第2話 タバコ



 

「かえでちゃん お車 降りたら オシッコ行こうか?」


「かえでちゃん オシッコないよ~」


「トイレ行ったら出るかもしれないから」


「出ない~」


「がんばったら お店でラムネ 買ってあげるから 座ってみようね」

 


 妻と娘の会話を聞きながら 藤原ふじわら こよみは 5人乗りのファミリーカーの左ウインカーを出し サービスエリアへと向かうレーンへ進入する。

 子どもが 横断する回数を減らせるように できるだけSAの建物に近い駐車スペースを探して車を停める。

 子どもができて 暦の運転の仕方も ずいぶん変わった。

 付き合っていたり 結婚したばかりの頃は 高速道での少々の速度超過など 気にもしなかった暦だが 娘が生まれてからは ほぼ法定速度を遵守するようになった。

 命を預かる自覚。

 父親になった重さ。

 ハンドル握る時に そんなことを感じたりする。


 左右をよく確認し家族3人で道路を横断する。

 昨日も娘のトイレ休憩のために 訪れた某県北部のサービスエリア。

 少し暑さも和らいだ 午後4時半。

 先日は 戦慄わななくような蝉の大合唱に包まれていた山あいのSAには 今は 少し物悲しいひぐらしの鳴き声が響いている。



「かえでちゃん オシッコしたらラムネ買ってもらうの。うーちゃんも食べたいってー」



 彼女の握り締めたウサギのヌイグルミの名前が〈うーちゃん〉。

 娘 曰く ヌイグルミではなく 生きているウサギさんで 大人の見ていないところでは ご飯もオヤツも食べているらしいのだが……。


 母親に左手を繋いでもらった娘が うーちゃんを握りしめた右手を 暦に振る。

 

 

「たーたんは おタバコでしょ~? ばいば~い」



 まだまだ 幼い娘だが「タバコでしょ?」と言う時の表情は母親そっくりの大人びたかお

 そして「ちゃんと言っといたからね」というような表情を浮かべ 母親の顔を見ながら ニンマリと笑う。

 そして 母親に手を曳かれ スキップをするようにしてトイレの方へと去っていった。


 そんな2人の背中を見送ったあと 暦は 重いガラス扉をグッと押し 喫煙スペースへと入る。



「あ……っ」



 思わず声を上げる暦の視線の先には 恰幅の良い 壮年の男性。

 喫煙所の先客は 暦とあまり変わらぬ長身の中年男性。



「ああ……この間の……」



 中年男性も 驚いた表情。

 喫煙所の中で ポケット灰皿を片手に煙草を燻らせていたのは 昨日 ちょうどこの喫煙スペースで 暦が火を貸した男性だった。



「……いや この間は どうも。ジッポで点けると 煙草って旨いもんだな。どうも ありがとう」


「あー いや。……いや その。こんなとこで また会うなんて 奇遇っすね」


「ああ。確かに。まさか こんな所で 2回も会うとはな……」



 暦も ポケットからセブンスターを取り出し ジッポで点火する。

 微かなオイルの薫り。

 確かに 1口目が美味しい。

 少し重めの14mgを 肺一杯に吸い込む。


 

「さっき 手を振ってたお嬢さん 娘さん?」


「……ええ。この間 4歳になったばかりです」


「そうか……。……いや その……なんだ。僕は お兄さんより 随分と歳上だろうと思うんだが 来月 生まれて初めて父親になることになってね。……その 女の子の父親らしいんだが」


「それは おめでとうございます」


「あー いや うん。ありがとう。……いや その……なんだ。今まで 正直 子どもになんて 興味もなかったんだが 今 お兄さんとお嬢さん 見て『ああ 父親っていうのも 悪くないもんだな』って思った」


「そうなんすか? なんか 最近は ナマイキばっかり言ってますけどね」


「うん。でも それを受け止める お兄さんの表情が とても良かった。お兄さんみたいな父親になりたいと 真面目に思ったよ。煙草の火も ありがたかったが 父親心に火を灯してくれたのは いい経験だった。恩に着るよ」


 

 喫煙スペースのブラウンのガラス越しに こちらへとゆっくりと歩いてくる長身の女性の姿が 目に入る。

 かなりの長身に明るい髪色 そして マタニティ仕様の紺色のワンピース。



「ああ。妻が用を済ませて 帰ってきたようだ」



 中年男性はポケット灰皿で 半分ほど残っていた煙草を消し 胸ポケットに仕舞うと 左手で重いガラス戸を開け 喫煙ルームを出て行く。

 ドアを抜ける際で 暦の方を少し振り返り軽く右手で会釈。



「……また どこかで」


「ええ。また どこかで」 


 

 暦も セブンスターの右手を軽く挙げ 会釈を返す。

 

 奥さんは 一言 二言 小言を言っている素振そぶりだったが 男性の腕に腕を絡め 頬を肩に寄せる表情は どこまでも優しい。

 互いに寄り添うように 並んで歩く2人がパーキングに消える様子を 暦はセブンスターを吸いながら 見送る。


 妻とかえでが待っている。

 暦も タバコを消すと 喫煙ルームの扉を押すのだった。


 

 

 

 

 

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煙草とタバコ 金星タヌキ @VenusRacoon

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