8 歪な愛(1)

「いかがでしたか? この図書館のことが少しは理解されましたか?」


 この図書館の名前の由来がわかったあと、私とワタリはエレベーターを降り元居た黒い本棚の前に戻ってきた。

 道中ワタリはどこか怖い表情をしていたが、その理由を私は聞かなかった。


「うん。でも本当に不思議な場所ね。ここは」


「そうですね……謎の多い場所です。私自身もここを何もかも知っているというわけではありません。これで案内役というのも笑ってしまう話ですがね」


 軽く笑みを浮かべる。

 そのワタリの様子に正直ほっとしていた。


「さてと、続けますか」


 軽く体を伸ばし、両手を組み前に伸ばす。

 あの光景を見てから、どこか頭がすっきりしていた。考えていたことが全てわかったわけではないが、自分の中で一つはっきりできたことがあるからだろう。この空間、この図書館が私の単なる妄想ではなく、現実世界と関係の深い、ある一種の現実ということだ。

“夢” と簡単な言葉で表現できればどれほど楽だろうか。

 ここに来た時、ワタリから言われた言葉が今でも頭に残っている。


「「夢とは一種の現実と表現することができる」」


 なぜか心惹かれたこの言葉に私は期待してしまっている。何の期待なのか、それが自分にとってどれほどの大きさなのか、そこまではわからない。


「お気をつけて」


 ワタリがそう一言告げると、私は手前にあった異様に傷ついた本を手に取った。

 黒く、傷だらけの表紙。一部は腐ってしまっている。

 持った瞬間、悲しく、苦しく、そして誰かに強く惹かれる気持ちになった。

 また、誰かの記憶が頭の中に流れ込んでくる。


 一人の青年が教室の黒板を消している。高校生くらいだろう。丸い眼鏡をかけ、前髪の重たい男子生徒だ。

 夕日が差し込み、オレンジ色に染まる教室。少し開いた窓からは、外で汗を流して部活に取り組んでいる生徒の声が聞こえる。

 そんな中、その青年は一人で黙々と黒板を消している。キュッ、キュッ、と黒板を擦る音が心地よく、雪のように落ちる石灰の粉は彼の手を白く染め、彼の一部となっている。


 私は教室の一番後ろから青年に近づく。

 私よりも随分と身長が高い。170㎝後半はありそうだ。

 よくよく見ると、耳にはイヤホンをしている。有線のイヤホンは青年の右ポケットにつながっていた。

 鼻歌を口ずさみながら掃除をする青年。

 その後姿を私以外にそっと見つめている人物がいた。


 教室の後方の扉、廊下からこっそりと顔をのぞかせ、青年の横顔に頬を赤らめる制服を着た女子生徒。おそらくは同じクラスの子であろう。


 なんとなく、このが何を思って青年を見つめているのか私には理解できた。初々しい姿、まさしく青い春だ。


 黒板を掃除し終えると、青年はゆっくりと歩を進め自分の席に掛かったカバンを手に取る。中から小さく、分厚い英単語帳を取り出し、イヤホンをつけたまま教室を出ようとする。慌てる廊下の娘は持っていたカバンで自分を隠す。だが、当然ばれてしまう。


「なにしてんの?」


 イヤホンを片耳外し不愛想に青年は問いかける。どうやら二人は知り合いのようだ。


「え、いやー忘れ物を取りにね……あ、あはは」


「ふーん。明日の課題?」


「え…う、うん。そう、明日の課題。私ったらさっきまで忘れてて」


「へー」


 にやりと青年は笑みを浮かべる。


「明日、課題なんてないんだけど」


「え?!」


 慌ててカバンを落とすこの娘。なんともおっちょこちょいだ。

 それにしてもこの青年、わかってて騙したのだとすればかなりの性悪。

 二人の関係性がなんとなく理解できた。


「なんの課題かねー」


「か、課題じゃなくて、えっとー」


「ふっ、いいよ。待っててくれたんでしょ。素直にそう言えばいいのに」


「べ、別にー? そんなんじゃないですけどー?」


「ふーん。じゃあ俺もう帰るね」


「え?! ち、ちょっと待ってよー」


「あれ? 忘れ物はいいのかい?」


「もー」


 頬を膨らませ、仲睦まじく学校を後にする二人。

 その姿に私はどこか懐かしさを感じた。


 二人の後を私はストーカーのようにつけた。

 今のところ、あそこに記録される理由は見られない。


 傍から見れば、二人はカップルのように見える。

 学校を出て数分、線路の踏切に着いた。遮断機が下りている。カーン、カーン、と鋭い音が流れ、現代に比べると随分とスピードの遅い電車が迫ってくる。

 それと同じように、私の後ろから走って二人に近づく一人の女がいた。

 あの娘と同じ制服を着た娘だ。

 その娘は額に脂汗をかき、不気味な笑みを浮かべると青年を勢いよく突き飛ばし、走ってくる電車に彼を轢かせた。

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水中図書館ローズの逆夢 Youg @ito-yuji

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