第6話
里崎登美子は新しいスケボーに乗り替えた。まだ試作の段階だが、彼女は祖父のあらゆる面での技術力を信頼していた。今こうして乗っていても音も小さく乗っていて衝撃も小さい。
登美子の乗るスケボーは、山陰線のJRの線路に沿った国道九号線を走っていた。乗り替えたスケボーはいろいろな面で改造を施してあったが、ウィールも改造してあったが、特にトラックの部分には特殊な改造がされており、より早く走りスピードも出た。ウィールの改造により線路の上に乗り、走れた。だが、今は国道を走っていた。
「なるほど、いい感じだ。この分だと、すぐに追いつけるにちがいない」
彼女は弓ヶ浜海岸から吹き寄せる風に、心地よい気分を味わっていた。彼女の髪はショートだった。それでも、風が彼女の髪を心地よく乱していた。
ところで、なぜ彼女は古川信綱の行方を探し当てたということだが、そこには登美子の繊細な勘の働きがあった。彼女は記念館で古川信綱に話しかけている。その時は単に、あの男の人・・・怪しいという彼女の見立てと好奇心があった。さらに、男の言葉には島根の訛りが全くなかったのである。
(そういえば・・・)
島根県警の三俣警部にも島根の訛りがなかった。可笑しいな・・・と、彼女はちょっと首をひねってしまう。助言が発端になっている。
時間を少し戻すことにする。
二時間程前、三俣警部は小原警視正とやはり里崎砂鉄記念館にいて、起きた殺人事件の奇怪さをあれこれと推理を巡らしていた。
「警視正、石田直人の額に突き刺さっていた短剣は、記念館に展示してあった初代藩主の短剣ではなかったということですね」
「そういうことだな。それにしても、九鬼龍作に誘われてやって来た島根県だったが、とんでもない事件が起こったものだ。だが、気になるのは、まだ九鬼龍作が現れていないことだ。奴はもう現れない気がするが・・・どうだ・・・?」
「そうですね。私もそんな気がしないでもないですね。九鬼が望んでいた縄文土器も破壊されたのだから・・・そう考えるのが妥当でしょうね」
だが、小原警視正は納得しているとは思えない。なぜなら、縄文土器は破壊されたが、松江城の初代藩主の短剣がなぜか無くなっている・・・ここに、不可解な現象が現前とあった。ここ数日の間だから、関係者は絞れるはずである。
「あいつか・・・?」
思い浮かんでくるのは、間違いなくあいつは古川信綱だ。ここに来て、三俣警部は断定した。思い切って問い詰めてみるか・・・三俣警部はそう決心するのだが、この場合、三俣警部の方から、古川信綱の存在を言い出すわけにはいかない。そこで、思いついたのは、警視正に気付かせるしかない。
三俣警部の落ち着かない素振りに、
「おい、三俣警部、どうした?」
警視正の眼が鋭い。やっと小原が気付いたのか・・・。
「はい、実は可笑しなことが、いや、ここで知っている男に会ったのです。初めは、あいつか・・・という自信はなかったのですが、今は自信を持って言えます」
小原が怪訝な眼を三俣に向けた。
「誰だ?」
「いや、誰だというものではありません。ここに初めて着いた時、その短剣を見ていた男に気付きましたね」
「ああ、あいつか・・・」
どうやら小原も気にはなっていたようだ。
「やはり警視正もお気付きでしたか・・・」
三俣警部は小原警視正を立てた。
「その男がどうした・・・誰だ?」
三俣警部はあの事件の成り行きを手短に話した。
「なぜ、早く言わないのだ」
三俣警部は詫びた。この場合、繕った弁解はしない方がいい。三俣警部はそう思った。
「奴は今何処にいる・・・?」
そこの所は、三俣警部にも分からなかった。
「もう、近くにはいないかもしれません」
この瞬間三俣警部は嫌な予感がした。
(あの子・・・まさか・・・?)
そんな三俣警部を見て、
「どうした?」
「はい、私に思い当たることがあります。好奇心旺盛な女の子が、今危険な行動をしている可能性があります。急がなくてはなりません」
小原警視正の顔色が変わる。
「何!どういうことだ?」
「今ははっきりしたことは言えません。私に任せて下さい。きっとうまくやります。任せて下さい」
こうなったら、三俣警部の行動は早かった。
「待て・・・三俣・・・何処へ行くのだ?」
小原の前から三俣警部が消えた。
「見えた!あの列車に違いない」
やっとあの男が乗っていると思われる列車に追い付いたのである。
「間に合った」
国道九号線とJRの山陰線はほぼ並走して走っている。京都から鳥取に入り、島根を通って、山口に至る。鳥取では山の中ばかりだが、島根県に入ると海が眼に入って来る。今の列車は窓が開けられないから、その爽やかな風を全く感じられないに違いない。
登美子がいるのはまだ島根県で、次に泊るのは、島根の端っこの方の駅である。その先は山口県に入る。風が彼女の神を揺らした。島根の海からの風の香りはいつものように心地よかった。
「うふっ、まだ、島根ね・・・」
彼女は大きく息を吸うと、こう呟き、ほっとした気分になった。
列車が先に駅に着いた。登美子は安堵し、スケボーを抱き抱え、駅のホームに上がった。彼女は列車の最後部から車内に乗り込むつもりだった。彼女の勘だが、男の言葉の訛りなどからその男は西に向かったと推理した。論理的な推理ではなく十五歳の素直な勘といった方がいいかも知れない。その列車が見えて来た。
「私の勘だけど、あの男の人は間違いなく、この列車に乗っているはずだ」
この駅は島根では大きな方の駅である。これから乗る乗客もいた。乗る客も多い。スケボーを持つ彼女を乗り降りする乗客は変な目で見ている。
登美子はあの男が列車から下りないのを確認してから、列車に乗り込んだ。
「さてっと、ここからだわ」
この時点で、彼女には、あの男に対しどう対処したらいいのか・・・という考えはなかった。
あの男はすぐに見つかった。登美子は二両目に乗っている古川信綱を見つけた。彼女は声を掛けようかと思ったが、少し離れた後部の座席に隠れるように座り、しばらく男の様子を窺うことにした。
男、古川信綱はじっと前を見つめ、何かを考えている風に見えた。顔の表情は見えなかった。それでも、男の様子から殺気のある緊迫感が伝わって来た。時々、胸の辺りに手を押さえていた。+
この列車はしばらく停車しないのを、彼女はよく知っていた。
「それなら・・・どうする?」
登美子は独り言を言っている。
「このままでは・・・」
埒が明かないと思った。
里崎登美子はゆっくりと席を移動しようとした。
「ふぅ・・・」
彼女は深い吐息を吐いた。別に怯えているのではない。どちらかかというと、わくわくと言った気分で、彼女の身体は高揚していた。登美子の母もそうだが祖母も生粋の島根県の女性そのままだった。どんなことでもよく我慢する忍耐強い女に見えた。それがいいことなのか、またそうでないのか、十代の登美子にはよく分からなかった。ただ、彼女はふっと思うことがあった。自分の性格はどちらにも似ていない・・・彼女はそう思った。男、古川信綱の窓際の席は空いていた。記念館で男に話しかけている時、相手が関西弁らしきアクセントで話しているのに気付いた。
彼女はこの男が誰でどんな人間か知らない。そして、どんな境遇で生き、育ったのかも知らない。彼女にとって、そんなことはどうでもよかった。ただ、彼女は思い、想像するのは、人は必ずしもそうではないが、生まれ育った境遇を嫌うものだど・・・確か長右衛門がそんなことをくどくどと彼女に言っているのを思い出していた。
「じいちゃんも・・・」
長右衛門は首を微かに振った。
「俺は島根県人だ。そんなことはしない」
長右衛門はきっぱりと否定した。そんなこととは、何を意味するのだろう・・・登美子には分からなかった。
この男は今JR山陰線を西に向かっていた。その先は山口であり、さらに進むと北九州がある。何処へ行くのだろう・・・彼女は思いを巡らした。
「そこ・・・いいですか?」
登美子は声を掛けた。
古川はきっと目を上げた。何処かで見たような少女がそこにいたからである。
古川は身体を引き、この少女を窓側に座らせた。
ここからが、肝心な所だ、彼女は気を引き締めた。このまま時間を浪費する気はなかった。登美子は思い切った行動に出ることにした。彼女はいきなり攻め込んだ。
「小父さん、私のこと・・・覚えている?」
登美子は問い掛けた。やはり、男の返事はない。
だが、登美子には男が自分のことを覚えていようがどうでもよかった。
「小父さん、大事そうに胸に手を当てているけど、その懐にあるのは、島根の御殿様の短剣ですよね」
背後から見ていて、彼女はそれらしきものがあるのに気付いていた。男は胸に手を強く押し付け、突然横に座った少女を睨んだ。
「うちの記念館にあったお殿様の短剣が無くなっていたの。それですよね・・・」
古川は返事をしない。というより、全く相手にしようとしない。子供と思って馬鹿にしているのかも知れない。だが、記念館のことを話して、男は改めて少女見て、何かを思い出したようだった。
「小父さん、確かめさせて。うちの初代の長右衛門が松江城のお殿様から譲り受けた短剣なんです。返してください・・・」
そんなに多くの乗客が乗っていない。しかし、登美子が叫び声を上げれば、だれもがそれなりの反応をするだろうことは想像出来た。ここが車両の中でなかったら、短剣を手放す時を待つのを待つしかないのだが、それは無理というもの・・・そうはいかない。殿様の短剣は男の懐の中にあるのである。どうしたらいいのか迷っていると、車掌が回って来るのに気付いた登美子は、
「今しかない」
と、決断し、思い切った行動に出た。男の服の中に手を突っ込み、半ば強引に短剣を取ったのである。古川は不意を突かれた形になった。
「これだわ。これだわ。やはり、お殿様の短剣があったわ」
といい、短剣を頭上に掲げた。そして、
登美子は突然立ち上がり、
「車掌さん、この人、泥棒です。島根のお殿様のこの短剣をおじいちゃんの記念館から盗んだんです」
彼女の声は車両に響き渡った。乗客の誰もが一斉に振り向いた。中には立ち上がって振り向いた人もいた。車掌は急いで、彼女の所に近付いて来た。車掌は何のことか分からない。しかし、予期せぬことが起こったのは、車掌にも理解が出来た。そのとたん、車掌は男を睨み、
「あなた、ちょっと来てもらいますか」
と威嚇したのだが、若いせいか威厳が少しも感じられなかった。この男古川信綱も素直に従うような男ではない。
この男が暴力を振るうようには見えなかった。ただ、古川の冷たい眼が登美子だけでなく、車掌を震え上がらせた。車掌は二十代後半に見え、役目としてこの場を乗り切らなければならないという緊張感が彼を奮い立たせていたのだが・・・
「後ろの車両に来て下さい」
といい、車掌が先に歩き、後部車両の乗客を前に移動させた。幸いにして三両目には四五人の乗客しか乗っていなかったのを、車掌は知っていたのだ。登美子は車掌の後に続いた。
三両目の四五人の乗客に、車掌は二両目に移動するようにお願いした。みんな怪訝な顔をしていたが、みんな素直に従った車掌が彼らを前の車両に移動させていたが、ここで登美子は知っている人がいるのに気付いた。
三俣安五郎警部であった。三俣は古川がいるのを確認すると、何があったのかすぐに理解した。彼は登美子を睨み付けた。
「警部の小父さん、どうして、ここにいるの?」
「そんなことより、君は私との約束を破ったんだよ。常に行動を起こす時には、私の許可を得ることと言ったじゃないか」
「私・・・そんな約束、したっけ?」
「ああ、私と約束したよ。もう忘れてしまったのかな?」
突然現れた三俣警部に、登美子は大きな目をキョロキョロさせている。三俣は怒っているのだ。だが、詫びれた表情は彼女にはなく、笑っている。
三俣安五郎警部も仕方ないなと思ったのか、ニコリと笑い、
「家を出て行く君を見掛けて、何をするのか気になったので、君の後を付けて来たんだよ。君が気付かなかっただけだ。あの時から・・・つまりそんな約束をした日から、君は必ず無鉄砲なこういう行動するだろうと予測、いや推理していた。君の後を付けるのは大変だったよ。その何て言ったかなスケボーか・・・とにかく大変だったよ。何とか安来駅まで来て、君が列車に乗った後、すぐ私もこの列車に乗ったというわけだよ」
「三俣の小父さん、私を試したのね」
「はは、そんなことはない。でも、そんなに怒らない、怒らない・・・そんなことより、追って来たあの男はどうしたの?」
「ああ、そのことね・・・そんなことより、島根の御殿様の短剣は、この通り取り返したからね」
登美子は手に持った殿様の短剣を三俣警部に自慢気に見せた。
「分かった、分かった。それを持って、早く記念館に行きなさい。館長も心配していると思うよ。後は、私に任せて・・・そう、君のそれで逃げなさい。あの男は危険で冷酷だから・・・」
「ありがとう。小父さん、これ・・・スケートボードだよ、今では立派なスポーツと認められているのよ。何度も言っているじゃないの」
「そうか、分かったよ。早く行くんだ!」
「うん」
「お祖父さんに、よろしくな」
「うん。ありがとう。三俣警部の小父さん、また会えるわよね。島根の人よねぇ」
「あっ・・・ああ、そう願っているよ」
三俣警部は次の停車駅で警視正に待っているように言ってある。古川信綱の人相は事細かく警視正に言ってある。私が引き渡してもいいんだが、車両から降りたところを警視正が確保してくれるに違いない」
車掌に古川を連れて降りるように頼もうと思ったのだが、三俣警部こと九鬼龍作は何処か気の弱そうに見える若い車掌には荷が重そうに感じたので、
「いや、ひょっとして間違いがあるかもしれないから、私があいつを連れて降りる必要があるな・・・」
古川信綱に眼をやると観念したように見えた。
「おい、降りるぞ」
九鬼龍作は素直に従う古川と列車から降りた。
さて・・・少しだけ時間を戻すと・・・
この後、三俣警部、いや九鬼龍作は古川信綱と対峙した。
他の乗客を前の二両に移動してもらい、今最後部の車両にいる古川信綱が無謀な行動に出ても気にすることはない。九鬼は久し振りに合う古川信綱に笑みを浮かべた。
「やっぱり、お前だったな」
古川は、誰だ、という顔をしている。
「まだ分からないのか、俺だよ。俺だ」
三俣はゆっくりと顔に張り付けた皮を外し、正体を明かした。
「お前は・・・」
「そうだよ。奈良の事件以来だから、二年ぶりか・・・」
「どうして、ここにいる?」
「そんなことは、どうでもいい。お前の計画も隙だらけの所があるんだな。あんな小娘に、せっかく盗んだ短剣を取り返されるなんて・・・。せっかく出て来た刑務所だが、また刑務所に入ってもらうことになるそうだ。だが・・・いや、今度はそれなりの罪を償ってもらうことになるからな。なにしろ人を一人殺しているからな」
人を殺していると聞いた車掌は身体を一瞬震わせ、驚いている。
「も、もう・・・すぐ停車駅に着きます」
車掌の声は震えている。
「ありがとう」そこに、私の知っている人が待っているから、この男を引き渡すつもりだ。車掌さん、あなたが引き渡して下さい」
「えっ、は、はい」
「はは、こわがらなくていいよ。大丈夫ですよ。私もついて行きますから・・・」
駅には小原警視正が待っていた。彼の目の前には古川信綱がいて、手錠がはめられていた。その彼の両脇には二人の警官がいて、それぞれ腕を抱えていた。
「この男か・・・!」
警視正は三俣にいった。警視正らしい威厳のある声であった。
「はい。そうです」
三俣警部は答えた。この時には九鬼は元の三俣警部に戻っていた。
そして、この男たちの誰も気付かなかったのだが、駅の東出口に通じる階段の降り口から隠れるように見ている少女がいた。彼女の手にはスケートボードを持っていた。
「いけない・・・」
この少女はこう呟いた。
弓ヶ浜海岸で遊ぶスケボーの少女 青 劉一郎 (あい ころいちろう) @colog
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