エピローグ
△▼ (小林玲奈)
自室のベランダから雲に覆われた消えかけの三日月を見上げる。
足下をがんじがらめにされた月が自分の存在を維持したい、まるでそう誰かに助けを求めているように映った。
無意識にその姿と自分とを重ねようとしていることに気付き、私は首を横に振る。
拓海君……。今頃どうしてるだろうか。
今まではそれを考える事すら怖かったのに、その怖さが少し和らいでしまっていることに対して逆に怖くなってしまう。
あれからかなりの時間が経ってしまった。
当初は許すとか許してくれるとかじゃなくて、『許されるわけがない』と思っていたのに……。
その気持ちは時間と共に少しずつ自分に都合よく歪められ、今では彼なら許してくれるのでは無いかとさえ思ってしまっている自分がいる。
関係は終わらせたかったはずなのに許して欲しいなんて……。
我ながら馬鹿げてる。
恐々と拓海くんとのチャット画面を見る。
メッセージを見なくなってもうどれくらいの時が経つだろうか。
当然……あれ以降、彼からの連絡は無い。
>ここから未読。
未読一件目は彼の料理写真とそれに対する説明文が画面に溢れかえっていた。
いつもの通り一生懸命に思いを詰め込んでくれたのだろう。以前は見るのがあんなに怖かったメッセージなのに今では不思議とそう思えた。
二件目 >玲奈さん何かあったの?
そしてそのすぐ下に最後のメッセージ……、
三件目 >今から会えないかな?
三件目は……思い出したくも無い、あの日だった。
あの日、拓海くんは私に連絡をくれていたんだ。
もう1度メッセージに目を落とす。
今から会えないかな……。その文面の奥に、あの時の悲しそうな彼が浮かび上がり、自分勝手に和らぎかけていた胸がズキズキと締め付けられた。
最低だ……。ほんと最低だ。
ごめんね、拓海くん……。
私は最低の人間だ。
▲▽
「おっつかれ~!! 気をつけて帰ってね」
バイト終わり、いつも通り由紀さんに見送られながら店を後にする。
すぐさまポケットから取り出したスマホを確認するも、今や恒例ともなった井川からのチャット通知が一件だけ。残念ながら怜奈さんからの着信は無かった。
電話したのにな……。
もう連絡が来ることはないんだろうか。
そんな風に溜息混じりに顔を上げた俺は次の瞬間、信じられない光景を目にすることになる。
以前、井川がバイト終わりに待ってくれていた壁際。一人の女性が俺を見つめていた。
ただただ口を開いたまま、脚がピタリと止まる。
一方の彼女は俺が気付くのを待っていたらしい。
目が合うと手を振るでもなくこちらにつま先を向け、未だ立ちすくむ俺にゆっくりと歩みを寄せてくる。
凛とした佇まい。絹のような綺麗な長い髪を揺らしながら、でも頬は少しこけてしまっているように映った。
声の届く距離になって、俺はようやく声を絞り出す。
「玲奈、さん……」
近くのカフェに場所を変えた俺たちは周囲に
お互いの手元にはあくまで席に着くためにだけ注文したまるで手を付ける気配のないアイスコーヒーが。
耳障りの良いオルゴールメロディが流れる店内に続く無言の時間。
解いたのは玲奈さんだった。
「バイトで疲れてるのに、ごめんね」
いつもなら苦笑いのひとつでも付け加えそうな場面。玲奈さんの表情は変わらない。それどころかまるで感情が抜け落ちてしまったかのようにすら映る。
「時間は取らせないから」そう前置きをする玲奈さんの口調はやはり淡々としたものだった。
「ごめんなさい。……あんなところを見せて。あんなところを見られて、許してもらえるなんて思ってない。声だって聞きたくないと思う。でも、拓海君に謝りたくて……今日は来たの。あと——」
続く言葉は当然……『別れ』、なんだろう。
言われ、当のシーンを思い出すものの不思議と怒りは湧いてこなかった。
それよりも生気を失った玲奈さんのことがどうしても気になってしまう。
「そんなこと……。許すとかどうとか、そもそも理由も分かってないのに。それより、俺の方もごめん。あの時はなんていうか感情が全然抑えられなくて。もっと冷静になって、せめて話くらい聞けば良かったのにって、今ではそう思ってる」
「拓海君……」
一瞬驚いたような
その時、今日初めて彼女の感情が垣間見えたような気がした。
「あ、あのさっ。聞きたいことが、あるんだ。聞いてもいいかな?」
無言で頷く彼女に俺は続ける。
「玲奈さんは、あいつ……のことが好きなの? 好きだから、そういうことになったの? 俺と……別れた後はあいつと、その……」
たどたどしい言葉だったけどなんとか伝わってくれたらしい。
覚悟を決めた様にすぅっと目を瞑ると、玲奈さんは無言で首を横に振った。
「好きよ。でも拓海君にあんな想いをさせておいて、さすがにそこまで図々しいことが出来るわけ無いから。直樹とは学校で会うことはあっても、もう二度と二人きりでは会わないつもり」
決意すら宿る目に嘘は見られない。
ただ……、好き。その一言が胸に重くのしかかる。
そんな彼女に俺はもう一つ質問をぶつけることにした。
「チャット。なんでずっと返事くれなかったんだよ。俺、玲奈さんのことが心配で……」
一方の怜奈さんは少しの間無言で。その後、ゆっくりと口を開いた。
「これから話すことは拓海君にとってもツラいことだと思う。……それでも、訊いてくれる?」
俺にとってツラいこと……。
覚悟はしてた。頷いた俺に向け、玲奈さんは少し迷いながらも真実を告げてくれる。
俺はそのひとつひとつに耳を傾けた。
いつの間にか俺からの連絡が苦痛になってしまったこと。
俺が玲奈さんのことを本当に好きなのかどうかが分からなくなってしまったこと。
俺が今はいない自分の母親を彼女に重ねてるんじゃないかと思ってしまったこと。
そして逆に玲奈さんがそんな俺に対して母性を注ぐ自分に酔っていることに気付いてしまったこと。
同時に……俺自身のことをそれほど好きじゃない自分に気付いたこと。
「別れ話をするのが怖くって。別れたら拓海君をすごく傷つけちゃうんじゃないかって、立ち直れなくなるんじゃないかって、ずっと逃げてた」
「玲奈さん……」
「逃げて逃げて……。依存されることに怯えてたはずの自分が結局甘えさせてくれる直紀に依存して。あんな最低なところを見られて。あなたのこと、沢山傷つけて」
必死で感情を押し殺そうとしてるのが分かる。
泣いちゃ駄目だって必死で自分に言い聞かせてるのが分かる。
「裏切ってごめんなさい。もっと早く別れようって言ってたらこんなことにならなかったし、きっと拓海君だって許してくれたはずのに。今だったらそう思えるのに……、本当にごめんなさい」
「……でも。それだったら俺だって玲奈さんのことを苦しめてたわけで……」
「違うのっ。拓海君が悪いんじゃない。ただ私が弱かっただけっ。
ほんとに……それだけはわかって。お願い……」
絞り出すような声。
その言葉を最後に俯いた俺を残し、玲奈さんはゆっくりと席を立った。
残された俺が席を立ったのはそれからどれくらい後だったろう。
帰り道、不思議と涙は出なかった。それよりも悔しさだけが残ってた。
なんで気付かなかったんだろ。
なんで気づいてあげられなかったんだろ……。
玲奈さんが苦しんでたのに。
彼女のことが心配だなんだって口では言いながら、結局俺は自分のことばっかで……。
でも、そんな彼女に掛けてあげられるいい言葉がどうしても見つけられなくて。
眼の前からいなくなる玲奈さんを呼び止めようとする自分もいなくて。
掴もうとした手が空を切るような形の無い感情だけが残る中、
夜空を見上げると、今にも欠けてしまいそうな三日月が俺を見下ろしていた。
(第1部了)
※第2部を書き上げ次第、連載再開します。
【改版】NTR直後、謎の美少女と出会った俺が本当の恋に落ちるまで 若菜未来 @wakanamirai
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