まんぼうをさがして

ハナビシトモエ

まんぼうをさがして

 イルカより低く潜ったら、まんぼうに出逢うことが出来る。そんな何の根拠のない噂話はこの小さな漁港では有名な話だ。話というより伝承の様なものだろうか。

 そもそも言葉がおかしい。低くという言葉だ。深くでも浅くでも無い。まるでイルカがいるのは前提であるという言葉からしておかしい。


 僕の住む漁港はイルカがいること自体、不思議なことだ。この漁港には小学校と中学校だけあって、高校は船に乗らないと通えない。その為、ここで人生を全うしようまたはさせようという思考を持たされた人々は中卒で就職する。


 仕事は漁がある。

 大きい物を釣り上げると金になる。その一攫千金を狙って漁師になるものも少なくは無く、半分である二人の新米漁師は半年でいなくなる。船に乗って、また楽な方法で一攫千金おくまんちょうじゃを探しに行く。隣の修ちゃんがだった。

 中学を卒業して、半年で「違うと思った」と言い「俺の仕事はここではない」と逃げた。サポートの手厚い漁師を辞めて外に一攫千金を狙いに行っても続かないと思うのだが、二人の人間は夢を見て、片道切符片手に旅に出るのだ。


 僕は手堅く高校を出て、働きながら大学を目指そうと思う。この町の大方の人間は勉強を放棄して、楽な道に逃げている。そうとしか僕には思えなかった。勉強は裏切らない。そうやって学校生活を送っているとがり勉を陰口を叩かれることもあった。

 それでもそいつらを見返してやりたいという気持ちは強かった。

 

 中学校は卒業の合唱曲を選ぶことになった。とは言っても同級生は釣具店の健也と親が隣町の銀行勤めの桜だけだ。僕と桜は何でもよかった。だが、健也がX JAPANの紅にしようと言った時はさすがに桜が健也の頭を叩いた。

 頭を触りながら健也は桜に「何をする」と、不思議そうなのがおかしくて笑ってしまった。僕はこの漁港にいる奴らが好きではない。それでもガキの頃から育った三人はとても大切で信用が出来る仲だ。

 彼らにもそうであって欲しい。


 健也は隣の県の専門学校に行く。健也が外の世界を見たいと駄々をこねて限界が専門学校だった。試験を受けに行って帰ってきた健也は晴れ晴れとしたようだった。噂に聞いていたエナジードリンクを三本持って帰ってきたので、三人で飲んだ。薬みたいな味がした。

 

 桜も専門学校だ。ただ桜の場合は大学でもいいという方針だったが、小学校の弟の事を考えたのだろう。ハッキリと専門学校で奨学金貰えなかったら就職するといって、奨学金をとってきた。


 僕は並みの成績で行くことが出来る寮のある高校を選んだ。

 三人は島を出て、他の町で暮らす。


「あのさ、イルカより低く潜ったらって話はなんだろうな」

 卒業式は三日後に迫っていた。紅が通るはずも無く、仰げば尊しになった。健也は「ぎょうけばとうといし」と読み、僕達二人を愕然とさせた。よく専門学校に受かったなと思った。見当もつかぬ間違いでないことが憎らしい。

 テトラポットを下に夜の海を歩いた。夏は県外からやってくる用のビーチになり、夏が終わるとゴミの山になる場所だ。漁師としては大損害で網にペットボトルがよくかかる。

 何度も商工会議所に言っても「なら、他に観光スポットある? 魚とるだけではないですか? まんぼうでも上がれば博物館を作ってあげますよ」と言われるだけだと憤ることをよく見た。


「イルカってこの辺りにいるのか?」

「さぁな、いてもいなくても関係無かったから」

 提起をしたくせに健也の回答はいい加減だった。

「でもいてくれたらいいよね。なら外川のおっちゃんや伸兄も助かるだろうに」

 二人とも漁師連中のリーダーの家系だ。外川のおっちゃんの息子が伸兄だ。ここではどんなに頑張っても頭にはなれない。外川家の意向が絶対だ。そう思えば修ちゃんの行動は正しいのかもしれない。


「まんぼうを釣り上げたら、新聞に載るかな」

 健也は静かで深く恐ろしい夜の海を見ながらつぶやいた。本気で思っていないけど、微かな願いも入っているのだろうと思えた。

「そうだ、亮ちゃん。大学に入ったらまんぼうの研究をしてよ。それでどうにかして、まんぼうを一匹盗んできてこの港に離してよ。そうしたら外川のおっちゃんが釣り上げるわ。夏にあんなに浜辺を汚すことは無いわよ」


 桜は一生懸命に真面目に追い立てられるように言葉をまくし立てた。まんぼう一匹ではこの港はどうにもならないし、今時まんぼうを展示している博物館なんて山のようにある。

 そもそもこんな辺鄙な土地にわざわざまんぼうの骨格標本を観に来る人間はいないだろう。入場料だってきっと取る。お土産物屋には高いお菓子と鮮魚を売るだろう。もしかして、何か食べ物を提供するかもしれない。ここで獲れるものは確かに美味しい。でもを楽しみに来る人間なんているのだろうか。






「まんぼうくらい食わしてやっぞ」

 大学に入って、ボランティアサークルに入った。その土地はえらくまんぼうが獲れるらしい。獲れすぎてたまにやってくる災害ボランティアの学生にふるまうことが多いそうだ。味はほとんどなく、わさび醤油で食べるのだが、わさびが鼻に抜けて痛かった。

 LINEというものを高校に入って知った。健也と桜と定期的にやり取りをしていたが、いつの間にか消えて無くなった。無くなってもそれを気にする余裕は無かった。そんな折、中学の担任が亡くなったと桜から連絡が入った。

「あれからうちの町はずいぶん違ったよ。楽しみに見に来てね」

 桜からの鬼スタンプは返すのもおっくうになるくらいの物だった。携帯をスリープモードにして、夏の暑い日に僕は下宿を出た。


 バス停から見える故郷のビーチにはやっぱりまばらに人はいて、相変わらずおっちゃんたちはゴミ拾いをしていて、何も変わっていない様子だった。

「亮ちゃん、こっち。荷物少ないね」

 バックパック一つの僕に少し消沈した様子だ。

「あまり長居をする時間が無くて」

 日差しに似合わない桜は色が白かった。中学の頃は気にしなかったのに幼馴染の首筋に目をそむけた。今更、男女の何かでは無いのに、見てはいけないものを見た。そんな気がした。

「行こうか」

 前に進みだした桜を追いかけるように集落の奥へと進んだ。

 健也は専門学校から帰ってきて、釣具店の経理をしながらお弁当屋さんのパートに行っているらしい。色々なところに顔を出しているせいか港一番の事情通だそうだ。


 思えば仰げば尊しに中々首を縦に振らない健也を諌めたのはこの度亡くなられた御仁だった。この漁港には焼き場が無いので、冷凍車で隣町の焼き場に向かうらしい。焼き場まで行くと一日仕事になるので、元生徒たちは外された。桜はしきりに喪服から普段着に着替えろというのでせかせかと短パンとTシャツに着替えた。


 車の免許は持っていたので、軽ワゴンに乗ることは出来た。でも何があの頃と違っているか僕にはわからなかった。故郷としては優秀だった。あの頃のまま変わらないのは少し嬉しいものだ。


「外川のおっちゃんがね。釣り上げたの。まんぼう」

「イルカより低く潜ったのか?」

 僕は桜の言葉にふざけて答えた。

「網にかかっていたの。だから潜るまでも無かった」

 そのまんぼうは骨格標本にされて、漁港の展示室に飾られているらしい。入場料は無料だそうだ。

「それで何が変わったんだ?」

「国道近くに道の駅が出来たの。そこで漁港で獲れたものや加工品を扱ってもらえることになって、ここが全国区だよ」

 喜んでいたのはそのせいか。

 大きい道の駅だった。

「今日は外川のおっちゃんが仕入れに行ったの。大好評だよ。いつも売り切れ」

 そこまでの喜び様ならさぞかし大々的に陳列されているのだろう。

 道の駅はとても新しかった。人もよく入っているようで、満員御礼という札がかかっていてもおかしくない。


「こっちこっち」

 案内されたコーナーは隣の町や他の地域との隅に置かれたまんぼうの形をしたチップス一袋。

「すごいよね。全国区だよ」

「いつもはたくさんあるのか?」

「工房の営業が隔日だから、隔日で三袋。漁港で人気なんだよ。全国区のまんぼうチップスって」

 狭い世界だった。まんぼうを釣り上げたばかりに小さくて夏に少し苦労するだけの漁港だったのに、欲に走ってしまった。あの頃とは大きく違ってしまった。桜はいかにまんぼうチップスが画期的で企画会議がどのように行われて、失敗談などを聞かせてくれた。

「あのさ、海辺歩きたい」

「そんなの車で、そっか健也に会いに行かないとね。もう六時? 嘘、早く帰ろう」

 健也のいる漁港に帰ってもきっと僕はあの頃と同じ夜の海を歩くことが出来ないだろう。どんな色になっても寂しくならない覚悟をしないと。その気持ちを背負いながら僕は運転席に座った。

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