オーバードープでブランチを
鳥辺野九
オーバードーズ
太陽もだいぶ昇ったので起きてみた。すっかりクスリは抜けていた。
「最悪」
ひどくしゃがれた声に驚いた。ハスキーボイスなんてものじゃない。ひび割れた固形物だ。口からぼろっとこぼれ落ちる。悪い空気に晒される。表面がかさかさと剥がれ崩れる。そんなひどい声。
崩れ落ちた声を目で追う。声はどこへ消えた。ベッドを見回す。この部屋には私一人だ。声は見つけられない。
頭の中の霞は全然晴れない。ますますもって感覚は濁っていく。ドープアウト。完全にクスリ切れだ。飛びたい。でも飛べない。クスリ切れだから。
このドープアウト感にも慣れないと。私はもうクスリを断つ。最高に最悪なクスリ切れを私は喜ぶべきだ。
幸いにも脳の小鍋でエビが生きたまま天ぷらにされる騒がしさは眠っている間に消え失せてくれたようだ。クスリ切れのやけに静かな朝。違う。もうクスリ切れの昼だ。
クスリ切れの目が重い。瞼がめくれてぽろりとこぼれるんじゃないかってくらい目玉が重たい。仕方ない。クスリ切れだ。クスリ切れなんだ。
起き抜けの乾いた身体がグラス一杯の冷たい水を要求する。冷蔵庫に冷えた炭酸水が眠ってるはず。三日前に栓を開けている。クスリ切れの私みたいに炭酸は抜け切っているだろう。
しかし、流暢な誘い言葉で私を誘惑する冷蔵庫を見送る。コンビニで売ってるアイテムはみんなクスリ漬けのブツだ。私はクスリを完全に断つんだ。クスリ切れの私には水道水がふさわしい。何故なら、そう、クスリ切れだから。
蛇口をひねる。清潔で冷たい水がとろとろと流れる。私の国の自慢の一つだ。他に誇れるものはないのか。四季がある?
グラスに冷たい水が溜まるまで二十四節気を数えた。いつのまにか溢れていた。春分くらいまで数えた。飽きてやめた。
冷たい水道水をくいと煽る。クスリ切れの身体にどくどくと染み込んでいった。
「デトックスできたわけ?」
退廃的栄養補給方法としてはもはや芸術の域に達している遺物、ハンバーガーにかぶりついてハルミは言った。唇の端にソースと脂をこびりつけ、口の中に飼っているベロのようなぬらりとした生き物が器用に掃除して、美味そうに微笑む。
よくもまあクスリ漬けの代表格であるジャンクフードなんてブツを摂取できるものだ。ナツミの気が知れない。いや、アキミだったっけ、この女。
「クスリ抜きだ。クスリを断って三日も経てば、脳みそもクリア極まって凪の鏡面よ」
「あんたが満足ならそれでいいんじゃない? 青白い顔しちゃってさ。ちゃんと食ってる?」
午後のファストフード屋はそこそこ混んでいて、みんないそいそと政府支給のクスリ漬け食べ物とクスリ入り飲み物を体内に取り込んでいる。
クスリ漬けの加工肉を咀嚼してクスリ入りの炭酸飲料でまとめて嚥下するコフユと、生野菜ドレッシング抜きを食べる私と、どっちが顔色悪いかって国民投票するまでもない。
「コナツもジャンクとかコンビニフードとかもうやめな」
「あたしはミフユだ。どこの女よ、コナツって」
同じテーブルでクスリに塗れた朝食のようなブツを食べている女が、身体に悪そうな油で揚げて塩とクスリを振りかけたデンプンの細切りを口に放り込んだ。
この国はもうだめだ。国民の安全保障と健康維持とを謳って、私らが口にする飲食物にクスリを混ぜている。
高級レストランの上品な肉もジャンクフードの下品な肉も、輸入品の高そうなお酒もドラッグストアで売ってる異常に安い色付きドリンクも、何もかもクスリ漬けだ。
「安心して食べられるのは調理されてない野菜と果物だけ。ドレッシングもヨーグルトもクスリが入ってる」
「まるで頭の悪いヴィーガンだね」
「クスリ漬けで政府の操り人形になるくらいならそれもいい」
ファストフード屋に無理言って用意してもらった未加工の野菜の切れ端と剥き出しの果物の破片をよく噛んで食べる。塩もオリーブオイルもかかっていない食べ物はちゃんと自然の味がする。
「あんたはヤギかヒツジか」
「キレイな人間だ」
とにかく人の手が加わった食べ物や飲み物にはすべてクスリが入ってる。それが政府の全国民家畜化計画だ。
「今日はライブに付き合わせるオトコを見つける予定だったけど、ドープアウトなあんたはどうする? ダルそうに見えるし」
国は私らをヤギかヒツジだと思ってる。クスリ漬けにして言うことを聞かせて、あとは若い奴らに子供ぼろぼろ産ませれば出生率も爆上がりだ。
「クスリが抜け切ってないだけよ。ミハルもクスリ漬けオトコを漁ってないで、ピュアで健康な女の子探しな」
「献血行っちゃうようなオンナ? あとミフユだって言ってんの」
政府の方針で献血登録すればベーシックインカムが受給できる。健康な血液を国が買い取ってくれるわけだ。健康志向で無添加な女の子の絶好の狩り場だ。
「そうよ。クスリ抜きオンナと遊びたいな」
生野菜をぼりぼり貪っていると、食べれば食べるほどクスリが抜けていくのが肌感覚でわかる。フユミは相変わらずジャンクなハンバーガーで脳にクスリを送り続けて言う。
「あんた、十分にぶっ壊れてんよ」
「私は健康体だ。クスリ切れ起こしてるくらいにな」
「お。総理大臣のご挨拶だ」
スマホを見ていたナツコが、ええと、名前何だっけ? ともかく、ちゃんと政府支給フードを食べて献血行って男女交際してるかって確認する総理大臣から毎日のありがたいお言葉放送の時間だ。
「水質がさらに改善されて、水道代が無料になるってさ。よかったね、あんた水道水好きでしょ」
水道水をグラス一杯飲んだだけで気持ちがシャキッと冴え渡る。血管を巡り巡って身体の隅々まで染みるような美味しくてキレイな水がタダで飲める。
なんて素敵な国だ。
オーバードープでブランチを 鳥辺野九 @toribeno9
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます