推し活

 今東京都立大学ミスコンに出ている井上穂香さんに熱を上げている僕はこう思います、最近、推し活と称される行為は大変人間らしい営みだなあと。手に届かない存在を、相手に特別な感情を向けられることなく応援するというのは、自分に目線をやることなく、それに専念できるから居心地が良い筈ですよね。仮に相手が気色の悪い奴だと自分を思っていようが、大多数を相手にする公人が個人に対してどうこう言うことは滅多に無いことですから安全圏から熱烈な視線を送ることが可能な訳です。

 特にこういった推し活というのは神聖なものだと思い込みやすく、沼りやすいと思われます。人類は昔からアイドルという存在なしに生きた記録はありません。イエス・キリストも八百万の神も、AKB48などのガールズグループ、松田聖子に中森明菜など皆アイドルです。人々は基本的に手の届かない存在にお熱を上げることが得意な訳です。なぜなら、自分が熱中していることをどこまでも美化できるからです。「自分が誰よりも思っている」と、見えない感情というところでどこまでも平行線の競争をしたり、あるいは自分とその偶像だけの綺麗な感情世界に入り込んだり出来るからです。現状届かない世界に手を伸ばすことで狭い世界に堕ちて行くというのは面白いですよね。見えなくなってくると熱狂度が増します。例えば異性のアイドルを応援することに全く性欲が関わって居ない訳はありませんが、ファンとしては自分がその人に向ける気持ちというのは唯一無二のもので、綺麗な感情だと錯覚するのです。自分が誰よりその人に心を捧げていると思うために物質的にも貢献する人はいますが、そうしなくとも他の誰にも見られぬ精神世界を見つめられるのは主体であるその人のみなのですから、熱狂的になっていく自分を常に基準に、そして最も誠実な視線を送っている人物だと感じながら呼吸が出来るのです。

 僕が会えない人に夢中になる理由、そして人々がいつも誰かを「推す」理由というのは、汚れた自分に純な部分(善良性)が残っていると信じ、そして自分は少しだけ特別なものを持っていると思い抜くためなのかなあと思う今日この頃です。では、おやすみなさい。

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