第19話
「蒼さーん!!ここ!ここ!」
送られてきた場所に一目散に向かうと、來海は僕に見つけてもらおうと大きく手を振っていた。僕は少し小走りになって、來海のもとへ駆け寄った。
「ごめんなさい、気づくの遅れちゃって…」
「全然だよ!でも、既読ついたのに返信無かったのはちょっと心配したかも…」
「ごめんなさい。遅れちゃってたから、焦ってて…」
「大丈夫だよ!こうやって会えたことだし!」
「………うん。」
他人に迷惑をかけてしまった。心配をかけてしまった。何か一言でもいいから送るべきだった。自分は良かれと思って急いできたのに。この気持ち、いつぶりだろう。テニスから離れてから人と関わることが少なくなった僕にはなんだか新鮮に映った。
「一緒に夕食でもどうかな?今回は僕の奢りで!何か食べたいものとかある?」
來海は嬉々として、僕に問いかけてくる。
「え?奢り?」
「そうだよ!今日、会場まで連れてきてくれたお礼!」
來海と僕は今日初めて会った、まだ関係性は低い。そんな人から奢ってもらってもいいのだろうか。まして、会場まで連れてきただけで。
「ねえ。僕お腹すいたんだけど〜蒼さんが決めないなら、僕決めちゃうよ!」
「あのさ、本当にいいの?一緒に来ただけだよ…?」
「いいの!だって、楽しかったし!早く決めて!」
僕は來海の好意に甘えることにした。てか、断れないぐらいの勢いに負けたのかも知れない。でも、僕の身体の中には食べたいものを決めるだけの傲慢さは持ち合わせていなかった。
「なんでもいいよ!」
來海は一瞬の沈黙の後、見慣れた笑顔に戻って喋り始める。
「『なんでも』は難しいな〜」
「じゃあ、駅まで歩きながら決めよう!」
來海は僕の提案を承諾して、二人は歩き始める。太陽はもう夕日のオレンジ色になり、あたり一面を暖色に変えている。車道は会場から出てきた車でちょっとした渋滞に見えた。歩道には僕たちと同じように駅へ向かう人がちらほらいる。一人で感傷に浸るのは、また今度にしよう。今は二人。僕は來海に気づかれないようにスマホに「夕飯食べて帰る」と打ち込んだ。
「やっぱり、一曲目の『雲が落ちてきた日』が最高だったよね!マリンちゃんもかわいかった、セレナちゃんはかっこよかったし、もう、みんなすごい!」
テーブルを挟んだ僕の向かいにいる異様にテンションの高い來海はお店の中で、一番の注目を集めている。
「うん…そうだね…」
僕の苦笑いなんてお構いなし。來海のマシンガントークは止まらない。僕たちは駅までの道で見つけたファミリーレストランで夕食を食べることにした。
「でも、『地獄に生きよう』も捨てがたい。しっかし、僕の推しは可愛すぎる。」
会話のキャッチボールは何故か一人になっても止まることはない。二人の目の前のお皿はとっくに空になっている。窓の外はすっかり薄暗い雰囲気を醸し出している。
「蒼はどの曲が一番好き?」
「えっと…『雲が落ちてきた日』かな。」
「そっか〜やっぱり『雲が落ちてきた日』、良いよね〜」
うんうんと大きく頷きながらコップに残ったドリンクを飲み干したとき、來海は声を上げた。
「あ〜!」
來海はその声と同時にコップを乱雑に机の上に置くと、急いでスマホを取り出す。
「どうしたの?」
「門限が…」
僕も急いで腕時計に目を落とすと、十九時を少し過ぎていた。急に静かになった來海は急いでスマホを操作している。
「急いで帰らなきゃ~!ここのフルーツパフェ食べたかったのに!」
テーブルの上に出していたメニュー表に目線を移して來海は自分への怒りと共に言い捨てている。
「門限何時?」
「二十時なんだ…ごめんね…もっと話したかったよね…うち門限厳しくて…」
來海のマシンガントークは続いている。そこから二人で急いで片付けて席を立った。
「ありがとうございましたー」
店員さんの挨拶に軽く会釈して店を出ると、外はもう夜だった。こんな時間に外に出てるなんでいつぶりだろう。昼間は暑いぐらいだったのに、日が落ちると少し肌寒い。
「門限、間に合いそう?」
「急いで帰ればなんとか…」
來海は迷いなく駅に向かって歩き始める。それに続いて僕も歩き始める。もう帰宅ラッシュも済んだ頃だろうから、帰りの電車は座れそうだな。車道を走る車はライトを煌々と照らしながら早歩きの僕たちを抜かしていく。その時、僕の前を歩いていた來海は手をあげた。
「蒼って家どこら辺?」
「えっ?」
急な出来事すぎて僕はすぐに反応できなかった。來海はタクシーを止めたのだ。しどろもどろになりながら自分の家の場所を伝えるが、來海とは目が合わない。來海は手元の財布に目線を落としている。
「あ〜…それだと、うちとは真逆になっちゃうね…」
來海はそう言いながら財布から二万円を取り出した。
「ここからだったらこれくらいで足りる?」
財布から取り出した二万円を僕の手に握らせながら來海は聞いてきたが、僕の頭はこの状況に追いついていない。
「あっ…うん…」
タクシーなんて使わないから分からないのに僕の頭は頷くことを選択した。タクシーは僕たちの近くに止まり、後部座席のドアが開く。
「じゃあね!今日は楽しかった!また連絡するね〜」
「あっ…うん…」
來海は次に来たタクシーを止めて乗り込んで行った。僕はもう同じような反応しかできなかった。嵐の過ぎ去った後の静けさ。タクシーのエンジン音さえ僕の耳には届いていなかった。
「お客さん!早く!」
タクシーのおじさんの声が頭の中に響いてくる。
「早く!ここあんまり長く止まっていられないから!」
「あっ…はい!」
正気に戻った僕は良い返事をして、タクシーに乗り込んだ。
「どちらまで?」
一人でタクシーなんておそらく初めてであろう。少し緊張しながら住所を言うと、タクシーは走り始めた。キラキラしたビルの光が窓ガラスに照りつける。都市部を抜けると、外は徐々に暗闇に包まれていく。車の中から見る景色はいつも見ている街を違うものとして写している。見覚えのある道でさえ、気づくまでに少し時間がかかってしまった。
「五千二百十円です。」
タクシーが家の前に止まると、おじさんは運転席から後部座席に向かって顔を出した。手には來海から渡された二万円がある。でも、僕は自分の財布からタクシーの代金を出した。そして、その二万円は財布の違うところにそっとしまった。タクシーを降りておじさんにお礼を言うと、おじさんは「おう!」と言ってドアを閉め、走り去っていった。
「今日は楽しかった〜!でも、疲れた〜…」
僕は玄関のドアを開けながらため息まじりに言う。玄関からリビングのドアを見るとすりガラス越しにリビングに灯りがついているのが分かる。
「おかえり。夕飯食べてきたんでしょ?お風呂入っちゃって!」
聞き馴染みの母さんの声を聞いて日常に戻った僕は、元気に返事をした。
恋歌 ~僕が推しになったのは~ 河底の森 @kawazoko
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