天使の君

菊本秋風

天使の彼女

 その日、僕は天使を見た。

 ずっと何かを探している。ずっと誰かを探している。ずっとずっと待っている。

 僕は、子供の頃は寝たきりのいわゆる「身体の弱い少年」というものだった。実際、身体は弱かった。今よりずっと。今は運動にハマっている。マイブームとか趣味ってやつだ。お陰で結構体力がついた。見える景色が変わったような気がする。

 大学生の僕は、昔の僕を打ち倒して強い僕に生まれ変わった。

 大学二年生になる春、僕はいつも通り朝早くに散歩をしていた。ふと、大学の方に足を向けてみた。ちょうど桜は満開で、桜並木は見事だった。数百メートルに及ぶ並木道は桜の絨毯で覆われている。風に揺れた木々から花びらがひらひらとこぼれ落ちる。

 誰かいる。あれは何だ?なんでこんな時間に女性が?いつもは誰もいないのに。

 ずっと桜を見て動かないでいる。女性の濡羽色の髪は、艶やかで長い髪が風で揺れる姿は、息を呑むほど美しい。まるで天使のようだ。風で木々が揺れ、桜の花びらが舞い散る。急な突風に思わず目を瞑る。風が弱まり目を開くとそこに濡羽色の髪を持つ女性は、もういなかった。

 それから数日。僕は彼女の姿を忘れずにいる。柔らかい風で揺れる濡羽色のそれを忘れられずにいる。彼女は純白のワンピースを纏っていて、綺麗な髪によく似合っていた。よく見えなかったが、彼女の顔が特別美しかったわけではない。モデルのような体型であったわけでもない。ただ、長い清潔感のある髪は美しく、健康的で平均より少しだけ細いだけだった。多分、どこにでもいるような女の子だった。それでも、彼女のことを考えると体温が上がり、頭がクラクラして、彼女のことが頭から離れなくなる。

 彼女との正式な出会いは、驚くべきものだった。街でひったくりにあった女性を助けたところ、それが彼女だったのだ。それからとんとん拍子に事は進んだ。お礼をしたいと彼女に呼び止められ、カフェへ行き、そこで趣味が合うことがわかり、友達に、それから僕からの告白で付き合うようになり、同棲することになった。

 少しずつ、彼女がおかしくなっていっているような気がした。

 笑い方が歪になった。なにかに怯えるようになった。寝ている時間が増えた。ご飯の量が減った。笑わなくなった。その代わりに泣く日が増えた。だんだんとやせ細っていくのが分かった。遠くを見る日が増えた。とうとう泣かなくなった。表情が消えた。あれからずっと笑った顔を見ていない。花のような笑顔を見ていない。

 突然、彼女の笑顔が戻った。嬉しい。楽しそうに、にこにこ笑う姿が愛おしい。彼女がぱたぱたと動き回る姿は大変可愛らしい。

 ある時の夕飯、その日は豪勢な料理だった。一品一品が丁寧に盛られていて、美しい。彼女はどうやら料理の天才らしい。これほどの料理はなかなかない。食べきれないほどの量があったはずだったが、ぺろりと平らげてしまった。風呂に入って、さっさとベッドに行こう。いい夢が見られるだろうから。

 花は一夜にして散った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使の君 菊本秋風 @20080828

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画