第8話 叔父の話

 ここで一つ私の家族の話をしようと思う。

 それは私の叔父の話である。もう随分と亡くなって久しい。私が子供の頃に亡くなったから、もう相当前の話である。叔父とは子供の頃に何度か対面しているのだが、正直なところ殆ど記憶に残っていない。母が言うには叔父が入院している際に幼い私を連れて見舞いに行ったそうで、その際に

「まだ昼食を摂っていないなら、食堂に寄ってみるといい。窓から大阪城が見えるぞ。」

 と言ってくれたそうだ。母曰く、病院の食堂で昼食を摂るのはなんだか気が引けたので、食堂には寄っていないとのことだ。

 正直なところ、この話には特別な落ちも恐怖を覚えるような恐ろしい怪異も無い。先に書いておく。しかし、この場を借りて叔父のことを書き留めておくことは個人的に意味のないことではないと思う。



 私の叔父はギタリストだった。それもフラメンコギターの奏者であった。人生の殆どの時間をフラメンコギターのために費やした。生前、フラメンコの雑誌で特集が組まれたことがあるほどの人物だった。

 叔父が子供の頃、世間はビートルズに熱狂していた。ビートルズのメンバーのように髪を伸ばそうと思う男性たちが多く発生した。今となっては男性が髪を伸ばすのはさして珍しいことではないが、当時としてはかなり異端だった。そして叔父も異端児の一人であった。

 ある時祖母が近所のご婦人と世間話をしていると、ご婦人が眉を潜めて

「あれ見て、あんな髪伸ばして。とんでもない不良やね。親の顔が見てみたいわ。」

 そう吐き捨てるように言った。祖母がふと顔を向けるとその不良は我が子であった。つまり、この話の主役たる叔父であった。祖母は何も言わずにうんうんと言うよりなかった。

 今となっては髪型なぞ個人の自由であるが、当時はそうもいかない。今よりも世間体を大事にせねばならない時代だったからだ。祖父は何度も叔父に

「髪を切れ。」

 と言った。しかし叔父は一切聞き入れなかった。

「お前、しまいに寝てる間に髪の毛切ったるからな。」

「出来るもんならやってみいや。」

 その夜である。祖父は鋏を片手に叔父の部屋に乗り込んだ。そしてすうすうと寝息を立てている叔父を捕まえて虎刈りにしてしまった。次の日、壮絶な親子喧嘩が勃発したのは言うまでも無い。



 当時の価値観で言うと叔父は不良だったのかもしれない。ただ、そのままだと少し個性的な人で終わったのだろう。しかし、叔父の人生が良くも悪くも狂ったのは叔父が中学の頃だ。街の商店街にあるフラメンコギターのスクールを見つけてしまったことだろう。珍しいもの好きな叔父がふらりと足を運ぶと、それから叔父はフラメンコギターの虜になった。その日から叔父は狂ったようにギターのお稽古に明け暮れた。髪は相変わらずビートルズのように伸びっぱなしだった。



 叔父はギターにのめり込んでそのまま人生をギターに捧げた。昭和の芸人たちのような生涯だった。

 ある時、フラメンコのイベントに後輩を連れて出演し、一通り出番を終えると、給料の入った茶封筒(当時は手渡しだった。)から少しだけ抜き出して、そのまま後輩に渡してしまった。

「これで美味しいもんでも食べて帰りや。」

 そう言い残して颯爽と帰って行った。そんな調子だから叔父はよく金欠に悩まされていた。

「お母ちゃん、金貸してくれへん?」

 そう言って何度も祖母を閉口させた。

 そうこうするうちに結婚して家庭を持って、奥さんを日本に残してスペインへ渡った。現地のタブラオでラファリンの名で名を馳せたとのことだ。夜、銃声を聞きなが仲間達とギターのお稽古に勤しんだこともあると聞く。よくそんなところで生き残れたものだと今になって思う。そこで叔父は自分と同じようにドイツからスペインへ渡ってきたダンサーの女性と良い仲になる。かなり良い仲になったようだが、詳しいことは分からない。私が知っていることは叔父が日本に帰国した際に、かの女性が叔父を追って日本まで来たということだ。

 叔父としては家庭もあるし、大層困ったことだろう。かの女性は行くところもなく、叔父の実家に落ち着いた。叔父の記憶は殆どないが、叔父を追って日本まで来た女性のことはよく覚えている。

 子供の頃、祖父祖母の家へいくと背の高い海外の女性が

「オォーウ」

 と言って笑顔で出迎えでくれたのを覚えている。祖母も

「ウォーターメロン食べるか?」

 とその人に言っていたので、日本の家庭に馴染んでいたのだろう。心細い異国の地で叔父を追って来ていたその方にとって、祖父祖母の存在はありがたいものだったのかもしれない。子供の頃の私は異国の女性の耳元に光るピアスを見て、少し恐怖したのを覚えている。人生で初めてみたピアスをした人がその人なのだ。子供心に鉄の針が耳を貫通している様子を冷静に観察し、身体に穴が空いているという事実に言いようのない恐怖を感じた。今にして思えばもっといろんなことを話せばよかったと後悔している。

 ドイツから来た女性の存在は、叔父の妻、私の叔母から見れば穏やかな話ではなかっただろう。もしかすると「大人の話し合い」があったのかもしれないが、詳しいことはわからない。



 帰国後の叔父はまた精力的に音楽活動を続けていた。

ある時叔父の友人がタクシーに乗った際に、世間話からふと友人がフラメンコギターの奏者をしていると言うと、たまたま運転手もフラメンコが好きだったとみて、詳しく話を聞いてくる。その友人が叔父の名前を言うと

「○○さん言うたら、大阪で一番の人でっせ」

 と叫んだと言う逸話があるくらいだから、叔父もかなり頑張ったのだろう。

 しかし、人の一生は儚い。叔父は難しい病気に罹って入院を余儀なくされた。

 私の知る叔父はこの頃の叔父だ。

 古いアルバムを捲ると若い頃の叔父の姿がある。細い目の奥から覗く刃物のような輝き。ビートルズ風のお洒落な髪、胸元まではだけた薄い青のカッターシャツ。さらに頁を捲っていくと、短く刈り込んだ髪に、疲れた目をした叔父がぎこちなく笑う写真が出てくる。精悍だった顔は下膨れになって力なく虚空を見つめている。しかしギターを弾く写真を見ると、目の奥に剃刀のような輝きが灯って言いようのない力強さを放っている。

 叔父の葬式が終わって一族揃って叔父のコンサートのビデオを見ていると、誰も彼も叔父が目の前にいるかのようであった。かつて誰もが熱狂したビートルズ以上に、その場にいる誰もが叔父の晴れ舞台に心酔した。

雑誌の特集のために撮られた写真は遺影として今も親族たちを見守っている。



 叔父が亡くなってから、叔父が愛用していたギターは私の兄に引き取られた。

 ギターを引き取ったその夜、兄はギターを自室の隅に飾った。誇らしくもあるが、今はまさに寂しさの象徴だった。ぼうっとギターを眺めていたが、しばらくして階下の寝室へ移動した。寝室では家族たちが既に寝息を立てている。自分も眠りにつこうと布団に潜り込むと、目を瞑って寝ることに意識を集中させた。が、そうするとどうにも寝ることが出来ない。時折目を開けてじっと暗闇を見つめていると、自室からぼろんぼろんとギターをかき鳴らす音が聞こえてくる。他の家族がギターを触っているのかと思って、しばらく聞き入っていた。ふと冷静になると、自分以外の家族が全員寝室にいることに気が付いた。

「じゃああのギターを弾いてるのは誰?」

 そう思ったが、すぐに

「あぁ、おっちゃんが弾いてるんか。」

 不思議と恐怖は感じなかった。兄はそのまま叔父の演奏に聞き入っていた。

 緩やかに意識を失って気が付くと朝になっていた。



 そのギターは今も実家にある。

 ドイツからの客人はドイツと日本を往復しながら、今も活躍しているという。いつか話してみたいと思うが、その人にとっては思い出したくないことかもしれないので、連絡が取れないでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新・十ノ物語 辻岡しんぺい @shinpei-tsujioka06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ