tp20 三日目の正直者たち④ ――Faithful Lady's Attendant――

 お嬢様の声が、奴の耳に届いたのは間違いなさそうだ。

 体勢を変えた笙真が、俺たちに向き直ってきた。


「……ボクは別に、怒ってなんか」


 答えた彼の声は、蚊の鳴くような小ささだった。加えて、ものの見事な伏し目付き。

 逃げ腰な態度を覗かせた奴の魔法を目をこらして観察してみたけれど、観えたのは、「読み」を使っていないということ、ただそれだけだった。

 魔法の不存在が炙り出した笙真の奥手さや頑固さに、そんなんじゃ駄目だろうと、思わず怒鳴り散らしたくなる。


「ううん、怒ってるわ。だって」


 ふて腐れた風にも見える笙真の態度を、レベッカはレベッカで、奴が腹を立てていると解釈したらしい。

 嗚咽混じりの幼気な呟きを、特等席で聞かさせてもらいながら、俺はげんなりするしかなかった。


「リベがごめんしたのに、笙真君、いいよって言ってくれなかったもん……」


 お嬢様の可愛らしい推理は、奴にとっても相当な「想定外」だったみたいだ。

 こちらを見遣りながら固まった少年に向かって、目に涙を浮かべたお嬢様が鋭い指摘を繰り出した。


「ポーリャにはいいよってしたのに、なんでなの?」

 

 ざあっと音を立てて、腐葉土の匂いのする風が通り抜けた。お嬢様の涙と、銅色あかがねベースの髪を攫うように、強く吹いた。よろめきかけた身体を俺に支えられながら、彼女は少年に向かって声を張り上げた。


「リベだって、笙真君に、いいよってしてほしかったのにずるいよ!」


 轟いた遠雷が霞むほど、正直で力強い彼女の叫び声だった。

 振り切れそうになった魔力を、反射的に打ち払いながら、滲んだひわ色の目線に手を貸すことを余儀なくされる。


 畜生、聞いてやれよ。


 苛立ちを込めて、二人で一緒に彼を睨めつけた。

 痩せぎすにされたお嬢様の右足が、半歩分、砂を鳴らして踏み出される。

 ぽつり。降り出し始めの大きな雨粒を、鼻筋に感じながら、俺も左足を前に進ませた。

 俺たちの眼差しを受けて、笙真はようやく折れる気になったのだろう。

 曇りガラスも斯くやと言うくらい、見通し難かった茶色の瞳が、輪郭を伴いながら俺たちを、いいや、レベッカを真っ直ぐに見つめていた。

 少年が、こちらに腕を伸ばしかけた。


 彼の指先がほんの微かに震えていることに、レベッカは気がついただろうか。


 そんな感想を覚えた俺を知ってか知らずか、勢い付いた彼女の足は止まらなかった。

 残り一メートルほどになった距離をゼロにするため、次の一歩が踏み出される。

 濡れ落ち葉に爪先を取られて、少しだけ傾いだレベッカの身体を、笙真が慌てて抱き寄せようとした、刹那。


「本降りになって参りましたわ、お嬢様。お体に障ります。こちらへ」


 …………。

 いつから其処にいたのだろう。それくらい完璧で鮮烈なタイミングだった。

 視界が反転した瞬間には、開いたペギーの雨傘にもう引き戻されていた。

 ペギーの手を肩にかけられたまま、レベッカと俺が振り向けば、少しだけ距離の開いた先で、笙真が再び目を伏せていた。

 下がり気味になった肩の線が、濡れたシャツの向こうにぼんやりと透けて見えている。

 お嬢様へ向けられていたはずの少年の視線はもちろんのこと、行場を失った指先もまた、雨粒の底へ既に閉じ込められてしまっていた。


「笙真君……」


 お嬢様の囁きが、灰色の空へ、小さく溶けるように消えていった。

 彼女の囁きの中に、無念とも、残念ともつかない情感が、ありありと込められていたのを、ペギーも俺と同じく、気付いたらしい。

 仕方なさそうな少女の男言葉が、肩越しに落ちて、俺とレベッカの耳朶を打つ。


「――宮代笙真。濡れ鼠と本物の鼠。どちらがいいか選ばせてあげるよ」


 泥濘ぬかるみ始めの大地に腰を下ろしたまま、項垂れていた笙真が、濡れた前髪をぶるりと震わせた。

 顎先の雫を振り払うと、立ち上がる。俺たちの頭の上を、彼の声が飛び越えていく。


「ありがたく、後者にさせてもらうよ。荷物と着替えは?」

「捨て置きなさい。そう言いたいところですけどね、お嬢様に叱られそうだ。持ってあげよう」


「私は心が広いからね」尊大そうな口ぶりでペギーはなおも続けた。

 そんな侍女へ、「ご親切にどうも」と力なく呟くと、レベッカが見上げていた俺たちの視界の中で、笙真は絆創膏の貼られた頬を歪ませた。泣き笑いにも見える表情だった。


 数秒後、アルビノの白鼠に姿を変えた宮代笙真を右肩に乗せた外出着の侍女と、小さな俺たちの体が雨の中、歩き出した。

 ペギーが支える傘の下で、レベッカと一緒くたになって守られたまま、俺は声を上げた。


「なあ、ペギー。どうして二人を止めちゃったわけ?」

「どうしてって、わたしは、キミたちよりも魔法がよく観えているからね。お嬢様の魔法が、もう一度弾ける前に止めて差し上げた。たったそれだけのことさ」


 ペギーの返事に、お嬢様がびくりと身をこわばらせた。

 おんなじ身体のくせに、わからなかったの? そんな気配が、少女の言葉の中に込められていないのが、幸いだった。

 お嬢様の侍女は、彼女なりに、俺にも気を使っているらしい。

 

「お嬢様が、先ほど《鋏》を振りかざされたのは、宮代笙真の不用意な振る舞いのせい。悪いけどね、わたしはそう思っているんだ」

 

 俺たち四人の中で、もっとも魔法がよく観える、菫色をしたペギーの瞳。

 そいつを剣呑そうに細めながら、ペギーは、肩の上でひげを震わせていた白鼠を睨みつける。


「マーゴット」

 

 彼女の標的にされた白鼠が、小さな抗議の声を上げた。

 不安そうに揺れるお嬢様の視界の真ん中で、ペギー――マーゴット・アデリーを見上げている彼の赤い瞳が、何度も瞬きをする。

 「読み」の魔法を、視覚を介してリピートしている証拠だった。

 雷鳴の音が程近くなっている。落ちた稲光りが、傘の内側にいる俺たち全員を、白く浮かび上がらせた。


「そんなの、ボクだって十分わかってるよ。ポーリャちゃんにも、昨日言われたんだ。だから、彼女の様子に気をつけながら……」

「どこがですか? 先ほどだって、性懲りもなくお嬢様に触れようとなさったじゃないですか?」

「だって、それはレベッカ様が」

「お嬢様が、なんだというのです?」

「…………」


 ペギーの返しは、容赦がない。

 幾度か切り結ばれたやり取りの末、口を噤んだ笙真に向かい、少女は次の句を静かに差し向けた。


「言えない? ですわよね。でもね、私、見ましたのよ。あなたがお嬢様に触れられた途端、お嬢様が錯乱なされた。お嬢様の《鋏》でケガを負わされたくせに、わからないのですか?」

「わかってるさ。そんなの、ボクが一番わかってるに決まって……」

 

 笙真の頬を傷つけた《鋏》の魔法にまた言及され、レベッカの背筋が、音を立てそうになる。

 肝心のお嬢様を見遣りもしない侍女と少年の攻防は、明らかに笙真の守戦一方だった。 

 勝手を続ける二人を苦々しく思いながらも、俺は、ペギーのせいでひどくなっているお嬢様の魔力のざわめきを、魔法に変えさせないだけで殆ど手一杯だ。

 そんな俺をよそに、笙真を圧倒することだけを目指してか、ペギーの舌鋒はさらに勢いを増していた。

 

「なぜ『読ん』であげずに、わかるのです? お嬢様が、お嫌なことも、お望みになっていることも、ご自慢の魔法なしでおわかりになるのですか? ポーリャ殿のことは、尽く『読ん』だではありませんか。統のことだって、そうやってポーリャ殿から無理やり聞き出したくせに! それとこれと、何が違うんです? あなたは、レベッカ様の身に起きた本当のことを知るのが、恐いだけなんでしょう?」


 予想だにしていなかったペギーの長すぎる台詞だった。

 レベッカではなく、一月前を思い出した俺の心が勝手に揺らいで、魔力がこの身に宿った「魔法の型」へと殺到するのを許してしまう。

 僅かに遅れたタイミング分だけ《鋏》の形を取りかけた魔力を、仕方なく昨日の要領で壊す羽目になる。

 撥ねた魔力で、視界がぐんと暗くなった。

 同時に襲いかかってきた悪寒に、もう我慢できない、そう言いたげにお嬢様が息を吐く。

 幾度となく魔力の打ち払いを強いられた俺だって、同じ気持ちだった。

 フリルを重ねたペギーのスカートを、二人分の小さな両手が、思い切り握りしめる。

 濃青こあおのレースが皺だらけになるのを手のひらに感じながら、笙真の弱々しい反論と嘲りを含んだペギーの声を、知覚の端でどうにか捕まえる。

 

「マーゴット…………」

「はん、何が腕利きの『明かし』なものですか。宮代笙真、よくお聞きなさいな。私の『読み』はセミ半分ですから、あなたのように心の中までは覗けませんとも。ですけどね。私は《鳥》でもあるんです。魔法の動きだったらあなたより、ようく観えてるんですからね。賢いあなたのことだ、まさか忘れたなんて言わせませんよ」

「ペギー! もういい加減に――」


 再びの長台詞を経て、ようやく訪れた間隙を見逃す余力なんて、もう殆ど残っていなかった。

 こちらの限界を見定めるためか、視線を寄越したレベッカ嬢の侍女へ、遠慮抜きのクレームを投げつけてやる。

 けれども、俺の言葉を遮ったペギーの返答は、今しばらくの辛抱を求めるものだった。


「ポーリャ殿、もう少しで済みますから、お嬢様の魔法をそのまま抑えておいてあげてくださいね。お嬢様も、なるべく心をお鎮めください。……ええ、そうです。魔法が落ち着いてきたようですわね」


 昨夕の電話で覗かせた口調とも少し違う、古風でも、硬くもない彼女の侍女としての口振り。

 そいつを朗々と操りながら、ペギーは続けた。

 

「レベッカ様。あなたは、この森の中で一度いなくなられたんです。あなたが婚約なさっていた、宮代統様とご一緒に。そうして、あなただけが小さくなって帰ってこられた。もう、一月も前のことですけどね」

 

 統について語っていた一昨日の、冗談めかした柔らかさは、彼女の菫色をした瞳のどこにも見つけられなかった。

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観えるってマジ? 重要参考赤狐様な開発系魔法使いのレセプション捜索ログ 魔法使いたちの//クロスロード ――ver.→D―― なぎねこ @naginagi22

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