最終話 不幸なんかじゃない

 ――三ヶ月後


幹雄みきおくん! あなたの里親になりたいってひとが!」


 百合子ゆりこ園長が慌てて僕のところへ来て、そう叫んだ。

 僕はもう中学生だ。チビ共だったら分かるけど、何かの間違いじゃないのか。

 学生服に着替えて、園長室へ。

 そこにいたのは女性弁護士の彩瀬あやせさんと、年の頃三十代半ば位の上品で優しげな雰囲気が漂う女性だった。僕ににっこり微笑みを向けている。

 長机を挟み、パイプ椅子に座る僕と園長先生。


「あの……僕、もう中学生ですので……何か間違えているんじゃ……」

「いいえ、間違いではありません」


 綺麗な女性は嬉しそうに微笑んだ。

 彩瀬さんが笑顔を浮かべながら、女性を紹介してくれた。


「幹雄くん、こちらの方は山下やました明日香あすかさんと言います」


 あすか? あすかって……


「えっ!?」

「はい、あの明日香さんです」


 あの男の元妻だったひとだった。

 明日香さんは我慢出来ないかのように立ち上がり、長机を回り込んで僕のところへやってくると、そのまま僕を抱き締めた。


「あ、明日香さん!? ちょ、ちょっと落ち着……」

「ありがとう……ありがとう……ありがとう……」


 明日香さんは声を震わせた。

 その様子に、僕も明日香さんの背中に手を回して抱き締め合う。

 十五年近く辛い目に会わされ続けてきた明日香さん。きっと筆舌に尽くし難い目にも会ってきたのだろうと思う。そんな中で、僕は初めての心を許すことができる味方なのだろう。


「幹雄くん、明日香さんはぜひ幹雄くんを養子に迎えたいって。母親としては初心者マークだけど、喜びも苦しみも一緒に笑い合える家族になりたいって。どうする?」


 抱き合いながら、園長先生に顔を向けると、いつもの優しい笑顔で頷いてくれた。


「明日香さん」

「……はい」

「……僕のお母さんになってくれますか?」

「はい! 凄く嬉しいです……」


 抱き締め合う僕と明日香さんに、大きな拍手を送ってくれた彩瀬さんと園長先生。遂に、僕にも家族ができた。こんなに嬉しいことはない。


「明日香さん、良かったですね! 王子様が息子さんですよ!」


 王子様? ……って何?

 明日香さんは、彩瀬さんにシーッと内緒のポーズをしている。


「幹雄くんは、自分の心に寄り添ってくれた王子様なんだってさ」


 彩瀬さんはいたずらっぽい笑みを浮かべ、明日香さんは顔を真っ赤にしている。まぁ、そりゃ本人に知られたくないよね。


「お母さんの期待に応えられるように頑張ります」


 赤面している明日香さんと改めて笑顔で握手。養子縁組の手続きについては、手慣れた園長先生と彩瀬さんに協力を依頼。


 こうして僕と明日香さんは家族になった。


 僕は明日香さんの住むアパートで同居することに。狭いながらも楽しい我が家を地で行っていると思う。今は、夜に布団を並べておしゃべりしながら寝るのが毎日の楽しみ。あまりに狭すぎて、お互いに色々と困ることはあるけれど、それすらも楽しいのだ。

 例の遺産は、税金を払った後も五十億円以上残った。母ひとり子ひとりの家庭が貯金している金額の単位ではないね。実際、こんなにお金はいらない。身の丈に合った生活をしようと、信頼できそうな投資信託などに預けることにした。運用益は、ひまわり園へ寄付することに。園長先生は大喜びだった。仮にこの残高がゼロになったとしても、元々あったお金ではないので、僕と明日香さんは別に構わない。これからも普通に働き、普通に通学する日々が続くのだ。これ以上の幸せはない。


 この世に生を受けて十三年。もしかすると、他のひとから見ると僕の人生は不幸なのかも知れない。でも、僕はとても運が良かったと思っている。人でなしな父親からは離れられ、母は命懸けで僕を産んでくれて、心優しい園長先生が僕を育ててくれた。賑やかで元気な施設のチビ共に僕の心は癒やされ、彩瀬さんという僕の良き理解者もできた。そして今、とても優しい明日香さんというお母さんまでできたのだ。こんな人生を幸せと言わずして、何が幸せと言えるのか。百億円のお金を積んだって、この絆は手に入らないのだ。


 お金なんかでは絶対に換算できないプライスレスな幸せを胸に、今日も僕はまっすぐに生きていく。



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百億円の価値 下東 良雄 @Helianthus

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