ἡ μόνη ἀγάπη
白いぶよぶよとした皮膚を持つ巨大な怪物――セリオンが、ドームの天井を突き破って現れるや否や、私は背筋が凍るような恐怖に襲われた。その巨体がゆっくりと降り立つたび、地面が震え、周囲の瓦礫や市場の残骸が跳ねる。
咆哮が空気を裂き、その音は私の鼓膜を焼くようであった。
私は振り返り、彼女の手をつかんだ。
しかし、目にしたのはあらゆる出口が塞がれた光景だった。
市場の入り口は捨人と化した者たちによって完全に占拠されている。
変異した彼らは人間であった面影を捨て去り、無数の瞳で私たちを睨みつけていた。どちらを見ても、逃げ道はない。
「出口にも……そんな、どこにも、逃げれないの」
カリンの声が震え、手がかすかに私の手を引っ張った。
セリオンの頭部がこちらをゆっくりと向いた。
その顔のない、ヤツメウナギのような口が不気味に開き、鋭いギザギザの牙が並んでいるのが見える。喉奥から響く低い唸り声に、私は戦慄を覚えた。
だが、その咆哮はどこか、聞いたことがあるようで。
懐かしくもあるような感覚に襲われる。
それはまるでヒステリックに―――
その時、空から白い灰が降り注ぎ始めた。
柔らかな雪のように見えるそれは、皮膚に触れると冷たく、痛みすら感じさせた。
私たちはマスクを持っていたが、着用する余裕すらない。
灰は喉を焼くように感じさせ、息を吸うたびに肺が悲鳴を上げる。
馬鹿な。
私達は"楽園"となるはずだったのだ。
こんなところで、こんなところで、終わるというのか。
「ごめんね……わたしが連れてきたから」
私はカリンの手を強く握り直した。
彼女を見捨てることなどできない。
たとえ逃げ場がなくても、この場所で最後の力を振り絞って戦うしかない――そう決意を固めたその瞬間、セリオンの目に変化が現れた。それは怒りか、あるいは単なる狩りの本能なのか、理解する暇もなく、目の前の怪物が吠え声を上げた。
耳障りだ!!
私は震える手で懐から銃を取り出し、セリオンに向けた。
引き金を引くたび、銃声がドームの中に響き渡り、白い皮膚に穴が開いた。
黒い血が吹き出し、セリオンが低く唸りながら一瞬ひるむ。
それを見て、私はカリンの手を強く握り、叫んだ。
「いまだ、にげるぞ」と。
セリオンの足元に転がる瓦礫をかわしながら、私たちは怪物の巨大な身体の影をくぐり抜けて反対側の出口を目指した。心臓が張り裂けそうなほど鼓動を速め、何も考えずに走った。
ただ、生き延びるために。
私達は選ばれているのだ。
こんなところで果てるわけがない。
出口が見えた時、私は思わず息を飲んだ。
そこには、崩壊した世界に降り立つ前に通ったあの扉が、あったのだ。
朽ちた金属で作られた重厚な扉は、ここでは異質なほど完璧な形で存在している。
なぜこんなところにあるのか、どうして再び目の前に現れたのかを考える余裕はなかった。
私たちが生き残るためには、その扉をくぐるしかない。
カリンを引き寄せるようにして扉へ駆け寄る。
あと数歩で扉に手が届く――そう思った瞬間だった。カリンが突然後ろに引きずられる感覚に振り返ると、彼女の腕を捨人の一人がつかんでいた。灰色の目を光らせたその姿に、私は恐怖と憤怒が入り混じった叫びを上げた。
「に、、、にげて」
彼女は捨人に引きずられながらも、全力で私を扉へと押しやった。
小さな身体に似合わない力に、私は足元をふらつかせながら扉の前に倒れ込む。
だめだ。
だめだだめだだめだめだだめだだめだだめだ。
私は手を伸ばすが、彼女は首を横に振り、涙を浮かべた笑顔で囁いた。
「―――の、お話、すごくたのし……いつ、か」
その言葉と同時に、捨人たちが彼女に群がる。
カリンは抵抗する間もなく、暗い波に飲み込まれていった。
悲鳴。
絶叫。
血の匂い。
その光景が脳裏に焼き付く。私は叫び、扉にしがみつくようにして引き戻そうとするが、次の瞬間、強烈な力で扉に引き込まれる感覚に襲われた。
暗闇の中に吸い込まれるような感覚に、私は息が詰まる。叫びも声にならない。
視界が揺れ、身体が宙を漂う中。
気づくと礼拝堂の冷たい空気が肌を刺していた。
そこは最初に訪れた礼拝堂だった。
ひび割れた床、荒廃した壁、蝋燭の残り火――すべてが元のままだ。
私は膝をつき、床に拳を叩きつけた。
目の前で、彼女を失った。
わたし は また
う ば われ た の だ。
ハマルティアの扉 堕落 @Daraku2971
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