花降る季節

蒼永 玲

第1話

まだ早いはずなのにその日はやけに桜吹雪が酷くて卒業証書を持つ手で髪の毛やスカートやらを抑えて笑いあう同級生を他人事のように眺める。そして自分の目の前で微動だにせずゆっくりと長く息を吐き表情を歪める友の姿を文字通り無視した。

「そういうことだから」

いつまでも去らない目の前の男に最終通告を告げる。本当はそんなこと言いたくないのに唇が勝手に動いて言葉を紡いだ。

「……わかってる。こっちこそごめん」

そう言ってクルッと踵を返し二度と振り返ることなく小さくなる背中に初めて未練がましく視線を送る。

「なんで、お前が謝るんだよ」

そして決して届かない言葉を口にした。


ピピピ……


「……最悪な目覚めだ」

総一郎はのそのそとベッドから這い降りるとそのまま階下へ降りて洗面所へ向かう。

随分懐かしい夢を見た。忘れようにも忘れられない高校時代の思い出だ。3年間いつも一緒にいた親友がまさかのゲイで卒業式に告白してきたという言葉にしてしまえばたったそれだけの淡い青春時代だったんだねで片づけられてしまうような話だが未だにみじめに引きずっている。その後連絡など取れるはずもなく、暫くたって漸く近況を聞いてもおかしくない時期になって同窓会を口実にメールをしてみたが当たり前のようにアドレスは変わっており、電話番号も不通のものになっていた。

バシャバシャと乱暴に顔を洗い、鏡にうつる自分の顔を見つめる。

「はぁー情けない」

使ったタオルをそのまま洗濯機に放り脱衣所の洗濯カゴに投げ込まれたままの洗濯物を次々に洗濯機に放り込んでいると玄関先の電話が鳴った。

「……まいどありがとうございます!武村酒店でございます!」

「あっ……お、おはようございます。なでしこ介護サービスの牧島と申します」

カゴを抱えたまま猛ダッシュで電話を取ると控え目な男の声が受話器から聞こえた。

「あぁ、じぃさんの!」

「はい、本日から訪問予定でしたので、事前のご連絡をと思いまして」

「わざわざありがとうございます。おーい!じぃさーん!」

総一郎は受話器に手を添えると隣の和室に向かって声を張る。

「あぁー?」

「今日から来てくれる介護士さん!じぃさんのリハビリやってくれる人!」

「おぉー!はいはい!」

部屋から声だけがかえってくると暫くしたあと手押し車を押した祖父が部屋から出てきた。

「はい、もしもし、お電話かわりました、武村留吉でございます」

祖父に電話を替わると総一郎はまた洗濯に戻った。時計は9時30分をさしている。そろそろ開店準備を始めないといけない時間だ。

総一郎の家は代々続く下町の酒屋で総一郎は四代目にあたる。三代目の総一郎の父は家業に全く興味を示さず彼が大学を卒業すると同時に総一郎の母と拠点を海外に移してしまった。やむを得ず総一郎が仕事の合間に家業を手伝っていたのだが先月祖父が軒先の段差に躓き骨折をしてしまった。自宅での生活はなんとか行えるものの一人ではやりきれない部分も増えてしまい今回介護サービスを利用するに至ったわけである。

総一郎の仕事はリモートを選べるものだったので現在はリモートワークの合間に店番や家のことをこなすマルチタスクプレイヤーとしてなんとかやりくりしてきていたが、さすがにこの生活がいつまでも続くというのは歓迎できるものではなかったので今回の介護認定は非常に喜ばしいものであった。

「おーい!そーう!」

「あー?なにー?」

洗剤を投入しスイッチを押して、今度は浴室の掃除にとりかかる。

「今日昼に牧島さんが来るから寿司とっておいてくれ」

キュルキュルと手押し車を押しながら浴室までやってきた祖父はそれだけ告げるとまたキュルキュルと車を押しながら去っていく

「えー?寿司?」

そんな歓迎する必要あるのかと思いつつもこの武村家では家主の言うことは120%遵守が鉄則だ。総一郎はササッとシャワーで浴室を洗い流すとスマホを片手で操作し、フードデリバリーで寿司を3人前オーダーした。

「じぃちゃん、店開けるよー」

「おー」

祖父の部屋の前を通りながらそう告げるとそのまま母屋の反対側に回り店のシャッターを開ける。暖簾をかかげ、店内の電気をつけると総一郎は奥のレジ前に座り、会社から支給されているパソコンを立ち上げた。今日はwebミーティングの予定もないしゆっくりと店番ができそうだと別のウィンドウを立ち上げて酒屋の仕入れ管理のエクセルを立ち上げる。在庫管理をしがてら常連の接客をしているとあっという間に祖父の訪問介護の時間になった。

「もう11時か……」

出前の寿司を受けとり母屋へ一旦置いて慌てて戻ってくると明るい店先に男が一人立っているのが見えた。

「いらっしゃいませー」

総一郎の声に男はビクッと身体を震わせるとゆっくりと店内に入ってくる……とその姿を認めた途端、総一郎の口はこれでもかというぐらい大きく開かれた。

「お世話になっております。本日から武村留吉さんの訪問介護を担当させていただく、介護福祉士の牧島洋平と申します」

「よう……へい」

今朝の夢が総一郎の頭の中でフラッシュバックする。あの日、宝物のように楽しかった高校生活の最後の日に自分に告白をして……そしてそのまま会えなかった人間が今目の前にいる。

「久しぶり。元気そうだね。さっそく留吉さんにお会いしたいんだけど案内お願いできるかな」

「あ……うん」

一人感慨にふける総一郎とは裏腹に洋平は簡単に挨拶を済ませると持っていた大きなトートバックを背負いなおしながら店の中へと入ってくる。

「あ、じいさん。奥だから」

「あぁ、母屋の方?」

「うん」

「そっちに回らせてもらっていいかな?」

「うん」

「わかった」

あまりにあっさりな反応を残し、洋平は慣れた足取りで店から出ると母屋の入口の方へと勝手に向かっていく。

「……変わった?」

夢の中の洋平はいつもしおらしく、自分の断りの文句に全身を震わせて去っていった。もうちょっと……感動の涙とか…

小首を幾度も傾げながら総一郎が腕組みをしていると今度は母屋のインターホンが鳴った。

「あ、やべ!鍵かけたまんまだった!」

総一郎は店先で履いているつっかけを脱ぎ捨てると慌てて玄関の方へと向かった。


「お疲れさん」

初回の面談と簡単なリハビリ、入浴介助を終え、3人で出前の寿司を食べたあと、昼寝を始めた祖父の身の回りを世話している洋平に冷たい麦茶を差し入れる。

「あぁ、ありがとう」

ニコリと笑ったあと洋平は再び作業に戻る。乱雑にものが置かれていたベッドサイドはものの見事に片づけられ、祖父が使いやすいようにカスタマイズされていた。

「留吉さん、書き物したいっていうから今度ベッドの上でも使えるような作業台用意してあげるといいかも」

「あ、うん。わかった」

よし、と小さく頷き洋平は総一郎が出してくれた麦茶を一口飲む。

「あと、お寿司。次からはいいからね。本来、僕たちは食べちゃいけないから。今回は留吉さんの強いご意向ってことでありがたく頂戴したけど、続くといけないから武村くんにもお願いしておく」

「あ……うん、わかった」

武村くん。という他人行儀の呼び方に勝手にダメージを受けて総一郎は洋平の方を向く。

しかし、洋平はかたくなに総一郎と目線を合わせようとせず、まっすぐ前を向いたまま話を続ける。

「訪問は当初の予定通り週2回。月・木で間違いないかな」

「うん、大丈夫」

「ケアマネさんから話があったと思うけど、もし今後リハビリを強化したいなら僕の訪問は減らして理学療法士さんに来てもらうようになると思うから」

「えっ、洋平が全部してくれるんじゃないのか?」

「……僕が持っているのは介護福祉士だから。資格が違うとやれることも違うんだよ」

感情をこめない目でチロと総一郎の方を向くとまた視線をまっすぐに向け短くそう告げる。持っていたトートバッグから書類を取り出すとクリアファイルの入れて総一郎に手渡した。

「次、来るまでにサインと捺印しておいて。留吉さんが書けないところは代筆で問題ないから」

「わかった」

「じゃあ、僕はこれで」

「送るよ」

そそくさと静かに立ち上がる洋平を追いかけ、総一郎は玄関へと一緒に歩いていく。一度も総一郎を振り返ることなく玄関で腰を下ろし靴を履く洋平の姿に総一郎は静かに声をかける。

「……あのさ」

「……」

靴ひもに手をかけたままの姿で静止する洋平に総一郎は頭をかきながら続けた。

「久しぶりに会えて、嬉しかったよ」

「……ね」

「え?」

気付けば夢の中のように身体を震わせる洋平の姿に驚いて総一郎は声をかける。スクッと立ち上がると洋平はそのまま踵をかえしキッと総一郎を睨んだ。

「よく、そんなこと言えるね。僕がここに来るまでどれだけ悩んだことか……総ちゃんにはわからないだろうね」

「……っ」

瞳を潤ませながら懐かしい名で呼ばれ、総一郎はそのまま洋平の腕を掴むと自分の腕の中に閉じ込めた。

「ごめん」

「……うるさい」

「でも、ごめん。本当に……会えて嬉しかったんだ」

「僕が、どれだけ、担当になったとき凄い嬉しかったのと同時に、凄く怖くて……」

「うん、ごめん」

「総ちゃんにこれ以上嫌われたら……」

「嫌ってない」

そう言いながら総一郎は洋平を抱く腕に力を籠める。

「最初から、嫌ってなんかいねーよ。あのときは色々あって。父さんたちは家継ぐ気がねーからってじぃちゃんから毎日聞かされて、俺一人っ子だったし、嫁さんもらって家を継いでくれってすっげー言われて……それに洋平はほら、すげーイケメンだから女子にめっちゃモテてたじゃん。だから、なんかちょっと腹たって…あの日、制服のボタン全部取られた状態で俺に告ってきたじゃん」

「…フフッ」

腕の中で初めて笑った洋平に総一郎も同じように笑うと静かに腕の力を緩め、そのまま洋平の顎に軽く手を添えて上を向かせる。

「一度も嫌ったことなんかない」

「……良かった」

そう言って一度ニコリと笑う洋平の瞳から大粒の涙がこぼれる。それを自然と唇で吸いながら総一郎はそのまま洋平の形の良い唇に深く口づけた。


「洋ちゃんが総一郎の嫁になればいいのになぁー」

それからしばらく後、いつものように訪問介護を受けていた祖父がしみじみとそう呟き、たまたま同室してリモートの仕事をしていた総一郎は飲んでいたお茶をパソコンに向かって吹き出した。

「うわ!総ちゃんパソコンダメになっちゃう!」

祖父の清拭をしていた洋平はそれを放り投げるわけにもいかず祖父の身体を支えたままワタワタと慌てる。

「ちょ、じぃさんついにボケたか?」

「ボケとらん。本当のことだ!こんな気がきいてなんでもこなせる人間はそうそうおらん!お前たち二人で店をきりもりしてくれたらこの留吉、思い残すことはない!」

「ちょ、留吉さん縁起でもないことおっしゃらないでください!」

今度は洋平が留吉の発言を窘め自然と3人の間に笑いが溢れる。

その光景を眺めながら総一郎は徐に窓の外に目を向ける。いつの間にかあの頃と同じ桜の舞う季節になった。でもあの日のさみしさはもうどこにもない。

「ほら、総ちゃん!パソコンちゃんと綺麗にしたの?」

少し離れたところで今度は自分に向けられた矛先に苦笑しつつも総一郎はどこか嬉しそうに

「まぁー大丈夫っしょ」

と返事をかえした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花降る季節 蒼永 玲 @koooow036

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る