よし、投稿はした。できる限りのことはしたよ。
開いていたSNSを閉じる。寸前に視界から見切れたのは、『旅行してきます。』の文字。
私は今、もう音食のボーカルではない。個人でまた新しく活動を始めた。だって、二人じゃない音食はそれはもう音食じゃないから。
巷では私が音食の元ボーカルなのではないかと噂されているようだが、噂程度だ。私は公言していない。
なにより、自分の実力で頑張って、知名度を上げて、彼女に見つけてもらいたい、そんな想いがあったから、そんなスタートを切ったのもあるのだ。
先程のSNSアカウントを彼女が知っていて、投稿を見ていてくれたら、私はきっと彼女にまた……。
そんなどこかにもしを望んでしまう甘い考え方で旅行先として向かっているのは地元だった。
元居た高校は、私が大学を卒業したくらいに一度取り壊されて、今は別の場所に立て直されている。
今あの場所がどうなっているのか気になるのもあるのだけれど、それを曲として作ってみたい気持ちもあった。
麦わら帽子に
今は遠いように感じるあの日々、使っていた電車に乗り込んだ。車両はいつの間にかリニューアルされていて、乗った駅も心なしか、新しいように感じた。ただ、いつも降りていた駅だけはそのままの姿で、感涙が零れそうになった。
見知ったアスファルト道、いつも通り過ぎていた道路標識、知らない家も増えて、知っている家も減ってはいたけど、そこには確かにあの日々は閉じ込められていた。
あのカラオケもどうやら残っているみたいだ。ネオン看板のライト一つは消えていたけれど。
……着いた。
元の高校があった場所は小さめの住宅街になっていた。
ただ、確かに敷地の大きさ的にはそこに高校があったことを教えてくれた。
今はもういない、幽霊となってしまった見覚えのあるその土地は私に昔の記憶を襲わせる。
最後の一年だけは濃かったな。
通り過ぎていく二人の学生の会話が耳に入り込む。
「なぁ、音食って知ってるか」
「え、何ですか、それ」
「一時期めちゃくちゃ人気を出してさ、お前はその時まだ小学生の低学年だったもんな。めちゃ凄い引き込まれる作曲センスと唄声で一世を
「あ、それなら知ってますよ。ただ、七曲じゃないんですか?」
「あー、ライブで新曲が歌われたんだよ」
「へー、そうなんですね。で、それがどうしたんですか?」
「いやさ、俺そのライブ見に行ったんだけど、その曲を作ったってやつさ、さっきの公園でいつもイヤホンで周りに音漏れする程の音量で音楽聞いてる人に似てる気がするんだよな」
「えぇ? 気のせいじゃないですか?」
「うーん……」
あれから耳はかなり育った方だ。確かに今の会話の中に存在した単語を頭の中で繰り返す。
気づくと、走り出していた。
家の角を曲がったその先に、ポツンとある小さな公園。滑り台とブランコと小さなベンチがあるくらい。
そこに居た。
私は近づく。走った後の疲れからなのか、靴が擦れる音が響く。
その音に彼女は気付かない。その理由を私は知っている。
私は彼女の右耳のイヤホンをとる。彼女に問う前から何を聞いているのかは私にわかっていた。
空気に漏れる私の作った音楽。
今きっと彼女には私の音楽は届いていないし、私の言葉も聞こえていないのだろう。
でも、どんな形だっていいんだ。私の音楽が人を動かせるのであれば、それが届いていなくたっていい。
彼女は私を見て、驚いた顔をして、嬉しそうな顔をして、涙を流した。
木々の隙間から吹く風は彼女の涙を
何と言おう、どの言葉を選ぼう。それは最初から決まってる。
それは私たちの中での合言葉のようなもの、色んなことが始まった時のもの、最高の思い出のうちの一つであるもの。
そして、私達にとって最高の言葉。
届かないことを分かっていながら、一呼吸おいて、口を開く。
「何聞いてるの」
MU8IC 暁明夕 @akatsuki_minseki2585
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