他所様
僕は愛とは何かを考えられるほどに両親に愛情を注がれて育ってきた訳だが、他所様の家庭ではどのような親子の関係があり親子愛があるのだろうか。僕にとっての普通が他人から見て異常なこともあるから、常に疑いをもって客観視に努めなければ実態は見えてこないだろうという心持ちでいる。例えば、父と僕とでカラオケに行ったり、朝ラーしに行ったり、近所を散歩してキャッチボールしたり、恋愛などの近況報告を定期的にしたり、こんなやり取りがある家はそうそうないというのは自覚している。僕にも多少の反抗期はあったがそこで関係が拗れることもなく今の状態に落ち着いている。これは両親が大人だったから成り立っているのであろう。両親が僕を愛していたから成せた業なのであろう。友達Aの中には月に一度父親と話すか話さないかという家もあるという。ただ彼の父親は大変子ども思いであると確信できるエピソードがある。それは自分の好きな大学に行けるように浪人してもいいと選択肢を与えたという話である。これは逆に僕の家には無かったことである。僕は父親に志望校を知らないと言われ、直前期にはレベルを下げた大学を5つ提示され安牌を取るよう促された。反発しても良かった。事実第一志望に出願しても良いとは言われていたが、共通テスト明けの3週間毎日「新大、静大、宇大、熊大、金大」のどれかから選べと問答され、僕の心は折れてしまった。また自分の話をしてしまった。身の回りの家ではこんなモラハラチックな会話があったなんて話を一度も聞いたことがない。それは子が優秀だったり、大人だったりしたという要因も考えられるが、そこには別の愛情表現があったと考えるのが自然であると思う。
親子の間に芽生える愛というのは本当に様々である。結果として僕の家ではあり得ないことも他所様の愛情の論理が働いていて当然のように受け入れられている。特に家族との関わり合いで知覚する感覚を愛と呼ぶのなら、結婚は大変な営みであるというのは想像に難くない。二者夫々の愛情の常識があるためだ。こう考えると僕の家はおかしいのかもしれない。両親の衝突らしい衝突を僕は目撃したことがないし、祖父母にいたっても議論する場面はあっても50年以上穏やかに暮らしてある訳である。普通ではないのかもしれない。結局、自分の思う愛を考えるときも自分の親族の形しか見ることが出来ないから難しいところである。
バブみ溢れる歳上お姉さんが居たら、子ども扱いされるのは大歓迎なので連絡ください^_^
一緒に愛情探ししましょう😕
Vivre, c’est apprendre à aimer. 椿生宗大 @sotaAKITA1014
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