第24話 卒業
○卒業
弥太郎は岬の縁に座っていた。
「兄さん・・・、俺、ここに来るといつもニイちゃんに会える気がしてたんだ・・・、でも・・・、ここも今日で卒業だ」
弥太郎は石を一つ眼下へと投げ入れる。
「ネエさんも・・・俺も・・・兄貴を卒業して・・・行くさ」
弥太郎はミクとの出会いとこれからのことを想っていた。
(今のままじゃあ・・・ヤマトさんには到底及びもつかないし・・・俺・・・このままじゃあ、嫌だ・・・)
弥太郎は響太郎が残したスケッチブックを破り捨てた。弥太郎が破り捨てるたびに紙切れが海風に舞い上げられて空へと散って行く。弥太郎は海面へとヒラリヒラリと落ちて行く紙切れを眺めた。
(俺も・・・何かを成し遂げたいんだ・・・キョウみたいに途中で散ったとしても・・・俺がやりたいと思ったことを・・・一人でもいいんだ・・・もちろん、ミクも・・・そうして、幸せになろう・・・)
弥太郎は海と空を視界いっぱいに眺める。
”ヒュ〜ルル・・・ピュ〜ルリ〜”
トンビが数羽、海の上を旋回して行く。
「よっし」
弥太郎は膝を打つと大きく背伸びをして息を吐く。
(これから実家に顔を出して・・・母さんにだけは挨拶をして行こう・・・大学を途中で休学すること・・・旅に出ること・・・いまあるお金でバイトをしながら旅を続けること・・・それから・・・)
弥太郎は荷物を車に積み込むと岬から車を走らせた。
数時間ものドライブの後、ようやく弥太郎は実家へと戻った。”バタン”と勢いよくドアを閉める。
「ただいま〜」
弥太郎は鍵が締められていない実家の玄関扉を引いた。
「ただいま〜、母さん、居る〜?」
弥太郎は返事も待たずにズカズカと上がり込む。
「はあ〜い〜、どなた〜?いま、行きますよ〜」
家の奥から聞き慣れた女性の声が聞こえる。
「母さ〜ん?俺〜、弥太郎〜、母さん、居るの〜?」
弥太郎は家の奥の部屋へと歩いて行く。
「はあ〜い、まあ〜、弥太郎なの〜?久しぶりねえ〜、どうしたのよ〜?こんな時間に〜?あなた、学校は〜?大学は、行かなくってもいいの〜?」
弥太郎の母親は清(せい)と言ったが、平日の昼間っから実家にやって来た次男坊に驚いた様子を見せる。
「ああ、母さん・・・急にごめんな・・・」
「あらあ〜、いいのよ〜、あなたがいいならねえ〜?学校かと思ってビックリしただけだから〜。あなた、お腹は空いていないの?何か食べる?」
「ああ、いいや・・・それより、母さん・・・話したいことがあるんだけど・・・いいかな・・・?」
「ええ?ええ・・・まあ・・・急に何かしらねえ〜?」
清は、息子の顔をマジマジと眺める。
(どうしちゃったのかしら・・・?この子には珍しく深刻な顔をしちゃって・・・変な子ねえ〜)
清は、居間の座卓に並べられた座布団に腰を下ろす。
「とりあえず、お茶にする?番茶だけど、淹れるわね〜」
「うん、ありがとう、母さん・・・」
弥太郎は気まずそうに空いている座布団に腰を下ろす。
「何かあったの・・・?弥太郎・・・?ミクちゃんと喧嘩でもしたの?」
清は明るい声で言う。
「ミ、ミク・・・は、関係ないんだ・・・」
弥太郎は胡座をかいて外方を向く。
「はい、お茶。熱いから気をつけてね〜。ふ〜ん、ミクちゃんとは関係ないなら・・・何かしらねえ〜?」
清は自分にも熱いお茶を淹れた。
「あのさあ〜、母さん?」
「なあに?」
「俺・・・どうしても勝ちたい人が居てさあ・・・」
弥太郎は湯呑みの中を覗き込む。
「いまのままでは・・・勝てそうにないんだ・・・」
弥太郎は湯呑みの中に写る自分の情けない顔をお茶に映して見る。
「そ、それでさあ・・・」
弥太郎は情けない顔を掻き消すようにお茶にフーフーと息を吹きかける。
「学校を辞めたいの?」
清は息子の心情を読み取るかのように言う。
「うん・・・俺、学問じゃあ勝てそうにないしさ・・・俺には俺の強みがあるって言うか・・・そこから攻めたいんだ・・・」
弥太郎は熱いお茶を一口啜った。
「そうね〜、弥太郎には弥太郎の良いところがたくさんあるから〜、母さん、そのどれも応援したいなあ〜」
清は変わらず明るい声で言う。
「それで〜?弥太郎は、何を考えているの〜?」
「ああ、うん・・・、俺・・・タケシって奴と海に漁に出てさあ・・・漁船に9日間乗せてもらったんだあ・・・」
「そういう話だったわよねえ〜、ミクちゃんやエリさんからも聞いたわよ〜。弥太郎が逞しくなって帰って来たって」
清は嬉しそうに弾んだ声で言う。
「俺・・・そういう世界も良いなあ〜って漠然と思ってさあ・・・」
「海の男に憧れたの?」
「いやあ〜、そうじゃなくってさあ〜」
「そうじゃなくって?」
「世界を持ってるっていいなって・・・俺、思ったんだ・・・」
「世界を・・・?」
「ああ、うん。決められたコース、決まった型・・・そういうのじゃなくってさ・・・その人の世界・・・俺も、そうなりたい・・・」
弥太郎はグイッとお茶を飲み込んだ。
「俺、兄貴みたいになりたいってずっと思ってた。キョウは自分の世界に生きてたし、俺の憧れだった・・・。急に居なくなった今でも、ずっとそうだった・・・。だから、アイツが行けなかった学校も・・・大学も・・・俺が行きたいって思った・・・けど・・・」
「それは、弥太郎の道じゃないって・・・気づいたの?」
「うん・・・俺・・・」
弥太郎は清を見つめる。
「俺・・・母さんの子だし・・・父さんや母さんの思い通りに生きたいって思ってた・・・でも、やっぱり、俺・・・」
弥太郎は言い出しにくいことを言うように吃る。
清はやさしく微笑んで息子の言葉を促した。
「いいのよ、そんなこと・・・あなたは、初めから、あなただもの。この世界でたった一人のあなたなのよ・・・、好きにしなさい、ねえ〜?」
清はポンっと弥太郎の肩に手を置く。
「母さん・・・いいの・・・?」
弥太郎は肩にのせられた母の手を手のひらで包んだ。
(母さん・・・あったかい・・・)
弥太郎は母親の温もりからこれまでの家族の思い出をいくつも思い出して行く。
(あったかい・・・俺の家族・・・家族の温もり・・・)
清は弥太郎が落ち着きを見せると急須のお茶を入れ直した。
「はい。いま、お茶菓子も持ってくるわね。今日はゆっくりできるの?一緒にお夕飯食べれそう?」
「あっ、う、うん・・・急に来ちゃって、ごめん・・・母さん・・・」
「良いのよ〜、響太郎も弥太郎も思いついたら即、行動だったじゃな〜い?懐かしいわあ〜」
清は台所に立って言う。弥太郎は清に付いて歩いて回る。
「こうしてあなたが私に付いて回るのも久しぶりだわねえ〜、あの頃が懐かしい〜」
実家の台所には至る所に傷跡が残っていた。それらは幼かった息子たちがオモチャを振り回しては付けて行った傷跡だった。
「俺もキョウもはしゃぎ過ぎてたよなあ〜」
弥太郎は今更ながらに苦笑する。
「男の子だもの〜、当然でしょう〜?今じゃあ、物足りないくらいよ〜、ウフフ」
清は笑う。
「もっと、わがままになって、母さんを困らせるくらいでいいわ、特にあなたは・・・、気を遣い過ぎてるわ。だから、こうして、わがままを言いに来てくれたこと、ホントうれしいわ〜」
清は茶菓子を器に移す。
「それで〜?どこに行くつもりなの〜?」
「えっ?」
「えっ?って〜?旅に出るんじゃないの・・・?それとも、他にも何かやりたいことでも?あるの〜?」
清は息子のことは何でもお見通しだと言わんばかりに言う。
「ま、まいった・・・母さん・・・スゴイなあ〜、何でもわかっちゃうんだ・・・?」
「フフフ、そりゃあ〜、そうでしょう〜?あなたを産んだんですもの〜。分かっちゃうわよ〜」
「ありがとう・・・母さん・・・」
弥太郎は茶菓子の器を受け取ると一つ二つと菓子をつまんだ。
「俺、まずは地形を見て歩くよ・・・」
「地形?」
「うん。地形だけはそうそうなかなか変わらないだろう?そこから生み出される生活や産業、農作物・・・工芸や伝統・・・そういうものたちを見て来たいんだ・・・」
「そ〜う、あなたらしい発想だわねえ〜」
「そ、そうなの?」
「亡くなったお父さんに似ているわ・・・」
「お、親父に・・・?父さん、教師じゃなかったっけ・・・?」
「そうね、理科の先生だったけど・・・」
「地理とかも詳しかったんだ?」
「そうねえ〜、趣味だったのかも・・・」
「趣味って、そんな趣味あったかなあ〜?」
「フラフラ〜っと居なくなることはよくあったわよ〜」
「そ、それって・・・響太郎じゃん・・・」
清と弥太郎は笑い合う。
「ウフフ、似ているでしょう〜?遺伝ってすごいわよねえ〜」
「じゃあ、俺は?母さんに似てるの?」
「どうかなあ〜、弥太郎は〜?」
「母さんは?地形とか好き?」
「地形かどうかは知らないけど・・・知らない場所を見つけて歩くのは好きだったわねえ〜」
「ハハハ、母さんらしいや」
弥太郎は、知らない街で母親と迷子になった過去を思い出す。
(あの時も、母さんは知らない街で探検しようって・・・俺たちの手を引いて歩いて・・・案の定、迷子になって・・・)
「ククク・・・」
弥太郎は思い出し笑いが止まらなかった。
清は弥太郎の背中を押す。
「そうやって、いつでも笑い飛ばしちゃいなさい、母さんも大丈夫だから、ほら。ねっ?」
「ああ、うん。俺も大丈夫」
弥太郎は満面の笑みで答えた。
弥太郎が実家を訪れてから2年が過ぎた。同級生だった者たちは卒業をして就職をしたり大学院へ進んでいたりした。弥太郎は休学の状態で籍を残してあった。ミクはヤマトの会社に戻り、以前と同じようにヤマトのそばで働いていた。エリはいまだに死別を拒み、弥太郎の義姉のままだった。ミクとのシェアハウスはそのまま使っており、ミクも生活の基本は変えないままだった。
弥太郎はまだ国内には居るようだった。人手不足が深刻な中山間地域では弥太郎のような若い人手はどこに行っても喜ばれた。弥太郎は肉体労働の代わりに一飯一宿を頂いては食い繋いでいた。そうして、いまだにまだ残る地域の伝統や技術を見せてもらい、この先には消えてしまうであろうそれらを眺め歩いていた。
「おお〜い、坊主〜?」
「うおお〜い、じいちゃ〜ん、こっち〜、こっちだよ〜」
「もうすぐ雨が降りそうだ〜、戻ってこ〜い」
「ひゃあ〜、もう少しだったのに〜、惜しいなあ〜」
「坊主〜、なんでも思い通りには行かねえぞお〜、自然さ相手じゃ〜なあ〜」
「ぐあ〜っ、どう〜も、そう見たいっすねえ〜」
弥太郎はピカリっと光り出した稲光を眼前にする。
「こうなったら、しばらくはダメだ〜、ここで雨宿りだな〜、坊主〜」
「じいちゃんもいっつもこうかあ〜?」
「あ〜あ、いっつもこうだあ〜、焦ったってしょうがないべえ〜」
老人は白い歯を見せて笑う。
「思い通りには行かないかあ・・・」
弥太郎は老人の後ろ姿を見つめる。
(じいちゃんたちも・・・ずっと・・・こうして・・・山に生き・・・海に生きして・・・俺たちの代までやってきて・・・残るもの・・・残らないもの・・・見てる・・・俺も・・・そのどれか一つでも・・・残して・・・そうして生きていけたら・・・)
”ピカッ”
”ドドドドドドオ〜ンッ”
稲光とともに破裂するような激しい音と地響きが轟く。辺りは強い雨風が吹き出した。弥太郎は山の頂きに向かって雲が晴れて行く様子を見つめる。
(俺・・・そろそろ、ミクを迎えに行く・・・、俺の恋人はミクだけだって・・・)
「ミク・・・俺の恋人。待ってろよ〜」
弥太郎は雷鳴に負けない声でミクの名を叫んだ。灰黒の空には紫色の稲妻が空を覆い尽くした。それは空に流れる幾筋の川のようだった。
<完>
弥太郎くんの恋人 十夢 @JYUU_MU
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