第4話

 ◆



「……すまなかった。……私のせい、だな」


 言いながら、イグニスさまは整った顔を顰めた。


 今からする話は他の誰にも聞かれないよう――ということで、初夜以来入ることのなかった夫婦の寝室にて行われることとなった。


 わたしたちは庭園が見下ろせる窓の近くに置かれた小さなテーブルに、二人向かい合うように席についていた。


「子どもができないことをあなたが責められることを……私は想定できていなかった。……いや、かつては、それも考えていたはずなのにな……」

「……? イグニスさま」


 自嘲気味に笑って、イグニスさまは濃い銀のまつ毛を物憂げに伏せた。そしてぽつりと語り出す。


「……あなたはこの結婚は不満なのだと聞いていた」

「……」

「カミーラ。あなたは……夫と契りを交わし、聖女の力を失くしてしまうことをひどく嫌がっていたのだろう? だから、私はあなたと結婚はしても、けしてあなたに手を出しはしまいと決めていた」


 イグニスさまの言葉にわたしは息を呑む。


 そう、わたしはカミーラとして嫁いだ。……だから、旦那さまは、わたしのためにいつぞやかに聞いたカミーラが吐露した不平不満を考慮してくださっていたのだ。

 きっとそうなのだろう、と思ってはいたけれど、わたしはカミーラと入れ替わっていることを告白する勇気がなく、訂正できずに今に至っていた。


「だが、私は辺境伯の領主だ。世継ぎを作らなければならない。……あなたにも了承してもらい、側室を得て、側室に子を産んでもらうつもりでいたんだ。……限られた側近にだけ相談していたのだが、そこから噂として漏れたのだろうな」

「そう……だったのですね」

「……すまない。本当にそうしておけば、あなたがいらぬ噂話で貶められることはなかったろうに」

「……イグニスさま」


 ひどく申し訳なさそうな彼に胸が締め付けられる。本当は、謝らなければいけないのはわたしの方だ。わたしたち姉妹の都合で入れ替わり、かつて結婚をするはずだったカミーラの言葉を尊重しようとしてくれたこの人が罪悪感を持つ必要など、本来はなかったはずなのに。


 口の軽い使用人たちについても、わたしが女主人としての役割を果たさずにした結果でもある。イグニスさまのせいじゃない。


 ――もう、この入れ替わりの話を隠しておくべきではない。真実と共に謝罪を伝えようと乾いた唇を開くのと同じタイミングで、イグニスさまは言った。


「……だが、私は……愚かなことに、あなたと会って……あなたに恋してしまった。容姿だけの話ではない。いつだって強く、凛として、嫌な顔ひとつせず、私と共にイキイキと戦ってくれるあなたに。私を見上げては頬を染めるかわいらしさに」


 わたしはこれ以上ないほど目を大きく見開く。


「あなたのことを想うと側室を探す気にはなれなかった。あなたの夫としても、いち領主としても私は失格だな……」

「え、ええと、その、旦那さま……」


 イグニスさまはかぶりを振って、切なげに微苦笑していた。


「……わ、わ、わ、わたしに、恋を……というのは」

「ああ。……愛している」


 一気に耳まで熱くなるのがわかる。

 端的な一言を告げた彼の真摯な眼差しを見れば、この告白に偽りがないことはよくわかった。


「安心してくれ。この想いは墓場まで持っていくつもりだ。きみはこのまま、高貴なる聖女として勤めを果たしてくれればいい。……きみが後世まで讃えられるように、私は尽力するつもりだ。まずは、きみが不当に貶められることがないよう使用人たちには私から――」

「ままままま、待ってください!」


 おもむろに椅子から立ち上がり、少し早口に喋って立ち去ろうとしかけた彼を引き留める。わたしの必死な顔を見てか、イグニスさまはきょとんと目を丸くしていた。


「……ごめんなさい。わたし、あなたに、謝らないといけないことがあって」

「きみが私に?」

「その、結婚をしたくないと、聖女の力を失いたくないと言っていたのは、わたしではないんです」

「……」


 イグニスさまは顎に手をやり、真剣な面持ちでわたしの言葉に耳を傾けてくださっていた。


「……わたしは、本当はカミーラではありません。姉のアリーシャなんです」

「アリーシャ……」


 わたしの本当の名を、イグニスさまが呟く。


「わたしは元第二王子の婚約者だったのですが不当な理由で婚約破棄をされてしまって。それで、王家からの謝罪として特別に結婚を強制しないことが認められたのです。……それを羨ましがった妹カミーラの提案で……入れ替わったんです」

「……なるほど。彼女は……結婚がしたくないから、か」


 頷く。


 もともとカミーラが結婚を嫌がり生涯純潔の乙女として聖女の力を振るいたいという希望を耳にしていたイグニスさまはわたしの説明をすんなりと受け入れてくださったようだった。


「……申し訳ありません。ずっと嘘をついていて……」


 神妙な面持ちで何か考え込んでいるイグニスさまに、私は謝罪の言葉を重ねて頭を深く下げる。


 ふ、と彼が小さく笑う音がした。


「……そうか、私はあなたを愛してよかったのだな」

「イグニスさま……」


 低く掠れた声で彼がそう言ったのが信じられなくて、わたしは慌てて顔をあげる。


「まさか入れ替わっているとは思っていなかったが……。しかし、私が恋に落ちたのはカミーラとして私のもとに嫁いできてくれたきみだよ。だから、きみがそんな顔をしなくちゃいけないほど悪いことをしたわけじゃないと私は思うよ」

「で、でも、わたし、ずっと騙していて……」

「きみたちが入れ替わったことで、なにか悪いことが起きたか? なにも起きていないよ。私はそのおかげできみに会えたのだし」


 イグニスさまのきれいなライトグリーンの瞳があまりにもまっすぐで、わたしはたじろいでしまう。


「……話を聞く限り、きみの妹は本気で結婚を嫌がっていたのだろう? だったらもしも本来通りきみの妹が私のもとに来たとしても……彼女はもちろん、最初から彼女と線引きしておくつもりだった私も好きにはなっていなかったはずだ」

「……あの、その……」

「こういってはなんだが……きみは、私のことをそう……嫌ってはいなかっただろう?」


 おずおずと頷くわたしにイグニスさまは一瞬笑みを浮かべ、しかしすぐにその笑みを苦笑へと変えてしまった。


「本当はね、ずっと期待していたんだ。結婚を嫌がっていたというきみだけど、私の見るきみの目はそういうふうには見えなかったから。もしかしたら、結婚してから私のことを……好きになってくれているんじゃないか、って。……すまない。勝手に一人で期待して拗らせて、ちゃんときみと思いを伝え合って話あうべきだった」

「……そんな。それこそ、わたしのほうこそ……」


 すぐに言うべきだった。入れ替わっているのだと。

 あなたと結婚をしたのは結婚を嫌っていた妹ではなくて、あなたに一目惚れして安易に入れ替わってしまった姉のほうだったのだと。

 せめて、あれ? と思った時点で――言えばよかったのだ。


「……遅くなってしまったが、今こそ聞かせてくれないか? きみは私のことをどう思っている。アリーシャ」

「――わたしも、お慕いしております。イグニスさま……」


 顔を俯かせたまま答えれば、「あ」と思う間もなく視界がグルンと揺れ、彼の胸の中に抱きすくめられていた。

 背の高い彼に抱きしめられ、つま先立ちのわたしは反射的に彼の服の腰あたりをぎゅ、と掴んでしまう。


「……よかった。それならば、私たちの結婚には、何も支障はないな?」

「え、ええっと」

「入れ替わりはきみの妹が望んだことだろう? 王都の聖女・の活躍の噂はこの辺境の地でも耳にしない日はないよ。私も心から愛しあえる妻を得ている。……なにかここに、悪いことがあるかな?」

「…………」

「私には思い当たらないんだ。……。あなたはなにか悪いこと、思い当たるかい?」

「……いえ、わたしも……。思い当たることはありません」

「そうか、よかった」


 ふふ、と優しく微笑む彼。だが、わたしの背に回った腕によりいっそうの力がこもった。


「……アリーシャ、か。良い名だ」

「ごめんなさい、わたし……」

「しいて問題点があげるとするならば、そうだな。きみの名が本当は違うことを公にしてしまうのは……きみの妹のこともあるから、いまさら難しいかもしれないが……」

「はい。……すみません。その、でも、わたしはそんなにこだわりはないので……」

「……そうだね」


 イグニスさまは目を細め、ゆっくりとわたしの柔らかな髪を撫でた。


 ずっと双子として過ごしてきて、いたずらや悪ふさげで入れ替わったことも、周囲から間違えられることも多かったわたしたち。誰かから「カミーラ」と呼ばれることは慣れている。聖女として挙げてきた功績も個人の功績というよりも、双子聖女『聖なる双翼』としての功績だ。それら全てがまるっと入れ替わったところで個人的には支障はない。その気持ちに嘘はなかった。


「……だが、私だけが呼べるきみの名があるのだと思えば、そう悪くはない」

「えっ……」

「すまない。悪い男の発想だな」

「……そんな」


 やや間があって呟かれたイグニスさまの言葉に少しわたしは驚く。

 いつも爽やかな印象の彼にしては、色がある……艶があるというか……。ドギマギしているわたしの頬を彼の大きな両手がそっと覆う。長身の彼は身を屈め、わたしに目線を合わせ、そして口を開いた。


「アリーシャ」

「……はっ、はい……」

「……うん、いいね」


 そう言って笑ったわたしの夫の顔は、いままで見たことがないような――ちょっと悪い顔をしていた。




 そして、わたしはイグニスさまととうとう結ばれて、一男二女に恵まれた。二人の娘は私と同じ聖女の力を引き継いだ。聖女の力を持つ娘は皆王都に集められる。


 わたしの代までは聖女は王家が命じた相手と結婚をするという決まりがあったけれど、件の第二王子が婚約破棄事件を起こしたなんて大失態のせいか、どうやら今はその古き慣習はなくなったようで、少し安心だ。かわいい娘たちにはやはり、自由に恋をさせてやりたい。


 そうそう、純潔を失った聖女は奇跡の力が半減するといわれているとおり、わたしも力を失いはしたけれど、元々尋常ではない奇跡の力を持っていたわたしは半減してなお、イグニスさまと共に魔物との戦いの前線に出てもなんら支障のない力を保っていた。わたしとイグニスさまは長い年月をかけ、辺境伯領と接していた瘴気あふれる魔の森の魔物を殲滅、浄化し、国の平和に貢献したのだった。




 わたしと入れ替わりで王都に残った妹が生涯未婚の乙女を貫き、最強フルパワーBBA聖女として末永く活躍して後世に名を残したのはまた別の話。

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【コミックアンソロ配信中】婚約者を押し付けられた聖女、嫁ぎ先で辺境伯様からの溺愛が待っていました 三崎ちさ @misachi_sa

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