なんで? 私、なんか変なことをしたかな。

教室に毎日のように一席だけ空いている。その席を見るたびに心の中でそんな疑念が渦巻く。


あのライブが終わって、私達は学校内では噂になっていた。一躍売れた音楽ユニットなんじゃないかって。だけど、私たちは匿名でやっていたから、それを確かめる手段はなかった。それと、私達は高校を卒業する直前まで来ていたっていうのもある。だから、それぞれの進路は決まっていて、みんな忙しそうにしていた。私も、音楽に関わる仕事をしたいということで音楽大学に入学するためにたくさん勉強して、合格できた。咲奈は、教えてはくれなかったけど、きちんと決まっているようではあった。それなのに、なんで?

また私は熱中しすぎてしまったのだろうか。そんな……ないはず……。

咲奈の家に尋ねたことは何回かあったけれど、だれも出てこなかった。

担任に聞いたことまであったけれど、バツが悪そうに、教えてくれなかった。

死んではいないことは分かってる、メッセージに既読がついてたから。返信はなかったけれど。

あれから、新しい曲の更新もない。ネット上では心配する声が広がっていた。

ただ、頭の中にこびり付くのは、咲奈がライブの終わりに見せた涙だった。

あれが、楽しかったものであるのか、それとも、何か悩みを抱えていて、それのせいだったのかは今でも分からないけれど、彼女の最後の表情は何処か儚げだったのを今でも鮮明に覚えている。

私たちは最高のライブができたはずだ。声もできる限りは出すことが出来た。何か、後悔でもあったのだろうか。


唄からの返信を待っている内に卒業式当日がやってきた。

式の雰囲気は良かった。けれど、咲奈が式に居なかった事だけが、私の心残りだった。

式が終わった後、教室に戻った。

卒業証書を担任から手渡しされる時間。

先生はいい先生だった。私がまだ、吹奏楽部だった時の悩みを聞いてくれた先生だ。結局、咲奈と会うまではその悩みはなくならなかったのだけれど。

「出席番号二番、甘菜唄。以下同文。」


そう言ってクラスメイトによる拍手の中、卒業証書をもらった時、担任に耳打ちされた。

「咲奈からの伝言だ。卒業式が終わった後、家に来てほしいらしい。諸々の配布物を渡すから今から行ってこい。今まで、教えなくて悪かったな。」


あぁ、やっぱりこの先生には感謝してもしきれないな。

バッグにもらった配布物を乱雑に放り込んで教室を出る。

階段を駆け下りて、校門を出て、真っすぐ。

息が上がる中、止まっちゃいけない、そんな気がしていた。

丁度来た電車に乗り込んで、空いてる席に座る。

数駅経ってから電車を降りて、整えた息をまた乱す。そんなことに構ってはいられない。

聞かないと、謝らないと、ありがとうって言わないといけないんだ。


見覚えのある角を曲がった先のインターフォンを押す。

ポケットの中で振動するスマートフォン。

長らく返信が来なかったピン止めしていたトークルームが一番上に来ていた。

『上見て』

二階建ての家の二階部分に顔を向ける。


窓からこちらの様子を覗く咲奈がいた。

顔色は悪いようには見えなかった。ただ、そこに彼女がいたことに安心が立ち込めるのと同時に、涙が溢れてきた。

何を話そう、何から聞こう。話したいことがたくさんあって、時間制限がある訳じゃないはずなのに、うまく言葉にできなかった。


『申し訳ないけど、直接は話せない』

別に話せたくたっていい。私は——。


『言いにくいことを言ってもいいかな』

信じたくはなかった。だけど、咲奈が私に向き合ってくれたように、私も向き合わないといけない気がしたから、私はそれに二文字で返事をした。


『もう、唄とは音楽はできない』


嫌だった。その言葉を聞く事だけが私にとっての最悪だったんだ。

なんで、なんで、なんで。


『私も本当音楽やりたいけれど、できなくなっちゃった』

嫌だ。信じたくなんかない。夢であってほしい。

……痛い、夢だよ。


何とか手を動かす。

『なんで』

咲奈の言葉の数々に対して、私はたった三文字しか返すことはできなかった。


『少し、音楽をやりすぎちゃったみたいなんだ』

窓を挟んで見える彼女の眼には雫が浮かんでいるようだった。

『もう私は音楽を楽しめない。私にはもう届かないから』


それは直接的な表現でもないし、私はそれを信じたくないと深く願っていたけれど、彼女に会った時から内心、どこかそうなるかもしれないとも思えていたかもしれないからなのか、すっと、頭の中でその事実を受け入れてしまった。


彼女は、咲奈はもう音が耳に届かないんだ。

『唄の声も音も、私には届かない、だから、私は、もう、音楽が、できない』


句読点の多さ、心の動揺、それは私にも伝わってきた。

もう、咲奈とは音楽を共有できない。


『親の言うことはちゃんと聞くべきだったよ、私がだと診断されたときに、気を付けていればよかったんだけど』

必死に手を動かす。

『違うよ、咲奈が音楽に依存するほど好きだったから、私たちはここまでこれたんだ』

綺麗事でもいい、私も今泣き叫びたいけれど、一番嫌なのは本人なんだから、泣いちゃダメなんだ。


『本当は最初から分かってたんだよ、こうなることを分かってた。ごめんね』

『謝らないで、私は咲奈から沢山のものをもらった。謝られることなんてない』

時折ときおり、雫がスクリーンに落ちて、それで誤作動して打ち込まれた文字を消して制服の袖で拭いつつ、何とかメッセージを送る。


『ライブ、楽しかった。ありがとう』

伝えないといけなかった言葉、ライブで私の音を聞いてくれた人の中で唯一伝えて無かった人。

『こちらこそありがとうね。楽しかったよ。唄と音楽ができて本当によかった。最後に楽しんだ音楽が唄と一緒に作ったもので本当によかった。私はお腹いっぱいだよ』

ダメだ、泣いちゃダメなんだよ。

自分に言い聞かせようとするけれど、それを堪えるのは無理だった。

私が泣きわめく声も、もう彼女には届いてはいない。

『泣かないでよ』

そういう、あんたも泣いてるじゃんか。


『唄にお願いがあるんだ』

朝からずっと、卒業写真を詰め込んでいたのだけれど、充電はまだあと少しはある。

終わりみたいなことを言わないでほしい。


『唄はこれからも私の代わりに、唄としてもたくさんの人に音楽を届けていってほしんだ』


でも、咲奈がいないと私は……。

『そしてまた会おうよ、いつか、その時まで私はイヤホンをつけてるよ』

彼女のその前を向こうという姿勢は私を照らしてくれた様な気がする。彼女が自信を持ってそう言っているのだから、私もそれを見習わなければならない。そんな気がした。

『私に音が届かなくなったのは唄のせいじゃないから。逆に唄は私にたくさんのものを与えてくれたんだから誇っていいんだよ』


咲奈はいつもそうだった。私を元気づけてくれる。とびきり優しいんだ。

文字だけを交わしたその無音の会話はとても切なくて、それでいてとても嬉しかったものでもあった。今はこの時間が続いていて欲しかった。別に今生の別の会話ということでもない筈なのに、私達の中で何かが終わってしまう気がしていたから。


『それじゃあ、もう帰るね』

『うん』

またいつか、会えるように、私は音楽を紡いでいかないといけないんだ。

夕焼けに染まる制服、これも今日で終わりだ。


咲奈の家に背を向けて、元来た道を戻る。

不意に、後ろから声がした気がした。

それがどういう言葉なのか、彼女は何と言ったのか、どういう意思で言ったのか、知るすべはない。

ただ振り返った時、彼女の居た筈の窓はカーテンが閉まっていた。

何かが終わり、そして、また何かが始まろうとしているその時のアスファルトは、あの日と同じ、朱鷺色ときいろに染まっていた。

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