王印

犀川 よう

王印

 確証のある資料が少ないため今日に至ってもその正確な位置は不明であるが、現在のインドの北東部あたりにあったと推定される藩レベルの小国の王印が発見された。おそらく西暦七世紀から九世紀にかけて使われたもので、この国があったことすら懐疑的であった学者たちの間では衝撃をもって迎えられた逸品である。もう二十年前の出来事であり、日本ではまったくと言っていいほど話題にならなかった歴史的事案である。

 その王印が極めて珍しいのはそのサイズと形状である。この王印は二代目藩王が作らせたものであり、敬愛する初代藩王であり父親でもある額のサイズを基準単位としている。しかもその形状は正方形ではなく、初代藩王の額そのものをかたどって作られているのだ。当時王子であった二代目藩王は父親が額を自分に寄せて愛情を示したことが忘れられず、父親の死後、密かに職人を呼び出し作成させたという逸話がある。

 これが親孝行のかがみと受け取られ、藩内の臣下はおろか庶民にまで話が浸透したおかげで、二代目藩王は比較的穏便な時代を過ごせたと言われているが、実は二代目藩王の屈折した劣等感によるものだという説もある。曰く、父親である初代藩王の額を地に「こすりつけさせた」ということを暗に示し、自らが父親の偉業と存在を超克したという証であることを世に知らしめたかった、というものだ。

 いずれにしてもこの王印は王命や国事の証書に使われ続けた。二代目藩王は父親の面影と超えられなかった劣等感を抱きながら政務を執り行っていたと思うと、複雑なものがあるが、この「額」の単位は唐への書簡にも使用されていたという記録も残っている。

 残念なことに日本にまで伝わることはなかったが、この世にも珍しい王印は九世紀に起きた内乱によって国が消滅するまで、インド東部から中国北東部に及ぶ広い範囲に向けて、藩国の書簡には必ず押印されていた。

 歴史的に見て王の手や足を単位としたものは多く存在するが、額を単位にしたのはこの藩のみであることは間違いないと言われている。それもそのまま王印として使用しているとなると皆無であろう。にもかかわらず、この歴史的な単位は今日に至るまで広く知られることはなかった。筆者もこの話を思いついたのは偶然であり、たまたま柴田氏の三題噺があったから述べてみたと言っているくらいでなのである。




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