りんご飴
ぬりや是々
りんご飴
「アレですね、ギャップ萌え?」
「ぶん殴るわよ」
僕は先輩と並んで夜祭りの人混みを少し離れた所から見ていた。「並んで」と思っていたのは僕だけかもしれない。先輩からしたらたまたま浴衣を着て、たまたま夜祭りに来て、たまたま僕が居て、それだけなのかもしれない。でも僕は「並んで」と認識している。
そもそも先輩が僕と同じ位置、というか高さに居ることすら珍しい。学年がひとつ上の先輩とはもちろん教室の階が上下に分かれていたし、すれ違う時は先輩が階段の上からで僕は下から、一瞬並びかけてもすぐに位置が入れ替わるだけだ。
そして一番よく会う屋上ですら、先輩は給水塔に登って僕を見下ろしていた。
「やあ後輩くん」
「こんにちは先輩さん」
屋上で出会えばこんな感じに挨拶を交わすくらいの関係ではあるけれど、隣同士で座ったりフェンスにもたれたりなんてしない。それに先輩は煙草を吸いに屋上に上がっているわけで匂いが移っても困る。
屋上で僕と先輩は話す時も話さない時もある。
話さない時の先輩はちょっと顰めっ面で煙草を燻らせ、僕はそんな顔をするなら吸うのを辞めたらいいのにと思いながら黙って見ている。黙って見ているけどそんな時間も僕は割と好きだった。
校則なんか全然気にしてないみたいに、先輩はピアスを5つも空けてキツい印象の化粧をしていた。その様がなんというかロックというかパンクというか、まあ平凡な僕からすれば「カッコいい先輩」という奴だった。
じゃあ話す先輩はと言うと、やっぱり顰めっ面で煙草を吸いながらだから思う事はあまり変わらない。
「お、花火。お祭りか」
パン、パンと煙だけの花火が鳴って先輩が口を開いた。今日は話す日みたいだ。
「夜祭り?」
「そうそ、あたしの家この辺でさ。近くの公園で毎年このくらいの時期に」
「なるほど」
「あるかな? あれ」
「ああ」
りんご飴、と僕。
チョコバナナ、と先輩。
そんなわけで僕が住む隣町からこの夜祭りにふらっと来てしまったのは、先輩が言ったチョコバナナが無性に食べたくなってしまったからだ。もちろんひょっとしたら先輩に会えるかもって下心もあったけれど、先輩の性格からしてわざわざ人混みに飛び込むとも思えない。だから僕はチョコバナナを食べに来たんだ。
なのに先輩ときたら僕の予想も露知らず夜祭りに現れた。しかも黒地に茜色の花の柄の入った浴衣なんかを着て。
「やあ後輩くん、奇遇」
「先輩、ひとりですか?」
「そうそ、後輩くんがりんご飴なんて言うから無性に食べたくなってさ」
「ひとりで? わざわざ浴衣着て?」
僕が目を丸くしていると先輩は浴衣の袖を指先でちょんと摘んで見せた。
「どうよ」
「アレですね、ギャップ萌え?」
「ぶん殴るわよ」
「先輩はこういう時もライダースとか着てそうで」
「いや夏じゃん」
先輩みたいな人は夏でも着るもんなんでしょ? なんて言ったら本当に殴られそうなので僕は黙っている事にした。
「先輩みたいな人」と言ったけど僕は先輩の事をどれだけ知っているんだろう。学年がひとつ上で顰めっ面で煙草を燻らせるカッコいい女の先輩。そんなくらいだったから今夜の浴衣姿は予想外で変に意識してしまったんだろうか。
僕と先輩は人混みから少し離れたところに並んで黙って座っていた。いつもならそうでもない沈黙の時間がどうにも居心地悪い。煙草の匂いが移ると心配していた先輩の横に初めてまともに並ぶと、むしろ何か甘い様な香りがした。
「あたしばっか見つめてないでりんご飴買ってきてよ」
「事実誤認ですね。先輩じゃなくて浴衣を見てるんです」
「ふーん、浴衣好きなの?」
「逆に好きじゃない男子いますかね」
「ふーん、じゃあ、あの浴衣とあたしの浴衣どっち好き?」
煙草も吸ってないのに顰めっ面な先輩は人混みの中、浴衣姿の女性を顎で雑に指し示した。あの浴衣がどの浴衣かわからないくらいの雑さだった。まあ、どの浴衣だったとしてもだな、と思う。
「先輩かな」
「ふーん、奢るから後輩くんの分もりんご飴買っていいよ」
そしてやっぱり雑に先輩は僕の手のひらに千円札二枚を握らせた。チョコバナナを食べに来たんだけども。
りんご飴ふたつとお釣りを受け取って先輩が座る公園端の垣根まで戻る。てっきり煙草を吸っているものと思っていたが先輩は閉じた腿に乗せた左手で頬をついてただぼうっとしていた。先輩が手にかけている巾着には絶対に煙草が入っていると思うのだけれども、そういえば昨今公園は禁煙だったかな。
「遅い」
「混んでて。というか自分で行って下さいよ」
「人混み嫌いなのよ」
先輩はそう言って一際顔を顰めて僕からりんご飴を受け取った。
人混みが嫌いなのになんで先輩はお祭りに来たんだろうか、ひとりで、わざわざ浴衣まで着て。
その辺はもう確かめようもない。というのもこの数日後、先輩は屋上での喫煙が見つかって退学処分となってしまったからだ。僕が密告したと先輩が思っていないか、でもそれは無いと根拠なく思った。
屋上は当然閉鎖されてしまって、僕は新しい居心地の良い場所を探して彷徨った。でも結局見つからないまま卒業して、県外の大学に進み、その土地で就職して先輩とそれ以降会うことはなかった。
たった一度きり、学校の外で先輩と会った夜祭りから何年も経ってあの時の事を思い出したのは、社員寮の近くの公園で小さな祭りがあってなんとなしに立ち寄ったからだ。もっと言えばその小さな祭りにりんご飴の出店がなかったんだ。そんな事はあり得るんだろうか。夜祭りにはりんご飴とチョコバナナだろ、と僕はチョコバナナを齧り誰ともなく意見する。チョコバナナを齧りながら、でも思い出していたのはあの夜に先輩と二人で齧ったりんご飴だった。
鼈甲色の飴の薄い層が先輩の白い小さな歯で齧られて割れる。先輩の歯はその飴の層の下のりんごに到達し埋もれて行く。りんご飴の濃い赤い色と、先輩の唇の濃い赤い色が少しの間繋がって、カシュッという音で離れる。いつも煙草を咥えていた先輩の唇は溶けた飴と唾液で艶々と光っていた。
「甘、あと中酸っぱ」
酷い感想だったけれど先輩はその時僕が見ていたのに気付いて、それこそりんごの様に頬を染めて笑っていた。煙草よりもりんご飴の方が好きだったのかもしれない。
なんとなしに立ち寄ったこの夜祭りで先輩と奇跡の再会が、なんて事もなく僕は公園を後にした。だいたいりんご飴すらも売っていなかったんだ。
先輩はどうしているんだろうか。今も顰めっ面で煙草を燻らせているんだろうか。わざわざ浴衣を着て夜祭りに行くんだろうか。ひとりなんだろうかそうじゃないんだろうか。
何処で何をしているのかわからないけれど、人混みの嫌いな先輩がわざわざ浴衣を着て訪れる全ての夜祭りにりんご飴があって欲しい。
煙草に火をつけて、僕は強くそう願うばかりだ。
りんご飴 ぬりや是々 @nuriyazeze
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