第一章 少女の死

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 岺和六年十一月七日。その日の朝は曇りで、ジャケットの上に少し何か羽織っておきたいと思うほど肌寒かった。

 私鉄O線鷹部屋駅のホームに平田紀典ひらたのりすけは他の乗客とともに降り立った。午前七時五十分、定刻通りである。

 平田は県立鷹部屋高校の一年生である。小太りでもう少し痩せていれば良い格好になりえる、少し彫の深い顔立ちをしている。彼は高校指定の紺ジャケット、また紺色のネクタイを締め、鼠色のズボンをはいていた。

 平田はホームから改札階へ上がる階段へ向かって歩いていると、よく知った顔を発見した。クラスメイトの吉野さくらである。

 吉野さくらは馬女うまな——顎関節の延長上に耳がなく、その代わりにそちらの世界にある『馬』の耳が頭上から生えていて、腰からその尾が生えている以外、は他の女性と変わらない性別——である。黒鹿毛の髪を肩まで伸ばし、前髪を白いカチューシャをあげていて、顔立ちはいわゆる塩顔である。

 平田はそっと吉野の後ろへ忍び寄って驚かせようと歩みを進めた。しかし、吉野の右耳がくるっと後ろを向き、次の瞬間には体ごと後ろに向けてしまった。

 吉野は平田に「分かるよ」と少し笑って云った。平田はバレたかと思いながら「おはよう」と返事をした。

 二人は自然と足並みそろえて歩き出した。改札を抜けて口火を切ったのは意外にも吉野だった。普通なら饒舌な平田が話を切り出すものだから彼も驚いた。

 「こないだ云ってた小説ってどうなってんの? 」

 平田は文芸部に属していて、そこで推理小説をかいていた。吉野にその書きかけの原稿を見せたことがあった。そのとき吉野は「面白い、続きかいてみて! 」と云ったが平田自身はお世辞だととらえていた。

 「まあね」と少し喜色を顔に浮かべ、平田は続けて「今、三人殺されたところ……」聞かれてもいないことまで話し出すのが平田の悪癖である。本人にもその自覚があって途中で話をやめたのである。

 平田は吉野に手を向けて「ごめん、どうぞ」と発言権を彼女に譲った。

 「見た? 」吉野の声色と、耳——左右両方の耳が絞られている——はとても険しいものであった。

 見たか、と聞かれて咄嗟にジャケットのポケットへ平田は取り出したスマホの画面を見て思わず、目を剥いた。

——菩提寺、死んだって

 それは平田の薄っぺらい友情関係を築いているうちの一人、月見零寺つきみれいじからメッセージだった。菩提寺というのは平田と吉野と同じ一年一組の生徒で、平田たちは彼女のことを酷く嫌っていた。理由は単純明快で、基本的に授業妨害してくるし、人の悪口を平気で言いふらす、勉学に励もうという志を持っている平田にとって彼女は邪魔どころか今すぐあの世に送ってやりたいと強く思う人物の筆頭であった。だからそんな彼女が死んだとなれば悲しみより喜びが上回ってしまった。それが顔に出ていたのか吉野は顰蹙ひんしゅくを込めたような目線——しかし耳は絞っていなかった——を平田に向けた。

 「いや、まさかね……」と平田は心底驚いた調子で言った。「あれが御陀仏おだぶつになるなんざ」

 「でも平田はうれしいんじゃない? 」平田に負けず劣らずの発言をかました吉野もさすがに不味いと思ったのか口をつぐんだ。「今の忘れて」

 平田は話題を変えようと少ないギャラリーの中から話題を引き出そうと思ったが無理だった。

 「でもどうして死んだのさ? 事故? 」

 「や、わかんない。今ケーサツ来て捜査してんだってさ」


 神奈川県立鷹部屋高校は今、ハチの巣をつついた様な緊張感に満ちていた。それもそのはずで、人が一人殺されたからである。二つある校門は封鎖され、そのどちらにも制服姿の警官が二人ずつ配置されている。警察が到着してから登校してきた生徒たちは外で待機させられていた。

 校門前に一台のタクシーが止まった。その後部座席のドアから出てきたのは一人の馬女で、その人は神奈川県警捜査一課の刑事、青山葵であった。

 青山警部補は髪を短く切り、少々ボーイッシュと感じられる顔立ちをしており、凛としている。一見すると、どこかの劇団の男役かと見間違うほどだ。そのせいか、スーツがよく似合っている。腕には「捜査一課」と刺繍された腕章がつけられている。

 「捜査一課の青山です」と彼女は見張りの警官に言うと、閉ざされた校門を開けて貰い、中へと入った。

 鷹部屋高校は小高い丘の上に建てられていて、南に正門がおかれている。校舎は南から北にかけて第一校舎、第二校舎、第三校舎が階段のように段々高い所へ建てられている。門に入ると正面には第一校舎の職員玄関があり、右手にはロータリーのような前庭がある。その反対側の左側にはテニスコートがあり、その奥には大きな体育館が、その二つの間に弓道場が立っていた。

 青山は事前に言われた通り、職員玄関に入った。そこにはいつもの面々——神奈川県警捜査一課殺人犯捜査第三係の同僚たち——の姿があった。

 「すみません、遅くなりました」青山は謝罪した。ここへ来るまでの電車の中で遅延があったのである。彼女の上司である係長に遅延証明書を渡した。 係長は「わかりました。では青山さんたちは現場を確認してください。私は捜査本部に向かいます」

 係長はそのまま玄関から出て行った。

 「さて……」口を開いたのはそのなかで一番若い男だった。「先輩、先に所轄の方から聞いたお話をお伝えします」この男は青山が教育係を務めている新米刑事の川井であった。

 「被害者は菩提寺寧々ぼだいじねね、菩薩に台所の台に丁寧の寧を二回です。この学校の生徒で、一年生でした」

 そのような調子で川井が先に臨場していた鷹部屋署の刑事から得た情報は以下のとおりである。


一.被害者の死因は後頭部陥没による頭蓋骨折・脊椎損傷とみられる。平たく言うならば鈍器で後頭部を強く殴られたこと

二.被害者の死亡推定時刻は六日午後十七時から二十三時の間。被害者と現時点で確実な目撃証言は十七時五分頃、鷹部屋駅改札前の前にいたことである。

 「十六時から一時間ほど、友人の鬼頭有栖きとうありすと駅前の『しがらきや』というカラオケ屋で遊んでいたそうです。それで、その鬼頭と一緒に改札を潜ろうとしたら、『学校に忘れ物をした』と言って北口の方へ向かっていったとのことでした」

 また、十七時三十分頃、被害者のクラスメイトの藤山和一ふじやまかずいちという生徒が部活から帰ろうとする途中、菩提寺らしき女子とすれ違ったという。しかしその証言は彼しかしなかった。顔写真を見せても他の部員は気づかなかったという。

 「ほかにもあと二つあるのですが、それは現場で説明した方がわかりやすいと思います、いきましょう」と川口は言った。

 現場は第三校舎裏手にある外階段の四階である。外階段は校舎の西端に付いているこじんまりとしたもので、幅は人が一人通れるほどしかない。四階と三階の間には踊り場——ほかにも三階と二階の間にもある——があって、そこで被害者は四階へ上る方へ足を向け、うつぶせになって倒れていたそうである。青山たちが臨場したときには、死体は検視のため仰向けにされた状態にあり、そばには担架をもって控えている大学病院の職員の姿があった。

 被害者のボブショートヘアーは昨夜の雨風によって大いに乱され、かけていた眼鏡は割れ、その破片が顔全体に突き刺さっていて痛々しい。そのほかにも体の前側には擦り傷が複数できていて、血を流した後が見えた。制服もところどころ破れており、ように思える。

 川井は入ってきた扉——非常階段の入り口は鉄製の引き戸である。入ってすぐに踊り場があり、そこから右を向くと踊り場つきの折り返し階段になっているのである——を指さした。

 「検視した警官によれば、あそこに立っていた被害者が背後から鈍器で思いっきり殴られ即死して、そのまま前に倒れてここまで滑ってきたと考えられます」

 更に当時の現場状況を説明しておこう。現場となった外階段はザラザラしたコンクリート製であり、屋根もないから長年雨風にさらされてくろずんでいる。しかも六日の午後二十二時から午前一時まで鷹部屋市に雨が降っていた。当然ながら現場と死体は雨風に侵された。そのせいで足跡や死体に付着していたであろう細かい証拠も流され、難しい状況に陥っていたのである。その雨は天気予報通りであり、だれでも知ろうと思えば知れたわけである。犯人はそこを勘定に入れて死体をわざわざ隠すことなく、ここに放置したのだろう。なんて狡猾なんだ! と青山は膝を打ちたくなった。

 しかし、ここで疑問が沸いてくる。死体を外に放置したのであれば発見されるリスクが高まることは犯人にも目に見えたはずだ。しかもここは生徒の通路でもあるからそのリスクはとても高いと普通は思われる。

 「その藤山という生徒が目撃したのが本物だとすると……十七時半以降ここを使う人はいないの? 」

 川口は手帳をめくって「使いませんね。四時半には一階から四階までドアがみんな鍵がかかりますから」

 「そのカギをかけた人にアリバイは? 」

 「ありますね。しかも……」川口は外側の手すりのむこう——北のグラウンド——に目を向けた。

 「サッカー部の生徒二人がその様子を目撃していますから。それに、入ってきた扉の前の、一年一組の担任も目撃しています。犯行はとても難しいでしょう。それに時間も一時間前ですし……」

 であるならば犯人は一階から外階段を登ったと考えるべきか。そうなるといかにして被害者の背後の不覚をとるのかという疑問が浮かんでくる。

 四階の入り口すぐの踊り場に立っている被害者の背後を狙うためには、扉から入るしか手はないだろう。扉の鍵は内側から閂錠をかけるだけである。 つまり、犯人は被害者を何らかの手段で扉に背を向けるようにさせて待機させておく。そこで扉をあけて、犯人は被害者の後頭部に鈍器をガツン——ずいぶんと難しいことである——とした後に入ってきた扉から戻って内側から閂を閉める。そう考えるとあまりに実現性が低すぎる。急に後ろの扉が開いたら被害者だって振り向くはずだ。そこから後頭部を狙うなんて無理に近い。

 もう一つ考えられるパターンは被害者と近しい犯人が何らかの手段で誘い、外階段の鍵を開ける。先に被害者をいかせて、その背後から鈍器を振り下ろす。そのあとに犯人は先ほどの仮説と同じように元来た扉から中へ戻って閂を閉める。おそらくこちらのパターンだと青山は考えた。

 川口は続けて「現在捜索中なのですが、被害者の鞄がなくなっています。犯人が持ち去ったものと考えて間違いないとのことです。恐らく被害者が殺された理由はそのバックの中に入っていたものが狙われたと考えられます」

 いったい、人の命を奪って、たかが高校生一人の鞄を取るなんて、その中にいったい何が入っていたのだろう——青山の意識は消えた鞄へ向かっていた。

 

 

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錯綜した殺意 菊間由佳莉 @yukarikikuma0515

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