パーティーの夜
二二兆
第1話
一日降ったり止んだりしていた雨が、夜になってまたしょぼしょぼと降ってきた。
雅紀は脇に挟んでいた百円傘をぽんと開いた。サラリーマン風の男がすれ違いざま肩にぶつかり、雅紀を睨んでチッと舌打ちをした。雅紀はぺこぺこと頭を下げた。
揉め事が何よりも苦手なのだ。肩からずり落ちたカバンをかけ直し、腕時計を見た。八時を十分過ぎている。
「よう雅紀。待たせたな」
いつものように肩を揺らしながら立花が歩いてきて、雅紀に呼び掛けた。
「濡れますよ」
立花は雅紀が差し出す傘を押し返した。
「男と相合傘なんて気持ちわりい。俺のことは気にすんな」
そう言われて、雅紀だけ傘をさすわけにはいかない。傘をたたむと、髪や肩に落ちる雨粒など気にも留めないそぶりで、立花と並んで歩いた。
「そんで、何で俺を呼び出したんだ?」
「何って」
雅紀が口ごもる。冗談、冗談と言い、立花が大きな体を揺らして笑った。
「お前の退院パーティーに決まってんだろ。俺だってバカじゃないや」
立花は急に真面目な顔をした。
「本音のところ、お前には悪かったと思ってんだ」
先週まで、雅紀は入院していた。立花が運転する車に同乗していて、対向車が
センターラインを越えてきて衝突したのだ。全治三か月の怪我を負った。
「俺だけぴんぴんしてて、申し訳なかった」
「そんな、立花さんのせいじゃないっす。毎晩のように見舞いにも来てくれたし」
俺の方こそ申し訳ないと言う雅紀のつぶやきは、微かすぎて立花には聞こえなかった。
「ところで、繁華街通り過ぎちまったぞ。どこに向かってんだ」
「パーティーの前に、行きたいところがあって」
「何だよ、勿体ぶって」
雅紀は勇気を振り絞って言った。
「立花さん、いつも俺のことビビりだ腰抜けだってイジるでしょ。でも、立花さん自身が実際のとこどうなのか、俺は知らない。だから、見せてくれよ」
二人は河川敷の堤防に来ていた。古びたオレンジ色の街灯が、川岸に降りるコンクリートの階段を頼りなく照らしている。
「ここ、雨の夜に一人で通ると、幽霊が足を掴むって有名な場所なんだ。立花さん、降りてみてよ」
立花が片眉を吊り上げた。
「俺を試そうってのか」
雅紀が無言で頷く。立花はへっと笑った。
「怪談の階段ってわけかよ、面白え」
立花のジョークは寒いといつもなら切り返す雅紀だが、今日は違った。雅紀は階段を避けて草が濡れた斜面を走り下り、立花を見上げて言った。
「俺、ここから見てますから」
立花は、何だアイツと呟いた。この様子なら、怪我はもう心配なさそうだ。
「今から降りてやっから、しっかり見とけ。幽霊が出てもチビんじゃねえぞ」
改めて見ると、階段はなんとなく不気味だった。そろりそろりと一、二段降りて、立花は立ち止まった。
こんな降り方じゃビビってると思われかねない。心持ち顎を上げて薄笑いをしながら、雅紀に見せつけるように、わざとゆっくりと降りて見せた。最後の段を降りて、くるりと後ろを振り返る。コンクリートの階段には何もない。立花はほっと息をついた。
「何も起きなかったぞ。足を掴む幽霊なんて、デマだな」
「幽霊は出たよ。出たけど、空振りしたんだ」
雅紀の、胸の前で握った拳が微かに震えている。
「空振りぃ?」
「立花さんに、足がないから」
そう言うと、雅紀は一気に階段を駆け上った。中ほどで何かに足をとられて、無様に転ぶ。
立花は慌てて駆け寄った。
「また怪我したら、しゃれにならねえぞ」
雅紀を助け起こそうとして立花は見た。白くて細い女の手が自分の足を掴もうとしてするりするりとすり抜けるのを。立花の足は膝から下にだんだん薄くなって、消えていた。
「立花さん、ごめんよ。俺、言い出せなくて。こうでもしなきゃ、何も言えなくて」
雅紀が泣きじゃくった。
「俺は死んだんだな」
ぽつりと言った。そうか。そうだったのか。
川底の泡のように、ゆっくりと記憶が浮かび上がる。あの時、避けようとして避けきれず、運転席の立花はもろに対向車とぶつかった。その後、気がつけばいつも雅紀の病室に来ていた。他のことは霧に包まれたように、何も分からない。
明るい光が差して、立花は顔を上げた。中空に、光に包まれてたくさんの迎えが来ていた。じいちゃん、ばあちゃん、両親に、よく知らないご先祖様、ガキの頃飼っていたハムスターまで。
「お前には、随分手間を掛けさせちまったな」
雅紀はぶんぶんと頭を振った。
「もう行くよ。あっちのパーティーに遅れそうだから」
「立花さん」
涙でぐしゃぐしゃな顔で雅紀が見つめた。
「そこのお前も一緒に来いよ」
立花は強引に幽霊の手を引っ張った。
「こんなとこにいるよりずっと楽しいぜ」
上空へ登っていく立花に、雅紀が何度も大きく手を振っていた。
「さよなら、さよなら」
パーティーの夜 二二兆 @futafuta_CHO
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