第21話


 小テーブルの下で胡坐あぐらをかいた膝が小刻みに揺れる。

 そわそわする。というかかなり前からそわそわしっ放しだ。


 ぐるりと見回す室内は比較的簡素ではあるものの所々にピンク系の女の子らしい置物や配色があり、やはりここが女子の居住空間なのだと、そう実感せざるを得ない。


 そもそも間取りが同じなんだ。大抵のことは想像がつく。

 つまりすぐそこに見える扉の奥が多分永瀬の部屋で、今いるリビングここよりももっと女子濃度が上がるんだろう。

 

 まあなにせ落ち着かないのである。


 と、いうことで土曜の昼下がり、俺は永瀬宅にお邪魔していた。

 

 なぜか。


 答えは簡単。来週から始まる期末試験に向けて一緒に勉強をする事になったからだ。

 もちろん永瀬からの誘いで。 


 字面じづらの通り一緒に勉強するだけで特段何を教えて欲しいとまでは言われてない。

 意外というかへぇというか、永瀬はほどほどに勉強が出来るらしい。

 ちなみに俺も人に誇れるほどでは無いにしろ成績自体は悪く無い。というかどちらかと言えばいい方だ。


 だったら個別に勉強すればいいんじゃ? そう思いつつも断れなかったのは……。


 この前永瀬あいつには迷惑掛けたからなぁ。

 馬鹿みたいに勝手に話し始めて勝手に泣きまくって。みっともなさ過ぎた俺に何を言うでもなくあの日、泣きむまで優しく寄り添ってくれた永瀬。


 あったかくて。それに心が安らいで……。

 なんつうか、涙と一緒に色んな憑き物が剥がれ落ちたような気すらする。


 実はあの日の晩、俺は玲奈さんに電話を掛けてみた。

 繋がらなかったけど。

 というのも、どこまでいっても心の腫物を取り除くためには……前に進むためには今のままには出来ないと思ったからだ。


 ただ、今までは恐くてやろうとすら思いもしなかったことをやれるくらいにはすっきり出来たんだと思う。


 だったら一緒に勉強するくらい断れないというわけで。


 そんなことを考えているとキッチンにいた永瀬が姿を現した。


「田中君。コーヒー、インスタントだけどいい?」


「うん。サンキュ」


 永瀬は休日なのに制服姿で、食事を作る訳でも無いだろうになぜかエプロンを羽織っていた。


 多分、これは俺を励ます狙いがあるんじゃなかろうかと思ってる。

 だってテレビ台の横に落ち込む彼氏を励ませ特集的な雑誌が転がってるから。

 

 でもな……。まさかこんなことで効果があるかよって。そう思うのに……。

 想像に反して高揚感に満ち溢れてる自分にぶっちゃけ驚いてる。


 いや、というより反則的に可愛い過ぎるんだって!

 髪を白いリボンで結んでポニーテールっぽくアップさせているのがまたいいし、そもそも永瀬自体が俺のタイプど真ん中なのだからどこまでいっても可愛いに決まってる。


 永瀬は笑みを浮かべながらコーヒーカップをコースターの上にそっと置くと、俺の隣りに座った。同時にふわりとシトラスの香りが鼻先を掠める。


「あの、永瀬さん? 別に勉強を教え合うわけでもないんだし、座るの正面で良くない?」


「そう? でも、もしかしたら何か聞くかも知れないし。田中君だってそうでしょう? それに偶然肘とか当たったら嬉しいじゃない」


 そう言うと永瀬が悪戯っぽい表情かおで俺の肘を小突いてくる。


「それ当てにいってるからっ」


「偶然よ。偶然」


 何食わぬ顔でサラリと。

 結局こいつが焦ったとこを見れたのは玲奈さんのマンション前で初めて会ったあの時だけだったな。

 というか、まさか永瀬のほうだって数年ぶりに話した恩人があんな奇行に走るなどと思いもしてなかったんだろうけど。ぐ、思い出したらまた申し訳なくなってきた。


 まあそれはともかく。

 まず言わなきゃいけないことがあるよな。


「永瀬。この前はありがとな。それとみっともないとこ見せてごめん」


 頭を下げた俺に一瞬驚いた永瀬だったが、優し気に頬を緩めると首を横に振る。


「いいのよ。それにみっともなくなんてなかった。逆に嬉しかったくらいだもの」


「えっ」


「だって。少なくとも私のことを信用してくれたってことでしょう? 初めて会った日はハンカチも受け取ってくれなかったんだから。大した進歩だと思うわ」


「それは……うん」


 そうだな。自分の弱いところを見せられるっていうのはきっとそういうことなんだと思う。

 

 そういえば。玲奈さんの前での俺はどうだったんだろう。

 なんか、弱いとこを見せたっていうよりはただ甘えてただけな気もする。


 と、肘がこつとぶつかり。またシトラスの香りがふわりと。

 顔を上げると永瀬の真剣な目とぶつかった。

 

「嫌なことは全部忘れちゃえばいいのよ。少なくとも私といる時くらいは。ね」


「永瀬……」


「それより今日は勉強しに来たんでしょ?」


「うん、そうだな。ごめん。じゃあ始めるか」


 その後、俺たちは互いに教科書や問題集に目を落とす。

 文字と向き合っていると意外と集中できるもので、さっきまでの緊張がバカみたいに消えるのだから不思議だ。

 ちらと横を見る。永瀬もちょっかいを掛けてくるのかと思ったら真面目に勉強しているようだ。



 ——あれから2時間くらい経過しただろうか、少し集中力が切れ始めてきた。


 隣に座る永瀬は相変わらず集中しているようだ。

 なんなの? こいつ実はめっちゃ賢いんじゃないの?


「ごめん、永瀬。ちょっと疲れたから休憩するわ」


 俺はすっと立つとぐぅ~っと大きく伸びをした。はぁ、体が解放される。

 

「え、もうこんな時間。ごめん、コーヒー入れ直すから」


「あっ、大丈夫だから! 喉乾いてないし。それにそんな何杯も飲まないからさ。つうかお前すごい集中力だよな。実はめっちゃ成績いいんじゃないの?」


「全然よ。私不器用だからみんなの倍くらい頑張ってやっと人並なの」


 永瀬は冗談めかす様子もなく首を横に振った。


 ほんとこいつってキャラ判定の難しい奴だ。

 突拍子もないことや強引なことをすると思ったら常識的な行動も出来るし。

 不純なのかと思ったら意外と真面目だし。


 少し間を置いて永瀬に視線を移すと、彼女は潤った唇から言葉を紡ぐ。


「ねえ、田中君……。今日、泊まっていかない?」


「は? なっ。急に何言い出すんだよっ」


 急激に顔が熱くなる。何言ってんだよこいつ。

 

「付き合っても無いのに駄目に決まってんだろ! それに今日は兄貴だっているし夕飯作んなきゃだし」


「そっか……。そうよね」

 

 でも、もしかしたら励まそうとしてくれてるだけかもしれないんだよな。

 冷静に考えて泊まるなんてやっぱ無理だけど、何か代案は無いものだろうか……。


 そう思案した俺にひとつの案が舞い降りた。


「永瀬。今日はうちで一緒に夕飯、食べないか? 兄貴も一緒だけど、皆で食べたらきっと美味しいと思うんだ」


 永瀬はきょとんと俺の方を見る。


「どうせ永瀬だって夕飯の準備するんだろ? なんなら一緒に作ってもいいしさっ。そっちのが楽しそうじゃないかな」


「それはそうだけど。でも……いいの?」


「誘ったのはこっちなんだからいいに決まってるだろ。よしっ、そうと決まれば一緒に買い物行って、歩きながら何作るか決めようぜ」


「そうね。うん、ちょっと楽しそうかも。ありがとう、田中君」


 目の前で目を細める永瀬は本当に嬉しそうに見えた。やっぱ一人で食べるのって寂しいんだろうな……。言って良かった。そう思う。


 その晩、うちで食卓を囲んだ俺たちは3人で沢山の話をして盛り上がった。


 永瀬はやはりとても嬉しそうで、


 そんな彼女を見れた俺も少し嬉しくなった。





*****************

次話で第一部エンドです。

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