感情を捨てて、権利を捨てて、生きた屍となり果てて。

寺田香平

第1話

「人の感情なんてものは、ただの電気信号に過ぎない。」


 そう言ったのは、数多くの発明品で社会を変えた23世紀の天才発明家ジョブソン=カーニックだ。


 しかし、年老いた老人でしかない裕に関わりのある発明品は【感情調律機】、ただ一つである。


 人は年老いると感情を我慢することが出来なくなり、原因の無い怒りに身を焼かれ、謂れのない優しさに包まれて若者にお金を渡してしまったりする。


 後者の感情を利用する行為こそが、高齢者を対象とした特殊詐欺だ。


 そんな高齢者の暴走しがちな感情を、定期的に調律する機械こそ【感情調律機】だ。


「ああ、むやみな怒りが解けていくようだ」


 今年で齢80になった裕は、少しゴテゴテとしたデザインのリクライニングチェア─【感情調律機】に座りながら声を漏らした。


「はは、怒りに振り回されるなんてバカバカしいですよ」


 笑うのは、【感情調律機】を操作する【感情エンジニア】、田中翔太だ。海外のスタンフォード大学を卒業した俊英で、今年で25歳になる。


「あぁ、本当にそうだ。老境に差し掛かって、怒ったって仕方がない。怒りに震えたって、出来ることなどないんだ」


「それは諦め過ぎだとも思いますけどね。でも、そう言うってことは選挙権や親権、国民の権利の一部を破棄されてのですか?」


「あぁ、つい二日前にね。おかげで介護認定特種に認定してもらえた。あとは、社会や国に関わることがない、自分だけの余生を送るさ」


「それはお疲れさまでした。良い余生を」


「あぁ、これからは君たちの時代だ」


 そう言って翔太の肩を叩いてから、感情調律を終えた裕は余生を送る終の棲家へ帰っていった。


「あの人もドロップアウトか」


 裕の背を見送って、翔太は独り呟く。


 裕が介護特種に認定されたと言っていた制度の正式名称は「権利譲渡政策」という。裕は老年になってからであったが、この制度は若年者でも利用することが出来る。


 選挙権や、親権、自分で生きるために必要な権利以外の権利を国に譲渡することで平成の時代に崩壊した年金制後のように国から無償で月々決まった金額を受け取ることが出来る。


 さらに、生活に必要不可欠な食料品などにおいては彼らだけの軽減税率だって適用された。


 消費税が30%を超えた日本で、食料品の税率が5%になるのは有難いことだろう。


「でも、誇りを捨てちゃダメだろう」


 仕方がないことだが、自分の権利を売り払ってしまえば、お金以上のものを失う。


 選挙権であるならば、国を変える国民の権利。


 親権であるならば、子供を愛する権利を。


 翔太だって、理屈でなら理解できる。


 権利を行使する前に死んでしまっては元も子もないのだと。


 ただの一票では国を変えられず、権利なんてなくたって子供を愛することはできる。


 そんなことは分かっている。


「でも、ここで踏ん張らないと日本は中世のヨーロッパに成り果てるぞ」


 貴族だけが財産を独り占めにして、国民から搾取し続ける社会に成り果てる。


 一般人が選挙権を譲渡すればするほどに、政治家という特権階級は身内の選挙権だけで民意の無い当選を繰り返し、特別な待遇を受け続ける。


「それを許していいはずがない!!」


 思うけれど、この意志だって、いつかは燃え尽きて調律されてしまうのだろう。


 自分がつい先ほど裕の怒りを調律したように。


 裕は、ずっと日本の現状を変えようと足掻き続けた政治家だった。


 権利を捨てるな。


 国は国民のものだ。


 国民あってこその国なのだ。


 そう叫び続けた信念のある政治家だった。


 しかし、そんな信念でさえ【感情調律機】にとっては、ただの怒りでしかないのだ。


 どれほど立派な信念も、怒りも、恋や愛だって、ただの電気信号でしかない。


【感情エンジニア】である翔太はそのことを、誰よりも知っている。


「それでも、捨ててはいけないものがあるんだ」


 そう感情を奮い立たせるけれど、感情は電気信号でしかない。


「僕たちは、どうしたらいいんだろうな」


 感情を捨てて、権利も捨てて、生きるだけの屍に成り果てて、どうすれば胸を張って生きていると言えるのだろう。





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感情を捨てて、権利を捨てて、生きた屍となり果てて。 寺田香平 @whkj

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