第5話

さて、その古川信綱だが・・・

 古川信綱は憤然としていた。あの老人を殺したことにではない。

 「あいつめ・・・俺の短剣を・・・」

 直人のことである。気持ちとしては、彼自身の持ち物だと思ってしまっている。直人が記念館に展示してあった初代吉晴の短剣を盗み取ったのを、信綱は盗み見していた。その時、古川は直人をやってしまおうかと考えたが、その時記念館の中に二組の観光客がいたので思い留まったのである。それでなければ・・・

「俺の行動が遅かったのか・・・」

悔やんだ古川信綱であったが、彼は冷静だった。

この後、彼はニヤリと黄色く滲んだ歯を光らせ、直人の後を・・・つまり彼の行き先を確かめるために後を付けた。

 この時に、信綱が所持していた短剣は島根の初代藩主堀尾吉晴から授与された短剣ではなく、剣に魅せられている彼がいつも所持している短剣で、この時にも展示の短剣と似ていたのを持っていたに過ぎない。それほど、彼は刃に魅せられていたのである。何らかの刃を身に着けていると心が落ち着き、時には残酷な気分にもなった。それが、彼には堪らない快感になっていた。

 砂鉄記念館がほんの十分ほど無人になった時があった。もっとも記念館には誰かがいつもいた。長右衛門はいつものように何処かにいっていたから、祖母の久美が事務所の机に座り、うつらうつら居眠りをしていた。入館料も取らない記念館だから気楽な留守番なのである。

 その時、信綱は記念館に入って行く老人を見たのである。もちろん信綱と老人に面識はない。だが、何処となく不審感を抱いた。それは、その老人から自分に似た不審な雰囲気の漂いが感じられたのである。

 この後の古川信綱と石田直人の行動が判然としない。もちろん、信綱が直人の後を付けて行ったのは分かっている。この十数時間後には、石田直人は殺された状態で発見されるのである。その時間が明朝の未明のことである。


 「刑事の小父さん・・・違うか、警部さんだったね、三俣警部」

 里崎登美子は三俣警部の周りをスケボーで回っている。

 「ここで考えてみたいんだけど、直人小父さんの額に突き刺さっていたあの短剣は結局ごく普通の短剣だったのね」

 これはさっき鑑識からの報告で分かったことだった。

 「だったら、お殿様の短剣は何処へ・・・誰が持って行ったのかなあ?」

 「そうだな」

 確たる証拠はなかったが、三俣警部にはその犯人の想像は付いていた。だが、あの男がまだ奈良で出会った古川信綱とは確認していなかった。

 「警部の小父さんには分かっているんでしょう」

 三俣警部は返事をしない。これ以上はいう訳にはいかなかったし、登美子をこの事件の中に引きずり込むのは危険なことなのである。ここには良き相棒のコリー犬のランもいないのである。この少女の感受性の強さから、警部の気持ちを察したのか、

 「大丈夫よ。私・・・危険なこと、割と慣れているんだから。だから、小父さん、教えて」

 「分かった、分かった。でも、この先私と一緒に行動するって約束するなら、いろいろ情報を教えてやるよ」

 三俣警部はこう言うしかなかった。


 孫娘の登美子は祖父長右衛門から八歳の時、島根の殿様から頂いた短剣の由来の話を聞かされていた。

 「ああ、ずっと昔の話だ。だが、今の自分たちと何の関係もないと思うな。生きている人のやることだ。今も昔も関係ない」

 その短剣が里崎家に堀尾吉晴から譲り受けた由来はな・・・とじいちゃんにしては真面目に話し出した。

 「登美子も知っているように島根の初代の御殿様は堀尾吉晴で、その息子は忠氏だ。何・・・知らない。そうか、まあいい。この二人の間には、何処に新しい松江城を建てるかに、意見の対立があったようだ。忠氏は月山富田城に居城していたのだが、この城は周りが山に囲まれていて、水上交通に不便で城下町を建設は無理と判断していた。父の吉晴は荒隈山を押し、息子の忠氏は亀田山の方が適しているといい。二人の意見は対立していたままだった。

 忠氏は江戸幕府から新城建設の許可を得て、城跡選定のため島根郡、意宇郡の調査をしていた。慶長九年の七月、意宇郡の神魂神社を参拝し、神主を呼び出して

「この社に小成池を見物したい」

と、伝えたが、神主は禁足地であるからと断った。しかし、神主を同行させ、池の近くまで案内させた。その先は、忠氏が一人で行ったらしい。ここからが、どうも怪しい動きがあったようだ。何が・・・真相は分からん。帰って来た忠氏は身体が小刻みに震え、顔色が紫色になり、ほどなく病床に就いたという。八月八日に忠氏は父である吉晴に先立ち、病死したということになっている。ニホンマムシに噛まれたという説があるが、どうもわからん。今だに真実は分からないままだ。江戸幕府には病死として知らせたようだ。

ここに気になる話がある。忠氏から忠晴になったがまだ六歳のため、吉晴が復帰して幼い忠晴を貢献して政務を取ったようだ。

だが、さっき言ったように、ここで可笑しな話が伝わっているんだ。筆頭家老夫妻が自分たちの子を跡目にしたいと忠氏の暗殺を画策したが、ばれて筆頭家老とその子は死罪となった 。この後、吉晴から初代の里崎長右衛門に家宝の短剣が託されている。何かがあったのだが、何があったのかは分からないんだ。その時の真相は正式には伝わっていないが、

 「その剣は呪われた剣だ」

 と、いって渡された。そう伝わっている。殿様から、

「お前の好きなように処分してくれ」

とも言われたと伝わっている。今となれば、それさえも疑わしいと言わざるを得ない。本当の所は分からない。いろいろ勘繰りたくなるが、やはり、今となっては真実のほどは分からない。

 「それでは、何なの・・・殿様のあの短剣には、そんな謂れがあるんだ」

 「そうだな。だが、お前、どうしてそんなことに興味を持つんだ?」

 「うん、ちょっとね」

 登美子は返事をしない。長右衛門は孫の顔を覗き込み、怖い眼で睨み付けた。

 「お前、またとんでもないことに首を突っ込んでいるんじゃないんだろうな?」

 登美子は舌を出した。

 「大丈夫よ。少しも危険じゃないから・・・」

 長右衛門は孫の登美子が三俣警部と何やら企んでいることを知らない。

 登美子はもう一度あの刑事さんに会わなくてはいけない、と思った。彼女にはまた違う疑問がわいてきたのである。+この時、彼女はあることを思い出していた。確か・・・昨日の昼過ぎである。

 里崎登美子にはあの男に見覚えが確かにあった。その時まで言葉を交わしたことはもちろんない。何処かに近寄り難い雰囲気が漂っている三十半ばの男であった。。眼が冷たい感じのする男で、一秒たりとも睨まれたくない男であった。だからといって、ああ・・・とそのままにしておくような気の弱い登美子ではなかった。気が強いのではない。いわば好奇心が同じ年代の女子たちよりは遥かに大きいのである。そこで・・・。

 その男が古川信綱であった。薄気味悪い眼が、彼女を睨んで来た。登美子はそれ程体も身長も大きくはなかったが、充分に成長過程の真っただ中にいる少女であった。特に彼女の心の中にはみなぎるような好奇心が沸々と沸き立っていた。

 男の眼は展示してある殿様の短剣に注がれていた。登美子はその謂れを祖父から聞いて知っていた。その男が短剣の謂れを知っているとは思えなかった。おそらくその短剣の謂れは知らないはずである・・・?

 (この人・・・短剣の謂れを知っているのかな・・・そんなはずないわね)

 と、そんな疑問もわいたが、彼女は思い直した。

「あの・・・」

 登美子は男に近付き、思い切って話し掛けた。

「そのお殿様の短剣に興味があるんですか?」

突然話しかけられた古川は顔色を変え、見知らぬ少女を睨んだ。くそ生意気な女だ、と、一目見て、そう思った。古川の顔に苛立ちの表情が滲み出ている。どす黒い額に不快皺を寄せ、浮き上がった頬がピクピクと動いている。

 

 少し前、さっき三俣警部から聞いていたから、誰かが島根のお殿様の短剣を盗んで行ったのは分かっている。

 ⌒この人に違いない》

 登美子そう推測した。今の所、確たる証拠はない。何が何でも、その証拠を見つけなければいけない。彼女はそう思っている。里崎家の初代のおじいさんが島根のお殿様から預かった短剣だから、何としても取り戻して見せる・・・そんな意気込みが、彼女にはあった。でも。ちょっと怖い気がするのだが、このまま引き下がる気は彼女にはなかった。

 石田直人が何者かに殺された後、その古川信綱が突然いなくなったのである。登美子は古川を見張っていたわけではなく、気にかけていただけなのである。三俣警部と自分勝手に行動してはいけないと約束させられていた登美子であった。

 ⌒欲しがっていた短剣が手に入ったから、もうここにはいる必要はない・・・)

 のかしら・・・。登美子はそんな推理を働かせたのだが、今の所その自信はなかった。でも、

 「そうはいかないわよ」

 登美子は吐き捨てるように叫んだ。彼女は、

 「じいちゃん、こっちのボードを持って行くよ」

 といい、長右衛門の作業納屋からとびたして行った。長右衛門は、

「くっ。あいつ、俺が作ったばかりのボード持って行って何をする気なんだ。まあ、いいか・・・」

と苦笑した。作業納屋ではこれまで数限りない発明品が生まれているが、今持って行ったボードは傑作中の傑作だった。

(それでもって・・・)

孫が何をするのか、長右衛門には分からなかったが、時々孫が無茶なことを仕出かすのだ。そんな孫を長右衛門は大目に見ていた。なぜなら、自分の孫だから・・・ある面、喜びを持って見ていたからである。

「気を付けてな」

と、叫んだが、はたして聞こえたのか、長右衛門には分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る