第12話:退屈しなければ幸せよ

 一行は奇跡の調べ亭まで戻ると、遅すぎる夕食をみんなで済ませた。道中はフューの失敗談を聞かせたりなどして多いに盛り上がった。

「まぁそれも今じゃごく一部の人しか知らないことだけれどね」

 食後のお茶の準備を終えると、話題はトレスの過去の話になった。先ほどフューが言った、トレスが要注意魔導師に指定されてしまった時のことだ。大戦中、止むに止まれず衆人環視の下、禁制古代語魔導を使ってしまったことで、トレスの噂は一気に広まってしまった。

「少し前の魔導学院の教則書には名前も載ってたんでしょ?」

 敵対していた国の魔導師が、とある小さな村に、魔流星の魔導メテオスォームを堕とした。その村には五王国連合軍の野戦神殿があり、多くの負傷兵と職務に従事する司祭や神官達がいた。そしてその中には鍵師けんしとの戦いで深く傷を負ったフューがいた。その村を守るために、空間力場崩壊の魔導ホロウディスインテグレイトを行使して、魔流星の魔導を消滅させたのだ。負傷兵や神官達を襲うというあるまじき卑劣な行為と、一人の魔導師が強大な魔力を持ってその窮地を救ったことが人から人へと伝わり、トレスは禁制古代語魔導を使う魔導師として五王国連合軍に知れ渡ってしまった。トレスの英雄的行動は称賛されたものの、魔流星の魔導よりも危険な禁制古代語魔導を使いこなすトレスの魔導力は終戦後に問題視された。伝承の四戦士や威戦士達と同じく、強大な力が自由意志であることの危険性を示唆されたのだ。

「流石に名前は伏せて、ってお願いしたんだけどね。だから今はトレスを名乗ってるのよ」

「脅した、の間違いでしょ」

「ちゃぁんとお願いしました」

 フューの冗談に苦笑を返す。後にトゥール大陸最強の傭兵とも言われるようになるアインスと、禁制古代語魔導を使いこなすその妻。確かに脅しと取られても無理はない気もしていた。

 魔導学院が設立されたばかりの頃の魔導師の教則書には、六王国大戦で活躍した魔導師のことが多く書かれていた。古代語魔導師が扱う攻撃魔導の中では最大級の破壊力を持った魔流星の魔導を消した魔導師の名はしっかりと記されてしまっていた。

 そのため、トレスは魔導学院に直談判をし、名を変え街を去り、ひっそりと暮らしてきた。当時の魔導学院長は理解ある人物で、トレスとは個人的にも面識があったおかげで、魔導学院が要注意魔導師と指定する、というほぼ形骸化された処置だけでことは済んだ。

「え、トレスって本名じゃないの?」

 シークが目を丸くする。長く生きていれば名を変えなければならないことも……あまりないのかもしれない。実際にフューは名前を変えずに永きを生きてきている。

「それを言うなら当時名乗ってた名前だって本名じゃなかったんだけれどね。でも今はトレスよ」

 魔導学院は国営局が運営している組織の一つだ。敢えて大袈裟に言ってしまえば、国から要注意魔導師だと警戒されたのと同義でもある。

「そうだったんだ……。でもトレスほどの魔導師からそれ言われたら、正直脅しと変わらないんじゃ……」

 名を変える理由を自分なりに納得したのか、フェイリックの声が若干掠れる。

「あらフェイ、随分ね」

 幾度か行動を共にした元魔導師のレストランの店主、というだけだったトレスの真相を知ればそれも無理からぬことではあるが、そうした生活を続けてきたことも判って欲しいという気持ちを込めて、トレスはあくまでも軽く、笑顔でそう言う。

「ま、トレスもアインスもあたしと同じく十四爪牙候補に挙がってたくらいだし」

 アインスもまた、人の身でありながら永きを生きてきた一人だ。トレスと同じように国営局からは警戒もされたが、アインスは各国の王ともただの酒呑み友達、という立場であったせいか、アインスを擁護する王達のおかげで事なきを得ている。アインスの妻であるトレスもまた、そうした人物の伴侶であることから魔導学院からの追及を躱せたという背景もあった。

「称号や名声が欲しくて戦った訳じゃないのはフューやルースと同じだから」

「そうね、王国騎士ともなれば示しがつかないんだろうし、連中は国っていう舞台に立つ者が持つ力の意味をちゃんと自覚してたしね。それに比べたらあたし達の力なんてちっぽけなものだし、実際単なる傭兵だった訳だし」

 英雄の称号を与えるという行為は、民衆に正しき英雄という印象付けを行うことと、国からの首輪をつける、という二つの意味があった。領地を持つ騎士などは領民が誇る領主ともなり、ますます監視の目は厳しくなる。しかし傭兵は元来金で雇われて戦う者だ。六王国大戦時、各王国からは幾ばくかの報酬が支払われたのも事実だが、六王国大戦に参加した傭兵達はみな、自身でトゥール大陸を守りたいという意志を持って戦っていた。

「でも傭兵だったのってルース祖父ちゃんもリゼ祖母ちゃんもでしょ」

「ルースとリゼは雷光の剣士ライトニングソードとか炎剣の騎士ナイト・オブ・フェニックスと行動を共にしていたことも多かったし、ルースに限って言えばやっぱり威戦士だったからね」

 ルースは自らが監視される立場に身を置いた。もとより正義感の強い人物であったこともあって、力の偏りが争いの火種になる可能性は、威戦士いせんしの力を持った時から既に理解していた。

「雷光の剣士とか炎剣の騎士って言ったら英雄中の英雄だよね……」

「ま、そうね」

 第二次六王国大戦での英雄と言えば、まずナイトクォリー王国国王であり、旋風の騎士ナイト・オブ・シルフの通り名を持つ英雄王、ソアラ・スクエラ・ナイトクォリー王と、フィデス王国国王であり、五王国連合軍の総指揮を執ったとされる、剣皇ソードカイザー、グランツ・ガレッド王が有名だ。そして、そのグランツ王が治めていたフィデス王国騎士団の騎士団長、炎剣の騎士ことスレイ・ジードや、フィデス王国騎士団を抜け、傭兵となった雷光の剣士ことカイン・レファードは多くの英雄譚に登場し、吟遊詩人の詩にもされた。

「ルースさんとリゼリアさんってそんなすごい人達だったんだな」

 個の戦力で言えば、ルースはそのスレイやカインにも匹敵するほどの力を持っていた。その清廉な人格も相まって、スレイやカインはルースと親睦を深め、お互いに信頼し合える仲間となり、共に行動することが多かったらしい。

「しかしフューさんがリゼ婆ちゃんの知り合いだったなんてね、驚きだよ」

 フェイリックはお茶を一口呑んだ後に言う。最初はトレスについてきた何だか判らない女の子、くらいにしか思わなかっただろう。僅かに数時間前はシークもフューに訝し気な視線を向けていた。

「そうね、リゼリアと出会ったのはあたしがリーファくらいの年の時だったかな」

 その時でもリゼリアは百歳を超えていたはずだ。トレスもルースやリゼリアと知り合ったのはフューと同時期だった。

「そうだったんですね。フューさんはご結婚されてるんですか?」

 リーファが頷いて言う。ほんの一瞬だけ、フューの表情が硬くなったが、すぐに笑顔になるとはっきりと答える。

「えぇ、旦那はエルフよ。それに今年で十五歳になるエルヴンフェザーの娘がいるわ」

「え……」

 曾祖母をエルフに持つリーファは、すぐにその意味を理解したようだった。

「エルヴンフェザーって……」

 遅れてフェイリックとシークも言葉を失ったように顔を見合わせる。

「そ。だからあの子には人間を好きになって欲しいって、そう思うわ。ルースとリゼリア、当人達は勿論幸せだっただろうけれど、それでも、先に逝くのも残されるのも、きっと悲しいことだわ」

 娘のフィーは母親であるフューよりも先に寿命が尽きてしまう。寿命が短い子供が生まれると判っていても産んだ親の勝手な自己意識だと言われようとも、それがどれほどにフューの胸を締め付けてきたのか、その苦しみは誰にも判らない。

「愛する人と同じ時を生きて、同じように生きて行ければ、それはあの子にとって母親よりも早くに死が訪れることなんて些細なことだと思うから。それくらい大切な人と出会って欲しいわね」

 フューはそう言って笑顔になった。永遠の時を生きるフェザーでも、いや永遠の時を生きる者だからこそ、時の流れに残される悲しみを良く知っている。そこだけは、その気持ちだけは、トレスにも良く判る。

「それにしても十五歳で冒険かぁ……まだちょっと早かったんじゃないですか?」

 シークが切り替えて言う。トゥール公国が制定している法律では人間の成人は十八歳から、ということになっている。だが、どの種族に於いても十代後半あたりになって独り立ちする者が多い。シーク達もまだ成年になったばかりだ。フィーとは三歳ほどしか離れていないだろうが、この時期の冒険者としての三年という時間は大きな意味を持つ。しかし。

「あら、あの子はフューの技術を全て叩き込んであるみたいだから、貴方達よりよっぽど強いんじゃないかしら」

 少し意地悪くトレスは微笑む。先日訪れた時に聞いた話だが、ナイトクォリー市の外れにある喧嘩賭博をしている酒場で、何人もの荒くれ冒険者を相手取って全勝してきたらしい。以前と比べれば確実に力を付けているシークやフェイリックでもまだまだそこまでの腕前はないだろう。

「それにアインスも今年十八になる男の子に徹底的に戦い方を教え込んでたから、フェイとシーク、二人がかりでも勝てるかどうか……」

 ソアラ王直系の血筋でスクエラ家の次男、レヴィン・ロウ・スクエラ。今のスクエラ家の当主は長男であるケリィ・ラル・スクエラだが、彼は元王族や元領主達の賛同を集め、貴族制度の復興を望んでいる。しかしトゥール公国が発足した際に、王権政治と共に貴族制度も取り払われた。次男のレヴィン・ロウ・スクエラは、そんな兄と家に嫌気が差し、僅かに十歳で家を飛び出て荒廃街区スラムであるセラフィムで生活をするようになった。そこで無謀にもアインスに喧嘩を吹っ掛け、見るも無残に……いや、掠り傷一つ付けられず、完全敗北した後、ジタンを紹介されて構成員として働くようになった。

「ひょっとしてアレ?ソアラ王の子孫だとか言う……」

「そ」

 そのアインスが言うには中々筋が良いらしい。口調はかなり乱暴ではあるが、初心で可愛らしいところもある。全盛時のソアラ王を彷彿とさせる整った顔立ちで、セラフィムの花街で働く多くの遊女や湯女からは一目置かれているが、初心な性格と真っ直ぐ過ぎる堅物さが相まってか、一度も女性を買ったことはないという。

 レヴィンは今現在、とある事件に巻き込まれている。彼の身に起こった事件には不審な点がいくつもあり、レヴィンの身も心配だが、今は公国衡士師団の常駐部隊長であるドヴァーの元に身を寄せている。ジタンの構成員でもあるので、ジタンの補佐、支援はあるはずだ。アインスもこの事件を調べ始めたらしいので、何か進展はあるだろう。

「それってなんかセラフィムの影の首領とか言われてる……シルフ、だっけ?」

 レヴィンはジタンの構成員としてシルフという名を自ら名乗っていて、それが通り名となっている。自身がソアラ王の子孫、スクエラ家の人間であることを隠すためだが、それは貴族制度の復興を妄信しているスクエラ家との関係を断つためでもあった。 

「影の首領、は幾ら何でも言い過ぎね。セラフィムのろくでもない極潰しを一人残らず締め上げたってやんちゃ話は聞いたけど」

 クスクスと実に楽しそうにトレスは笑う。小さな頃からアインスが鍛え続けた甲斐あってか、セラフィムにいる盗人やごろつき程度では何人でかかろうとレヴィンの敵ではない。ジタンの構成員として、あまりにも阿漕な商売や取引をしている者達を黙らせたことで目を付けられ、その腹いせに闇討ちをされたことも何度もあるらしい。しかしレヴィンはそれらを都度返り討ちにし、気付けばセラフィムのごろつきどもの殆どがレヴィンの舎弟になっていたという冗談のような本当の話だ。

「くぅっ、こうしちゃいらんないぜ、フェイ!特訓だ!」

「や、特訓も何ももう遅い時間だし、大体シーク、剣壊れたし」

 いきり立つシークに対しフェイリックは冷静に言葉を返す。

「そ、そうだった……じゃあ明日からだ!」

「剣はどうするの?」

 特訓は望むところなのだろうが、使う武器が無くては特訓にならない。木製の模造武器を使った模擬戦でも訓練にはなるが、攻撃も防御も体裁きも、自身の武器の大きさや重みを意識した動きをした方がより実践で役に立つ。

「鑑定する剣以外は買わないからね!」

「え!そ、そうなの?」

 リーファが語気を強める。なるほど、こうした無駄遣いが積もりに積もってリーファの堪忍袋の緒がどこかで切れたのかもしれない。剣や防具など、個人の装備は個人のお金で整える一団もいれば、リーファ達の様に冒険に必要なものはすべて経費とする一団もいる。冒険者に依って様々だ。六王国時代、アインスと二人旅をしていた頃は、財布の紐はトレスが預かっていたが、それは圧倒的に計算が嫌いなアインスがすべてをトレスに任せていたからだ。どうやらシークとフェイリックにも似たところがありそうだ。

「だってあの剣、シークが使うんでしょ?それが決まってるのに明日別の剣買っちゃったらその剣が無駄になるじゃない。それとも魔導の剣の方は売る?それならわたしは構わないけど」

「や、え、う……」

 至極当たり前のリーファの言葉に、まともに言葉を失なうシークが可笑しくてたまらない。トレスとフューは顔を見合わせて吹き出した。シークは困り果ててフェイリックに視線を投げる。

「や、おれに助け求められてもだよ……」

 けんもほろろだ。確かに今この場で突然特訓の話を始めたシークがおかしいのだが、フェイリックの温度が低い対応も面白い。

「どうしても欲しいなら、鑑定が終わるまでは拾ってきた守護者の剣使ってね。あれならいいから」

 店の奥にとりあえず立てかけてある二本の大きな剣を指差してリーファは笑う。いや、目が笑っていない。折角の美少女の笑顔も台無しだ。

「や、でかすぎるし……」

「じゃあ自分のお金で買ってね。それならなぁんにも文句は言わないわ」

 にっこりにこにこ。但し、目だけは笑っていない。ついにフューが大きな声で笑い始めた。トレスも釣られて笑い声をあげる。

「俺、大剣グレートソード使いになろうかな……」

 独り呟くシークを見てフェイリックが神妙に頷いた。つまり、リーファを怒らせるものではない、ということなのだろう。

「ま、大人しく鑑定待った方がいいわね、シーク君」

「御意……」

 シークがそう頷くと、店の扉が開き、小さなベルが来客を告げる。外の札には閉店と表示してあるはずだが、鍵はかけていなかった。時折はそんなこともある。少しゆっくりと、控えめに線の細い小柄な女性がドアを開けたまま立っていた。トレスはお茶を飲む手を止めてできるだけ穏やかに伝えられるよう心がけながら口を開いた。

「ごめんなさい、今日はもう閉店……」

「あ……」

 途中で言葉を切ったトレスに気付き、フューも入り口に立っている女性に目を凝らす。細い身体のライン。長いプラチナブロンド。それに、僅かに尖った耳の先。

「しばらくぶりね、トレス、フュー」

 何十年ぶりかに聞く、心優しいエルフの、友人の声。

「リゼ!」

 リゼリア・アム・イーリス・マイザー。彼女の愛称を呼び、トレスは立ち上がった。

「リゼお婆ちゃん!」

「リゼ婆ちゃん!」

 リーファとフェイリックも席を立つと、リゼリアへと駆け寄った。

「まったく。お婆ちゃんは辞めてって言ったでしょ、リーファ、フェイ」

 そう言って笑顔になるリゼリアの表情はとても晴れやかに見えた。

「今日は泊まって行ってくれるんでしょ?」

 数時間前にフューに向かって言ったこととまるで同じことを言う。

「もちろんそのつもりよ」

 そしてやはりリゼリアも、フューと同じことを言うのだった。



 こうしてナイトクォリー市のとあるレストランの夜は更けて行く。

 人気も高く、食事時はいつでも賑わいが絶えない人気店だが、禁呪使い、不老の呪い、最強の傭兵の妻、いつ閉まるか判らない、そんな噂の飛び交う店がナイトクォリー市にはある。

 店主の名はトレス・リーリエ・ディヴァイン。

 平穏とはほんの少し縁遠い暮らしをしている彼女はいつもこう言って笑うという。


「長い人生、退屈しなければ幸せよ」

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レストランの魔導師 yui-yui @yuilizz

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