天気雨

「鼬の訛りには遠野の音が混じっておりやす。此処はちょいと京から遠野まで、三人行脚と参りやしょう」

「おいおいおーい、行脚にしちゃあ此れまった妙に長ぇじゃねィかぃ」


 そうお師匠が鼬と雨月に伝え、三途の川の橋の袂から繋がる浮世の一条戻橋へと転じて幾日目か。

 夜に興じて邪気の類ひが現れ、山を歩けば異形と遭いまみえるときた。まこと、浮世も地獄のその様相も変わりはせぬと鼬は感じたのである。

 ひとつ、違うと云えば。浮世は四季に天候が在り、空気の匂いが異なるところであろうか。

 道を歩かば何かしらの難に逢う、其れを相も変わらずの無口で雨月は蹴散らした。お師匠の出る幕ではないと云ふことであろう、鼬は其の成れの果ての姿や魂に手を合わせては、葛籠が喰むのを眺めていた。


「お師匠さまは、一体おいくつなんだろう」

「ンあ? 歳か? まぁ雨月の野郎よりかは随分と長くんのは間違いねぇなァ」

「ええっ? 雨月よりも若く見えるのに?」

「はっはーッ、まぁ俺っちにとっちゃぁどっちもクソ餓鬼みてェなモンでぃ」


 鼬の話し相手はもっぱらこの首葛籠である。

 首級や魂を入れるから、であろうか。なんともまぁざっくらばんな名付け方だと鼬は思ふ。

 此の葛籠、良くも悪くもよく喋るし口の廻ること。然も粗方のことは、此の葛籠に尋ねさえすれば解決するのであった。


 自分の背には少しばかり大きく見える葛籠。

 片時も其の身から離してはならぬとは、唯一のお師匠からの言いつけである。


「首葛籠は、お師匠さまとは長いの?」

「んーっまぁな。彼奴のことはガキの頃から知ってらァ、其れこそ鼬、おめぇくらいの背丈ン時からよゥ」

「へぇっ。ならお師匠さまのお顔も知ってるの?」

「あたぼうよゥ、なンならガキの頃の彼奴はなァ。おめぇより世間知らずのクソぼんぼんでよゥ……」


 ふぐっ、と背後から声が聞こえれば。

 坊主が葛籠の口に団子を突っ込んだところであった。


「堪忍なぁ鼬、首葛籠が少々かしましゅうなかろうやろか?」

「いいえ、ちっとも」


 口元の端を上品に綻ばせたような笑みに、にこりと微笑み返せば、ほれと鼬も団子を一串いただく。


「雨月もほれ、おひとつお食べなすって」

「要らん」

「おやまぁ、せっかくの浮世。今生の甘味も楽しみやせんと」


 ふがふがと団子を喰んだ葛籠に「気にすンねぇ、いつもあの調子でぃ」と心の中を読まれたかのやうに話しかけられる。

 飄々と其の愛想の悪さを揶揄う坊主に、雨月は此れでもかと云ふほどに愛想なく返す。何故、此処まで相反するかのやうなふたりが組んでいるのか、鼬にはてんで分からなかった。


 はた、はた、と頬に雨粒が当たった——。


「おんやぁ、此れはまた。天気雨——戯雨そばえあめやなぁ」


 上を見上げればお天道様は燦々と、然し其の天上から確かに雨は降ってくる。

 辺りが陰るでもなしに、雨足はこんこんと強くなってきた。


「さぁて、何処かで雨宿りでもしよか」


 葛籠が其の大きな舌を出して、鼬の雨除けをするのを見てはくすりと微笑い、雨月の後に着いて一行は雨を凌げる岩陰へと入った。


 ——ちりん、と鈴の音が聴こえたやうな気がする。


「鼬ィ、どうしたンでぃ?」

「あっ、いや」


 喚ばれたやうな気がした。然し振り返れど、何ひとつの影さえ見えぬ。


 ——ちりん、


「あっ、ほらまた」


 再び振り返ろうとした鼬の前に、いつの間にやら先を歩いていた雨月がいる。


「おい、何してる此の鈍間ノロマが」

「うっ……」


 鋭い眼光に何も云えなくなり、黙って鼬は其の後を着いていった。


 ——ちりん、ちりん。しゃらららん。


「鼬、決して何があろうと首葛籠から手を離してはなりやせんよ」


 薄い唇の端をもたげるやうな、笑みをこぼしながら坊主は云ふ。


「此のやうな空模様の日にはなぁ」


 ——狐の嫁入りに遭いやすからね。

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戯雨 [そばえ-あめ] すきま讚魚 @Schwalbe343

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