマシーンのレバーを引き、バランスが均等になるように慎重にコーンを回す。
夏休みに入り、先輩の手伝いもあって早々に宿題を終わらせていた少年にはそれなりの時間があった。
小さい頃からソフトクリームの巻き方も教えられ、休みの日には偶に手伝いに行くほどの技術を持っている。
それが故に、母は少年にアイスを作ることを願った。
「お会計は150円だよ」
花がらの紙にコーンを突き刺した少年は、カルトンをお嬢ちゃんの顔の前へと持って行く。
さすれば、慌てて財布を開けるお嬢ちゃんは200円を取り出し、丁寧にカルトンの上に配置した。
「200円ね。それじゃあお釣りは50円っと」
ソフトクリームスタンドにコーンを乗せ、レジから50円玉を引き出す少年は満面の笑みで両手を差し出してくるお嬢ちゃんに優しく渡してやる。
そうしてお金が財布に入ったことを確認した少年は、ソフトクリームを手に取り、慎重にお嬢ちゃんに手渡した。
「ありがと!」
「いえいえ。落ちないように帰るんだよ?」
「うん!わかった!」
これまた元気よく頷くお嬢ちゃんは、ペロッと少年お前でソフトクリームを舌に乗せ、そして頬を緩ませる。
そんな動作を何度か繰り返した後、もう1度「ありがとう!」と頭を下げたお嬢ちゃんは、お母さんたちがいるであろう川の方へと歩き去って行く。
刹那、先ほど同様にグデーっと身体を溶かし始める少年。
やっぱり地面に落ちた帽子を拾うわけでもなく、シワができたエプロンを直すわけでもない少年は、ただ扇風機の風に後頭部をぶつける。
(……部活行きたかったな)
そんな冷え広がる後頭部からは、宿題を手伝ってもらった先輩が思い起こされる。
少年はただ暑くて身体を溶かしているのではなく、部活に行きたい――もとい、先輩と会えなくて意気消沈していたのだ。
母さんの願いに対して断ることもできなかった少年は、不承不承ながらも顧問に連絡を入れ、アイスクリーム屋を営んでいる。
削りたくもない先輩との時間を削って、こうしてアイスを作っているのだ。
グデーっと更に身体が溶けていくのを感じる中、そんな姿勢を正そうともせず、水の流れに任せるように身体の力を抜く少年は――
「なーにしてんの」
――突然として聞こえてくる声に、思わずピクッと肩を跳ねさせてしまう。
明るくて陽気な声。されど、どこか大人びていて、シャンプーの匂いなのか、特有の香りが少年の鼻を刺激する。
聞き馴染みのある声に対してやおらに頭を持ち上げてみれば、空間を歪ます炎天下の中、艷やかな翠髪を隠すように赤い帽子を浅く被った少女が、少年の気持ちとは裏腹のはにかみを浮かべて見つめていた。
「なんでここにいるんすか……先輩」
通学カバンを片手に持つ先輩に対し、照準を合わせることが出来ない少年は狼狽えながら言葉を返す。
さすれば、悪戯っ子のようにニヒヒと頬を釣り上げた少女はカウンターに頬杖をつく。
「会いにきちゃった」
まるで高校生カップルのような言葉を発する少女に、少年は更に狼狽せざるを得なかった。
きっと部活帰りなのだろう。されど、この道は先輩の帰宅路ではなかった。
少年の知る限りでは、少女の家からこのキッチンカーまでは学校を通り過ぎる必要があった。
その事実が故に、少女の言葉を本音と思わざるを得なかった。
「なんでまたこんな所に……」
「だって今日無断で休んだじゃん」
「ちゃんと先生に言いましたよ。母さんの手伝いをするって」
「私には連絡来てませーん」
「あっ、これ帽子ね」なんて言葉を続けて言ってくる少女は、キャップを摘んで自分の頭から少年の頭へ移動させる。
そんな少年少女たちの姿を見れば、きっと皆カップルだと思うだろう。
だが、2人は付き合っていない。
距離は近いけれど、それ以上の関係になることはなく。家にお邪魔する仲ではあれど、それ以上のことをするでもない。
近いようで遠い、2人はそんな関係なのだ。
「なんで先輩に連絡しないとけないんですか」
「そりゃ先輩だからよ。ちゃんと報連相をすること!」
「えぇ……」
少女の無茶に苦笑を浮かべる少年は、キュッと帽子を被り直す。そしてその間に尻目で先輩のことを見やり――
(やっぱり……好きだな)
――心の中だけで呟く。
「わぁー」っと扇風機に声を掛ける先輩が堪らなく可愛く、自分に会いに来てくれたことが堪らなく嬉しい。
ただ暑苦しかった空間の中、ただ退屈だった仕事が、先輩のおかげで少年から消え去っていく。
そんな少年が帽子から手を離す頃には苦笑だった表情からは微笑みが溢れ、冗談めかしに言葉を紡ぐ。
「というか来たからにはちゃんとアイス買ってくださいよ?」
「うわっ、そうやって先輩からお金取るんだ。ひっどい後輩くん」
「商売ですからね」
「私、そんな後輩くんに育てた覚えはないよ?」
「自分で学びましたからね」
ひょいひょいとカルトンを振る少年に、プクッと頬を膨らませた少女は険しい目を向ける。
されど、その目には怒りなどなく、少年の別のものを見るかのように髪を靡かせる少女は答えた。
「……分かったよ。後輩くんのおすすめでよろしく」
「了解しました」
ふいっと口を尖らせてそっぽを向く先輩がお金を乗せたことを確認し、お釣りが発生しない料金をレジにいれる。
そして先輩から視線をそらし、湿らせておいたディッシャーを手にとってショーケースを開いた。
「あ、カップかコーンどっちがいいですか?」
「どっちがおすすめ?」
「んーっと、コーンですかね」
「ならカップで」
「……聞く意味あります?」
「あるある」
首を回して苦笑する少年に、ニヒヒっと笑みを浮かべる少女はカウンターに身を乗り出す。
そんな先輩を気にもとめない少年はショーケースに顔を向け直し、慣れた手つきでチョコチップアイスを転がし始める。まるで雪だるまを作るように、丁寧に。
「ふーん……上手いじゃん」
少女自身、このアイス屋に訪れることは多々あったのだが、少年がアイスを作っているところを見たことがなかった。
いつ訪れても、アイスを作っているのは母で、息子はレジ打ち。
本人は「たまに作ってるよ」と言うのだが、実際に見たことがない少女は口を尖らせていた。
だからだろう。
ツンツンっと構ってほしそうに少年の腰を突く先輩は、それと一緒に不満げな目を向けて言ってきたのだ。
「小さい頃からしてたんでね」
「……私という存在をほったらかして?」
「なんでそうなるんですか。ほったらかしたことなんてないですよ」
相変わらず口を尖らせる少女に、顔を振り向かせることなく軽くツッコミを入れる少年。
まるでそんな姿の先輩に慣れているかのような、いつものことだと言わんばかりに。
だけど、今日は少し違うところがあった。
尖らせていた唇から、膨れっ面の頬に溜めていた空気を吹く少女はツーっと少年の背筋を指先で撫でる。
「今日……部活来なかったじゃん……」
溜めた息を吐いているはずなのに、少女の頬がしぼむことはなく、されどそれに気づくこともない少年はカップにアイスを詰める。
「それはごめんですけど……そんなに根に持ちます?」
「当たり前じゃん。……だって、君と会うことを楽しみにしてたんだから……」
「珍しいですね。先輩が冗談言うなんて。というかほら、出来ましたよ」
ショーケースの上にあるスプーンを手に取り、アイスに突き刺してやった少年は変わらず頬を膨らませる先輩の方へと振り向く。いつもと違うはずの先輩に気づくこともなく。
「冗談じゃないし」なんて言葉は蝉声によって掻き消され、少女の本音は呆気なく散った。
(……好きなのに)
そんな言葉すらも、少年を前にすれば口にすることも出来ず、刻一刻と少女の時間だけが過ぎていった。
少女がこの感情に気がついたのはつい最近。
ふとした時に少年のことを目で追い、家に上がった際は無性に心が高鳴る。
友達にその事を話してみれば恋だと言われ、最初こそ「まさか」なんて余裕ぶっていたけど、いざ少年を目の当たりにすれば恥ずかしさで口が開かなくなる。
それが故に、恋だと気づいた。
気づいてからは普通に出来ていた距離の縮め方が出来なくなり、けれど離れるのは嫌で、恥ずかしさを我慢しながらアピールをし続ける毎日。
されど、少女のアピールに気がつくこともない少年は、先輩の冗談だと言って受け流す。
けれどそんな少年に、少女は心のなかで安堵していた。
関係が崩れない。触れても良いんだ。この距離でいてもいいんだ。そんな安心感が、高揚感が、無性に少女の身を包む。
「先輩?どうしたんです?」
「え?あ、ご、ごめん……」
「いや別にいいんすけど」
慌てて表情を取り繕う少女は、差し出されたカップを両手で包み込むように受け取る。
そして姿勢はそのままで、スプーンでアイスクリームを掬い上げた少女は煮詰まった口の中に冷気を入れてやる。
「ん〜おいしぃ〜」
「それなら良かったです。作った甲斐がありました」
「ほんと?」
「ほんとです」
「……な、なら毎日作ってくれても良いんだよ?」
毎朝自分のためにお味噌汁を作ってください。そんな感覚で――まるでプロポーズであるかのように、言葉を口にした。
冗談なんかではなく、本音で。
「いつもはいないっすけど、偶にならここにいるんで来てくれたら作りますよ」
そんな言葉を聞く少女は、恥じらいを隠すようにパクっと咥えたスプーンを、ため息と一緒に抜き取った。
これが俗に言う鈍感というやつなのだろう。
だが、長い年月で、少女は少年との距離を近づけすぎていた。
恋心に気付く前も、少年をからかうために少女はアピールらしからぬ言葉を口にしていた。
それが故に、少年も先輩の言葉を信じることもなく、冗談で終わらすことしか出来なかったのだ。
「なぁ後輩くんよ」
「はいなんでしょう」
「先輩はな?毎日作ってくれと言ってるんだ」
再度言葉を変えて、なおかつ説明を入れて後輩に問いかけてみる。のだが、返ってくるのはやっぱり望んでいないもの。
「そんな『毎朝お味噌汁を作ってください』みたいに言われましても……」
(私はそう言ってるんだけどなぁ!)
なんて言葉は胸に秘め、ニコニコっと笑みを浮かべる少女はスプーンを咥え、持つものが無くなった右手で少年の横腹を摘む。
けれど、傷つけたくないという気持ちもあり、服を摘み上げる程度に留める。
「な、なんすか?」
「自分への怒りと君への怒り」
「なぜに……」
不審に目を細める少年はジッと少女のことを見やるが、逆に湿った視線を返されてしまう。
さすれば自然と沈黙が訪れ、蝉声と風だけが2人の間を通り抜ける。
居心地が良いようで、けれどもどかしくて。
カラッとならない日本の夏のように、ジリジリとした空間だけが2人の時間を奪っていく。
どちらかが一歩踏み出せば、あっという間に溶け広がる氷のはずなのに、外側から少しずつ削り合うことしか出来ない。
そんな焦れったさが心地いいようで、もどかしい。
「ね、川の方行かない?」
なんの突拍子もなく口を開いたのは先輩の方だった。
ねだるように摘んでいた服を離し、スプーンを手に取って言う。
そんな少女の言葉を聞いてか、吸い込まれそうになる瞳から慌てて顔を背けた少年は辺りを見渡し、お客さんがいないことを確認してから頷く。
「いいですよ。僕もちょっと休憩したかったですし」
「……ずっと休憩してるくない?」
「それはそれ。これはこれです」
帽子をフックに掛け、エプロンを脱ぎながら紡ぐ少年。
そしてカウンターから身を乗り出し、立てかけてある看板を指差した。
「『ただいま今休憩中』に変えといてください」
「分かりましたよーだ」
不服げにアイスクリームを口に含んだ先輩は乗り出していた身を引き、少年に言われた通り腰を下ろして看板を捲る。
それに続くように、カップを手に取った少年は自分用のアイスクリームを作り始めた。
「あっ、ずっる」
腰を上げ、再びキッチンカー内へと視線を向けた少女は目を細めた。
「自分へのご褒美です」と顔を向けることなく答える少年に、先輩は口を尖らせて紡ぐ。
「私へのご褒美がないじゃん」
「そのアイスがご褒美です」
「これは自分のお金で買ったやつですぅ」
「なら今度は無料で差し上げますよ」
「やった」
小さくガッツポーズを決める先輩と同じタイミングで、歪な形のアイスクリームをカップに乗せる少年はキッチンカーの扉を開いて外に出る。
「……あっつ」
日陰に身を隠していたから軽減されていたのだろう。
燦々と降り注ぐ陽光に姿をさらけ出してみれば、これ見よがしに攻撃してくる紫外線。
俺同様にパラソルの下で身を隠していた先輩も、おでこに手を当て「暑いねぇ……」と呆れた言葉を吐いていた。
「よくここまで来ましたね……」
「でしょ。だからご褒美が欲しかったの」
「それを早く言ってください。今はもう遅いです」
「ケチ」
「ケチでいいですよ」
そんな他愛もない会話をしながら、先輩との時間を――後輩との時間を――大切にするように猛暑の中石段を下る。
「あ、スプーン……」
不意に声を上げる少年は足を止め、手元にあるカップに目を落とした。
そんな少年に、一際遅れて反応を示した少女は、一段降りた場所からカップを見上げる。
「あぇ、ほんとじゃん。しっかり者にしては珍しいね?」
「ですね。ちょっと取ってきます」
「先輩に気を取られてました」なんて言葉は当然口にできず、釈然としない気持ちのまま踵を返そうとする。
だが、慌てて少年の裾を握った少女は自分のカップを持ち上げ、
「ここにスプーンがひとつあります」
二ヒヒッと悪戯っ気に笑みを浮かべて少年を試すように言葉を紡いだ。
「あ、ありますね」
戸惑い気味に答える少年が小首を傾げれば、おもむろに口の前へとスプーンを持っていく先輩。
そんな先輩の行動で思い至った少年は、思わず苦笑を浮かべざるを得なかった。
「お?その感じは気づいたようだね?」
「さすがに気づきますよ……」
「なら話が早い」
口の前にあったスプーンを自分のチョコチップアイスに突き刺し、少年に見せつけるかのように溶けかかったアイスを持ち上げる。
「可愛い先輩との間接キスをするかい?」
「自分で言います?それ」
「自分で言っちゃいます。んで、どうすんの?」
アイスが溶けてしまうからだろう。
どことなく忙しない様子で問いかける先輩は、カップを添えてスプーンを差し出す。
どうせ食べてくれないだろう。そう思いながらも、心のどこかでは食べて欲しく、もっとカップルっぽいことがしたいと思ってしまう少女。
そんな小さな期待を胸に、狼狽する少年を見上げ続ける。が――
(やっぱり無理よね……)
――数秒経過しても微動だにしない少年に、「分かってましたよ」と肩を竦める少女は、自分の口へとスプーンを運ぶ。
刹那、右腕を上げた少年は先輩の手首を掴み、大きく開いた口でスプーンにかぶりつく。
そして先輩の腕を引き、口からスプーンを取り出した少年はやり返すようにぎこちなく口角を吊り上げた。
「食べますよ。当然」
先輩にやり返すのなんて初めてのことだ。敬語なんてあやふやで、煽るような言葉遣い。
だけれど、これ以上先輩の悪戯に付き合っていたら僕がおかしくなりそうだ。
そんな考えに至った少年は、固まってしまった先輩からスプーンを奪い取り、自分のアイスを乗せてやる。
「ほら、後輩くんとの間接キスですよ」
口の中であっという間に溶け広がった雪は、熱くなる少年の身体を冷やすことは絶対にない。
されど、その絶対が2人の氷を溶かし始める。
「随分と生意気になったのね?」
「おかげさまで」
やっと動きだした先輩は口元をひくつかせるが、すぐに表情を取り繕う。
そして耳に髪をかけ、色気を出して――後輩に意識してもらえるように、パクッと大きな口を開いてアイスを頬張る。
そんな先輩に――
そんな後輩に――
心の中だけで思う。
――ほんと、好きだ
猛暑の中、君と僕に広がる寒冷の雪。 せにな @senina
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