第3話

 財布には千円札が1枚しか残っていなかった。

 俺は再び京王相模原線に乗り、南大沢にある妹の賃貸マンションへと向かった。

 いつ俺が来てもいいようにと、妹は俺に合鍵を預けてくれていた。

 京香は俺がどこにも行けないことを知っていた。


 

 鍵を開けて中に入ると明かりが点いていた。


 「お兄ちゃん? お帰りー。ご飯は?」

 「食べて来た」

 「そう、お風呂湧いてるよ」

 「そうか? それじゃあ入ってくる」

 


 浴槽に浸かっていると、また今日の出来事が思い出された。


 (50万円をあのまま京香に返せばよかった)


 虚しさとやるせなさで胸がいっぱいになった。




 風呂から上がると、京香はテレビのお笑い番組を観て笑っていた。


 「お兄ちゃん、ハイこれ。新発売なんだって、このレモン酎ハイ。

 120円で安かったから2本買っちゃった」


 妹の京香は倹約家だった。大学病院の看護士の給料は良かったようだが、京香は子供の頃から犬が好きだったので、一戸建てに住んでゴールデン・レトリーバーを飼うのが京香の夢だった。

 そのために京香は毎日お弁当を持って病院へ行き、服はユニクロや「しまむら」で我慢して、水道光熱費なども極力節約していた。

 そして俺はそんな妹にいつも「たかって」いた。


 

 俺は申し訳なさそうに酎ハイの缶を開けた。


 「どう? 美味しいでしょ? これ?」

 「ああウマいな?」


 俺は京香の食べかけのポテチを1枚摘んで食べた。


 「あはははは あはははは やっぱりアキラボーイは最高だね? あははは あははは」

 「お前は子供の頃からお笑いが好きだったもんなあ?」

 「だって笑っていると楽しくなるでしょ? 辛いことも忘れちゃうから」

 「そんなに病院の仕事は大変なのか?」

 「大変じゃない仕事なんてないよ、特に病院は命を預かっているからね?

 元気になって退院する人もいればそうじゃない人もいる」

 「そうだよな?」

 「就職していないお兄ちゃんでもわかるの?」

 「わかるよ、それくらい」

 「ごめんねお兄ちゃん、そういうつもりで言ったんじゃないからね?

 高校のお金も専門学校も、お兄ちゃんがバイトして出してくれたから、感謝してるんだ」

 「そんなの大したことじゃない、兄貴として、家族として当然だ」

 「お兄ちゃん、またお金ないの?」

 「・・・心配するな、何とかする。また三上にでも借りるよ」

 「ダメだよお兄ちゃん、三上さんばっかり頼っちゃ」

 「なんかバイトを見つけるよ。日払いのドカチン(土木作業)でもな?」

 「そう・・・。明日早番だからもう寝るね? おやすみお兄ちゃん」

 「ああ、おやすみ」


 妹は寝室へと入って行った。

 俺はテレビを消して、芹沢光治良の『人間の運命』を読み始めた。




 翌朝、目が覚めると京香はすでに病院へ出勤していた。

 俺の分の弁当まで用意してくれていた。

 ダイニングテーブルの上の弁当にはポストイットが貼られていた。


     

      お弁当作っておきました。食べてね?

      それから少しだけど遣って下さい 


                     京香



 弁当の下には少しシワのついた一万円札が1枚置かれてあった。


 (この一万円を稼ぐために妹はどれだけの苦労をしたんだろう?)


 俺は情けない気持ちのまま、その一万円札を財布に入れ、弁当を持って家を出た。




 都立大学のキャンパスで弁当を食べた。

 

 (どうやってカネを作ろう?)


 就職もしていない俺にはサラ金で借りることが出来なかった。

 俺は街金の事務所を訪ねた。



 そこは古い雑居ビルの2階にあった。


 「いらっしゃいませ」


 中年のおばさんが応対に出た。


 「融資のお願いに来ました」

 「どうぞこちらへ」


 小さな応接室に案内された。

 すぐに40半ばくらいのダブルの背広を来たパンチパーマの体格のいい男が現れた。

 そして俺を値踏みするかのように俺の爪先から頭のてっぺんまでを見て男は言った。


 「いくら欲しいの? ウチは初回は5万円までだ」

 「それじゃあ5万円で」

 「アンタ、結婚は? 子供はいるの?」

 「独身です」

 「家族は?」

 「年金暮らしの両親と、妹が独りいます」

 「妹さんは結婚してるの?」

 「いえ、独身です」

 「会社員?」

 「看護士です」

 「運転免許証」

 

 私が運転免許証を渡すと男はそれをじっくりと眺め、コピーを取った。


 「ウチは「トイチ(十日で一割の利息)」だ。良心的だろ?

 それで良ければこの借用書にサインしな」


 俺はすぐに借用書にサインをした。

 すると男は内ポケットから蛇皮の長財布を出して、私の前に45,000円を置いた。

 

 「利息は前払いだ。だから一割の5,000円を引いた残りの45,000円がお前の取り分だ。数えろ」


 私がそれをそのままポケットに入れようとすると男は言った。


 「数えろ」


 私は札を数えた。


 「ちゃんとあります」

 「お前は大学出だな? しかもいい大学を出ている」

 「・・・」

 「だからダメなんだ。お前はおカネの有り難さ、重みを知らん。

 大方ギャンブルに酒、女と言ったところだろうな?

 お金はな? 命よりも大切なんだ。お金なんだよ、「カネ」じゃない「お金」だ。

 ここにお金を借りに来るような奴はロクデナシばかりだ。三上悟、お前のようにな?

 それからデコ助(警察)に言ったり、10日後の期限にちゃんと5万円を持って来なかったり、万が一にも遅れるようなことがあれば怖いことになるからな?

 俺たちの世界にはそれなりの情報網があるからお前の調べはもうついている。逃げても無駄だ」

 「お金は必ず返します」

 「あたりめえだ」


 私は軽い気持ちで事務所を出た。

 まずはパチンコでもしてカネを増やそうと考えた。



 だがすぐに3万円が消えた。残りは京香のくれた1万円と街金から借りた15,000円の合わせて25,000円だった。

 私はその台にもう一万円を入れた。

 すぐにその一万円も沈んだ。


 「よし、もう5,000円だけ」


 するとすぐに大当たりをしたが、確変にはならなかった。

 そしてあっけなく5,000円が消えた。


 結局、妹から貰った1万円しか手元には残らなかった。

 俺の借金はまた膨らんでしまった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日 お兄ちゃんも辞めます 菊池昭仁 @landfall0810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ