クリシェに飛躍

狐木花ナイリ

本文

「三人組をつくってください」

 体育教師の宣言を聞くやいなや私は慌てて近くにいた二人の名前を呼ぶ。

「マキ。ユカ」

 私達は仲良し四人組グループだから、一人余る。残った彼女が逡巡しているのを、私は静かにただ見ていた。


 ◇


 青とオレンジの狭間を疎らに埋める細い綿みたいな雲、それを背景にして飛んでいる名前の知らない鳥の影に手を伸ばす。

 奇行に走る馬鹿な自分を想像して、ため息を吐いた。空に手を伸ばすやつなんていないのだ。


 空を見上げるのは、数メートル先を歩く彼女達が理由。見慣れた制服三人組、その背中をわたしはただただ見据えて歩く。いつものわたしなら怖気付くことなく、彼女達の肩をとんと叩く。声をかける。「や」とか「よ」とか「おーい」って感じに。あるいは何も言わずに。

 振り返ってくれたら、わたしはどんな行動をとるかな。面白くない妄想にまた、ため息が出る。

 くだらないことを気にして、彼女達と一緒に帰れないのは体育の授業のせいだ。あの授業でわたしは喉につっかえをつくった。わたしの身体に重りを与えた体育教師が心底恨めしい。三人グループ?ありえない。わたし達は仲良し四人組で、その中にも、そりゃあ仲の良い順番というか、そういうのはある。でも──だから──つまり──裏切られた気分だ。

 虚しくなったわたしは、彼女達から目を離して、手元のスマホで漫画を読み始めた。

 漫画の中では眉太で幼い顔面の少年がモノクロの世界を鮮やかに駆け、敵をばったばった薙ぎ倒す。まさに一騎当千。蝶のように敵陣を舞い、蜂のように下っ端共をぶっ飛ばしながら、犯罪組織の基地ビルを登っていく。

 ぴかぴかのエフェクトを纏った主人公は、歪んだ性格の幹部達を理不尽なくらい暴力的に成敗していく。これが正義だ、そんな顔をして。最後には人質として捕らえられていた少女がビルの屋上から投げられてしまう。もちろん、主人公は迷うことなく、彼女を追って飛び降りる。

 こういう漫画が好きだ。読んでいて爽快、気持ちが良い。主人公は一貫していて、しかも負けない。だから、安心して読める。読者を──わたしを裏切らない。

 今週の更新分は、丁度少女を助けた場面で終わった。現実逃避にも一段落がついて、スマホをポケットにしまったころには、彼女達の姿は見あたらなくなっていた。わたしはその場に立ち止まっていて、つまり、集中していたらしい。確かに今回のも面白かった。


 わたしはティー字路の分岐に立っていて、脳内では地図が構成されていく。友達とわたし、それぞれの下校ルートを脳内地図に記して、どこを通れば鉢合わせるか、どこを通れば鉢合わせないか。意味が無くて、まったく無駄な、何にもならない思考を巡らした後、結局はわたしの最短ルートを選んで進むことにした。


 そしてまた、見つける。雑居ビルの谷間、暗い路地に響く甲高い声が不愉快だ。彼女達はどんな話をしているのだろう。実はわたしに気付いていて「ついてきてんだけどー!」とか「ストーカー!」とか、笑っていたりはしないだろうか。性格の悪さに吐き気がする。自分が醜くて気持ち悪い。

 自分本位な悪感情に拍車がかかったところで、衝撃的な光景を目にした。

 あいつらから何か、小さな影が飛び出した。

 目を凝らしつつも、それに近付いていった。転がっていたのは、空のペットボトルだった。白抜き文字に黒ラベル、見慣れた炭酸飲料の空ボトル。最近、わたし達の間で流行っていた飲み物だ。わたし達はこれを飲みながら、仲良く楽しく駄弁っていた。

 周囲を見回して目撃者を探した。残念ながら、わたし以外にはいなかった。

 そわそわと興奮しながら、まるで重大犯罪の証拠品を扱うみたいに丁重に拾い上げる。震える手の中のボトルはぬとぬとしていて、彼女達が捨てた気持ちも少し分かる気がした。小さくなった背中に投げつける妄想をした後、帰り道の途中にゴミ箱があるのを思い出して、鞄にしまった。 


 ストーカー紛いの下校はまだまだ続く。閑静な路地を脱出して大通りに出る。空は藍くなっても、街はまだまだ忙しさを失っていなくて、自動車達が都会らしい喧騒を奏でている。それを横目に、わたしは川沿いの歩道を歩いていた。

 また雑踏にペットボトルが転がっていた。往来する人間に会釈をしながら拾い上げ、さっきのと纏めて傍らにあったゴミ箱に突っ込む。

 ──あと一つだ。

 あいつらは三人いる。

 あいつらは二個ポイ捨てした。

 簡単な引き算だ。

 あいつらは最後の一個を絶対に不法投棄する。

 わたしはそれを回収しなければならない。絶対に。

 確定事項にわたしの心は次第に高揚してきた。

 一歩一歩足を進めていくと、橋が見えてきた。遠くからでもアーチのシルエットが浮かんで、近づくにつれて外灯の光を反射して鉄骨が輝く。あちらとこちらを繋ぐこの橋を渡り切れば、わたしとあいつらの家がある住宅地に到着する。

 橋を渡り始めると、風が頬を撫でてくる。川のさざめきにつられ、足元に流れている川を眺めてみる。

 水は黒かった。手をぱたぱたしてみると、外灯の光を浴びても底の見えない漆黒に、幾つかの波紋が顕れる。でも折角生まれたその波紋も、一瞬で流れる水に飲み込まれてしまった。

 自分が水に見蕩れていたことに驚く。慌てて、あいつらに視線を戻した。

 すると本日二度目の衝撃的な光景。あいつらのうちの一人が奇妙なポーズをとっている。

 右足を後ろにひいて重心を下げ、左手は川の方、ペットボトルが握られた右手は肩の位置。わたしがその奇行の意味を理解するより先に、彼女の右手が弧を描く。

 そのままスイングされた。手から離れたペットボトルは外灯の光を受けて一瞬白くなってから、静寂に投げ出された。

 気付けば、わたしはあいつらの目の前にいて。

 無心のまま欄干に手をかけ、足を乗せ、そして跳んだ。

 宙を漂うペットボトル目がけて、わたしはわたしを放り投げた。


 ペットボトルは空気の中、風に弄ばれて上下左右に震えている。

 空中で手を振り回して、それを掴み取る。


 そのまま水面に急降下した。足先から水に引き込まれ、遅れてぬぼん、という音が全身に響く。

 四方八方で透明の飛沫が躍っている。細かな霧に囲まれている。目に冷たい粒が入ってきて、瞼が勝手に閉じる。そのまま開かない。

 暗闇の中、もがく。身体に張り付いたシャツは水を吸い込んで重たい。脇のあたりから冷たい感覚が全身に広がってくる。

 ぬぼん。

 鈍い音が聞こえた。大柄な男が目の前に現れた。

「なにしてんねん!」

 彼はわたしの腕を掴んで、引き寄せる。

 ──痛い!

 わたしは叫んで暴れた。

 けれど男はわたしを離さない。わたしの腕を強く掴みながら、男が訊いてくる。

「なにやってんねん!ササキ!ササキミユ!大丈夫か!?大丈夫か!?」

 ──なんやねん!?

 わけもわからず聞き返す。

 聞き返してから、すぐにはっとする。

 わたしは何をやってる。なんやねん。

 総てが面倒になったわたしは皮肉を吐いた。

「お兄さん、恰好良いね。──漫画の主人公みたい」

 わたしの言葉に男は顔を顰めた。更に、顔を背け、真剣な表情で岸に振り返った。そのままわたしを抱えた。

 わたしは彼の顔が見たくなかったから、暗くなった夜空に視線を漂わせ、最後に橋の上に立つあの三人に目を移した。外灯の光が逆光となって、友達の顔は陰に包まれている。

 彼女達の表情を思うように想像する。


 そして、は自分の性格の悪さを自覚した。

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