ἡ ἀπωλεσθεῖσα παράδεισος

今日は、なんだ?


意識があまりはっきりとしない。

まるで夢の中にいるかのように。


どれぐらいの月日がたった?


いや、もはや夢かどうかなど関係があるだろうか。

現実であろうとなかろうと、

彼女カリンの存在があれば取るに足らない些事さじであろう。


玉のように白き肌、髪は天より降る灰の如き葦毛色をし、

整った顔立ちに、吸い込まれるような美しき瞳。


髪の毛をかきわける仕草は私の性的な欲を刺激し、

私に向けられる微笑みは聖母の祝福のようである。


この灰だらけで、命の枯渇した世界にとって我々はおそらく選ばれたのだ。

確か――始まりの男女であったか。


その為に私は扉を開いたのだ。


ようやく合点がいった。


神の怒りによって蹂躙された世界。

ああ、あの巨大な化け物がセリオン終末の獣と呼ばれている所以か。


「考え事?」


急に眼前に広がるカリンの顔に驚き、私は後ろに倒れこみ尻餅をついてしまった。


「え!?大丈夫...?ごめんね、驚かせちゃったみたい」


私は彼女に問題がないと伝え、差し伸べられた手を握り立ち上がる。


そういえば、自分が市場とよばれる場所に彼女と来ていたことを思い出した。

スタジアムであったその場所は白き灰が入り込まないよう安全策がとられているようで、誰もがマスクをせずに行き来している。


「あ、あの~...手、つないでたほうが安心かな?」


私は彼女の手をぎゅっと握りしめていたことに気が付き手を離す。

謝罪をすると、彼女は照れくさそうに笑った。


大丈夫、と私は返す。

手が離れると、どんどん心も離れてしまうような気がした。


「ほら、これ!こんなに綺麗な手鏡はじめてみたかも!」


彼女の視線の先には、机の上に並べられた雑多な道具の中に美しい意匠の手鏡がひとつ、光るように置かれていた。


店主らしき薄汚い老婆はしかめっ面でそれを差し出してきた。

使ってみろ、といわんばかりに。


カリンは嬉しそうに手鏡で自分の顔や、前髪をチェックする。


「肌荒れとかなくてよかった~!ほら!」


彼女はそれを私に差し出した。

特に興味もないのだが、鏡をのぞいた瞬間私は驚愕した。


そこに写っていたのは

白髪だらけで肌はひび割れたように皺だらけの老人であった。

生気のない顔に、この世の全てを恨んでいるかのような陰鬱な瞳。


思わずそれを放り投げると、手鏡は地面に落ちて割れてしまった。


「ど、どうしたの……!?」


いまのはなんだ。

何故、何故、あんな醜い老人が……?

まさか自分の姿だというのか?


「落ち着いてね……大丈夫だから」


彼女のやさしい声と、店主の老婆の怒鳴り散らかす声。

しかし、私の脳内をかけめぐる思考の波はある光景を断片的に見せようとしてきた。


消毒液の匂い、何かを削り取る器具、ゴポゴポと音を立てるフラスコ。

研究―――そう、研究、だ。


私はかつて……かつて?

まて、時間の概念が―――


その瞬間。


まるで世界が産声をあげるかのような地鳴りが鳴り響き、建物が激しく揺れ始めた。


「な、なに?!」


人々は慌てふためき、地を這うもの、逃げ惑うもの、混乱を極めた。

私はカリンの手を引き、その場から逃れようとする。

出口へと向かう最中、人々が突然頭を抱え始め血の涙を吹き始めた。


「そんな……どうして!?」


血を大量に流したかと思えば、彼らは満面の笑みを浮かべ「失敗」、「想定外」、「変数」と口々に意味不明な言葉を羅列した。

やがて彼らの背中からは無数の手がボコボコと肉を破って現れたではないか。


捨人すてびとに……」


カリンの声が震えている。

この異常な事態に、崩壊世界を生き抜いた彼女でさえも動揺し腰を抜かしてしまっていた。私は肩を貸し、必死に異形から距離を離そうとする。


そこに、さらなる絶望がまさかふりかかろうとは。


轟音と共にドームの天井が崩れ落ち、捨人と化した住民たちが下敷きになる。


現れたのは、終末獣セリオンと呼ばれた、目のない巨大な怪物だった。




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