入院で遭遇した四つの不可解な出来事


 わたしはこれまで入院したことが5度ある。


 1度目は、もちろん生まれた時。その次は、中学生になったとき。だたの入院ではなく、虫垂炎の手術を受けたときだ。今回は、その時の入院生活と、直後立て続けに出戻ることになった2つの入院生活の話をしようと思う。




 手術を受けたのは、地元では名医と評判の先生の個人病院だった。だから、親もこの小さな病院での手術を決意したのだと思う。


 局部麻酔での手術で、意識は驚くほど鮮明だった。


 手術台で横たわって開始を待つ間、手も足もしっかり動くし、本当にこれで切って大丈夫なのかと疑念を抱くくらいの覚醒具合だった。その時、手術室には執刀医の先生の他、研修医だと紹介された女性と男性の2名がわたしの開腹に立ち会った。


 全身を覆う布の、顔の前だけを衝立の様に目隠しで持ち上げられ、いよいよ緊張感は高まる。人生初手術なのだ。

 少し怖い気持ちはあるが、既に手足を固定された手術台の上だ。ここで往生際悪く足掻くのもどうかと、じっと恐怖心を押し殺して動かず、言葉も発さず、まな板の上の鯉を決め込む。その決意が揺るがぬうちに、速やかに手術は始まった。



 ――直後



 不可解な、第一の出来事が起こった。





 緊張に身を強張らせるわたしの腹のあたりで、ある声が響いたのだ。



「えぇ~っ!? 切るんですかぁ~??」



 は?


 ちょっと待て、誰が、ナニを言っている!?


 鼻に掛かった甘えた声で、腹を切られているわたしを見ながら「切るんですかぁ」だと?? これは虫垂炎ではなく、手術など必要ない――ということだろうか? それとも、虫垂炎だけど、手術は必要ない――ということだろうか?


 いや、まさかまさか、研修医だと白衣を着て、患者に紹介された女性キミがカワイコぶったアピールをしている訳じゃないよね?


 普通の手術や、研修医はこんな感じなのだろうかと、不可解な思いを抱くが、何せ人生初手術だ。比較対象がテレビドラマくらいしかない。だが、そのフィクションでも見たことが無い奇妙なシチュエーションだ。彼女の言葉に誰かが会話を続けることもなく、盛り上がりに欠けた微妙な空気のまま着々と手術は進む。


 ぐちゃっぐちゃ


 ずる ……ずるる


 鳩尾が引っ張られる感覚と、腹の上に掛かる重み。気持ち悪いが痛みは無い為、どこか他人事めいた、好奇心がむくむくと頭をもたげた。

 見ることが出来ないかとキョロキョロしていたわたしに、先生が気付いたのだろう。


「今、盲腸探してるから。ちょっとお腹引っ張られる感じがすると思うよ」


「はい、引っ張られてます……。お腹の上に、何か乗ってます?」


 わたしは意識もはっきりしていたし、普通に話すことが出来た。


「ああ、腸が」


 その間、研修医の女性は無言だった。

 わたしも、話は出来るけど、ちょっと何を言っていいのか分からなかった。



 手術はそれから恙なく終わり、切り取られた膿をもって歪に腫れた盲腸を見せられた。意外にあっけなかったな、などと思っているうちに、研修医らは無言のままそそくさと立ち去り、手術室には先生とわたしだけが残った。

 そこで、再び驚きの声が掛かった。




「じゃ、病室まで戻っていいよ」




 それが普通なのだろうか!? これが第二の不可解な出来事だ。

 困惑するが、なにせ人生初手術の私に数多の手術後がどうなのか分かるはずもない。だから人生初の緊張の手術を終えたわたしは、よいしょと手術台から降り、自分の足で歩いて手術室の自動ドアをくぐった。

 扉前で手術の終了を待ちかねていた親が驚いていたから、あまり一般的な手術後の登場ではなかったのだろう。



 その後の入院は、眠っている間に何故か毛布が増えている――なんて不可解な第三の出来事を挟みつつ、規定通りの1週間で無事退院を迎えた。


 ちなみに増えた毛布の不思議現象は、すぐに謎が解明した。

 手術直後から、豪快に布団を跳ね除けて熟睡していたわたし……。その寝冷えを心配した同室のおばあちゃんたちが、余った毛布を掛けてくれていたのだ。6人部屋のおばあちゃんたちに見守られた入院生活は、ちょっとだけ気を張ることはあったものの、よく寝てあっという間に過ぎ去った。慣れない入院生活でも、爆睡できる図太さを持っているというのは、この時初めて気付いたのだった。




 その数日後


 退院から間もないと云うのに、わたしは持久走大会を走り切っていた。その結果、わたしは帰宅後に胃腸炎を発症し、救急車で病院へリターンすることになった。


 今度は気楽な大部屋ではなく、2人部屋を1人で使う贅沢仕様となっていた。テレビも好きなものを見られるし(当時の大部屋は、共用のテレビが1台、しかも有料のものがあるだけだった)大好きな絵も、何の気兼ねもなく描ける。なんだかのんびりした環境だった。


 ただ、すぐ隣に人の居ないベッドがあるのだけはちょっぴり不安感があった。


 そんなわたしの思いが影響したのか、その夜、消灯時間を過ぎた後のことだ。灯りを落として布団を被り、眠りに就こうとしていたわたしの耳が妙な音を拾った。



 こつこつこつこつこつこつこつ



 部屋の中に、妙に軽い音が響き渡った。



 こつこつこつこつこつこつこつ



 どこかから漏れた水滴が、病室の絨毯の上にしたたっているのか? そう思わせられる音が突如鳴り始め、延々軽い音を響かせ続ける。微妙に音の位置が変わっているような、変わっていないような……?


 近い様な、遠い様な。けど病室の中なのは間違いない。

 日中は、そんな音微塵もしなかったのに。


 気にはなるけれど、わたしには音の在処を起きて確かめる勇気もなかった。



 怖いな――なんて思いは、すぐに眠気で搔き消され、いつの間にかわたしは爆睡していたらしい。



 朝になって部屋を確かめてみたが、どこにも雨漏りは無かった。

 それから数日入院生活を送った。だが、隣のベッドに入院患者が増えたからか、それ以降もう一度あの音を聞くことは無かった。



 それが第四の不可解な出来事だ。短期間での2度の入院。日数にして、ほんの2週間程度ではあったが、驚くほど盛り沢山な『不可解』に遭遇した入院生活は、今もわたしの心にはっきりと残っている。





 それにしても、は何だったのだろう?







――――――――――――――――――――


一番不可解なのは、研修医の女性があんな行動をとった理由か、それとも夜の病室に響いた音か……?

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熱帯夜の悪夢 ~寝苦しい夜に、物言わぬ者の脚がわたしに忍び寄る~ 弥生ちえ @YayoiChie

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