ヒトデナシ

あしゃる

ヒトデナシ

 分かっていますとも。ええ、ええ。分かっております。

 存外、明るい声で話しだした彼は、こちらを見て繰り返した。

 「分かっております。ワタクシがヒトデナシ、ということは」

 人でなし。この言葉が彼ほど似合う男は、他にはいないだろう。少なくとも、今の世で彼以上の人でなしに遭ったことはない。

 彼の罪状は大量殺人。その上、死体の辱めと遺棄まで行っている。奉行所でも救いようのない人でなしと判断され、死罪との判決がくだされた。

 「それでも、ワタクシは夢を見たいのです。ワタクシだって人間になりたい。ヒトデナシがそう願うのは、いけないことなのでしょうか。いけないことなのでしょうね」

 でなければ、アナタはここにいない。

 フ、と目を伏せて、堪忍したように話し続ける彼。自分はもう少しで死ぬと分かっているから、最期に話したいのだろう。今までの罪人の中でも、数名、彼のようながいた。

 「アナタがワタクシの最期の話し相手、です。ヒトデナシを斬る仕事は、さぞや心が晴れるでしょう。ですがもう少しだけ、今ひとたび待っていただきたい」

 落語の前口上のように、すらすらと言葉が並べられる。おおよそ、彼の人生では学べるはずもない言葉の数々が。いったいどこで学んだのだろう。

 「ワタクシがヒトデナシになった話を、是非、聞いて欲しいのです」

 そして、彼は話し始めた。 


◇◆◇


 ワタクシが生まれ堕ちたのは冬のこと、霜が降り肺まで凍るのことでした。

 泥のような、でろでろしていて形も安定しない、醜い塊。それがワタクシのはじまり。うねうねとムカデのように這って、行く先もなく進むワタクシを、アナタ様方は忌み嫌い、侮蔑やら憎悪やら、そんな目を向けておりました。

 今のような思考もなく、ただ、動くだけ。ワタクシは、ワタクシが生まれた意味も知らず、ただうねうねと動いておりました。

 ワタクシが思考を持ったのは、いつでしょうか。


 ええ、ええ。思い出しました。あれは、アナタ様方の言うにいたとき。イヌ、と呼ばれる獣が冷たくなっていて、モノに成り果てていたのを見つけました。たまたま、ワタクシが進む先にイヌがおりましたから、ワタクシはその上を這い上がって、通ろうとしたのです。ちょうど、頭のあたりを。


 じゅわわ、と音がしたのです。同時に、「何の音だ?」と疑問を抱きました。今の音は何だ、どこからしたのか、と。

 やけに視界がはっきりしているな、と思いました。それから、やけに周囲がうるさいな、と。ワタクシの見ていた世界は、こんなにもうるさいものなのか、と。

 そうして、周囲をきょろきょろと見渡して、あることに気付きました。


 ワタクシが、生き物になっている。


 そこにあるだけの動く物体から、という生き物へと。この嬉しさはいかほどだったでしょうか、嬉しくて、抑えきれず、思わず声を上げると、わおぉん、とイヌの遠吠えが発せられました。

 そう。ワタクシは、イヌになっていたのです。あの、じゅわわ、という音は、ワタクシの身体がイヌを取り込んだ音で、イヌを取り込んだことで、ワタクシは生き物になったのです。

 周囲の世界を観察し続け、生き物が生きていくには「食事」、というものが必要である、と気付き、ワタクシにはそれが必要ない、と分かってから、ワタクシにとっての「食事」とは何か、と考え続けていました。そうやって、イヌの拙い脳で必死に考えた結果、ワタクシにとっての食事が、生き物を取り込むこと、になったのです。

 それから、ワタクシは様々な生き物を取り込みました。イヌに始まり、カラス、ウマ、時にはカワズやヤモリなど。そうやってふらふらと、あてもなく彷徨って数年、ワタクシはあるモノに出会いました。


 恐らくコレが、ワタクシがヒトデナシになった最初の原因でございましょう。


 それは、全身を真っ赤に染めた人間でした。とうに命は失っていて、何も言わぬモノになった姿。いつものようにじゅわわ、と取り込んで、ワタクシが人間を型どって終わり。そうなるはずでした。


 感情が芽生えたのです。いえ、感情が複雑になった、が正しいのかもしれません。


 イヌやネコのような、単純な感情の動き方ではありませんでした。嬉しいのに悲しいような、苦しいのに幸せなような、相反する感情を同時に抱けてしまうぐらい、複雑な働き。せわしなく心臓が動き、停滞していた感情を一気に押し流します。


 幸福であり、歓喜であり、哀惜であり、絶望である。


 そうやって、ワタクシは人間の形を得ました。


 この姿であれば、人間の生活を真似できるかもしれない。


 正直に申し上げます。ワタクシは、人間にずっと憧れていたのです。人間の生活に憧れておりました。ですから、ワタクシはに向かって、人間に紛れ込みました。


 人間の言葉を覚えました。

 人間の動作を覚えました。

 人間の生活を覚えました。


 人間である。

 人間である。


 ワタクシは、人間に紛れ込んで、日々自分にそう言い聞かせて、生活の真似事をしておりました。時々無知を晒しては、アナタ様方に怒鳴られることもありました。ですが、誰もワタクシが人間である、と信じて疑っておりませんでした。

 嬉しかったのです。ああ、ワタクシは人間として生活している。ワタクシはアナタ様方と、同等の存在として見倣されている、と。


 ワタクシは人間になれたと。


 嬉しかったのです。



 嬉しかったのです。



 ワタクシがヒトデナシになった日。

 呼吸さえもできないぐらい、喉が締め付けられるような熱帯夜。

 まちはずれを散歩していると、ひとつのモノを見つけたのです。それは、ワタクシが棲み着く古寺の、向かい側に住んでいる女性でした。

 名前は確か、はじめ、と呼ばれておりました。ころころと笑って、ワタクシのことをユクヒト、と呼ぶ女性。スズメのように、やけに耳に残る声をしておりました。

 そんな彼女が、モノに成り果てておりました。

 顔は腫れ上がって、衣服はぼろぼろになって、目も虚ろなまま。ワタクシの名を呼ぶ口は半開きで、何も発しなくなっていました。

 人間がモノに成り果てることを死、と表すことを知っていましたので、ワタクシは、ああ、はじめは死んだのだな、と理解したのです。

 ならば。ワタクシがすることはひとつ。


 はじめを取り込む。


 はじめの喉に手を伸ばして、じゅわわ、と取り込み始めます。すべてを取り込んだ頃には朝になって、ワタクシははじめの姿になっておりました。

 声を出すと、はじめと同じ、スズメの声が聞こえます。ユクヒトの姿とは違う、ころころと、優しくて、あたたかい声。


 ワタクシには出しようもない、美しい人間の声。

 はじめを取り込んだことで、手に入れた声。

 ワタクシが奇麗なモノになれた気がしました。


 気付いてしまいました。


 奇麗なモノになるには、奇麗なモノを取り込むしか無いのだと。


 欲を出してしまいました。

 人間の姿を手に入れ、人間として生活できることに満足して、そしてあろうことか、、というモノが欲しくなったのです。人間であるならば誰もが平等に分け与えられるアイ。

 奇麗なモノになれば、いただけるのではないかと。


 ワタクシの目に映るアイは、大層美しく幸福に満ち足りているモノのように見えましたから。アイを受け取るアナタ様方は、大層人間のように見えましたから。ワタクシが人間になるためには、それが必要なのではと。


 奇麗なモノの周りには、アイが溢れているように見えましたから。


 その日から、ワタクシは奇麗なモノを集めに行きました。まちを訪ね歩き、奇麗なモノを持つ人間を探します。


 ひとつ目のまちで目を。

 ふたつ目のまちで顔を。

 みっつ目のまちで足を。

 よっついつつむっつ。たくさんたくさん集めて、奇麗な人間の姿を形作ります。徐々にワタクシは奇麗になっていき、とうとう最後のまちを訪れました。


 それが、このまちだったのです。


◇◆◇


 「ワタクシはあとひとつ、それを取り込んでしまえば、奇麗なモノとして完成していました。それでやっとアイされるはずだったのです。その前に、捕まったのですけど」

 ユクヒトと言われている男。その男が出現する町では必ず、住人の1人が姿を消している。ある町では人気の町娘が、ある町では1番の色男が。彼は連続殺人犯と断定され、各町警戒と見回りを怠るな、と通達が来た矢先、彼がこの町に来た。彼はすぐに捕まり、死罪の判決がくだされた。

 「ワタクシはヒトデナシです。ワタクシは人間ではありません。ですが、アナタがワタクシを人間と同じように斬るとするならば、ワタクシは人間として死ねる。ああ、それも良いですね」

 うっそりと恍惚を浮かべるユクヒト。作り物の顔はゾッとするほど美しく、見るものすべての記憶に残る形なりをしている。


 人間ではないと思えてしまうぐらい。


 「殺してください。奇麗なモノにはなりきれませんでしたが、ワタクシは人間になれます。アナタが殺してくだされば、人間になれる。ヒトデナシを斬って、心を晴らしてください」




 「…………」




 「感謝します。アナタのお陰でワタクシは人間になれる。ヒトデナシから人間へとなれる。アナタはただ斬るだけでよいのです、アナタの仕事をするだけだ」




 ごぉん、と遠くで鐘の音が鳴っていた。




 「処刑の時間だ。言い残すことはあるか」




 「ワタクシを人間にしてくださり、ありがとうございます」




 ごとん、と首は落ちた。




◇◆◇



記録

 罪人名 ユクヒト(死刑執行済み)

 罪状  殺人、死体の辱め


 念の為記録しておく。

 ユクヒトの首が消えたそうだ。



◇◆◇

































 「ああ、やはり、ヒトデナシなのですね」


 小さな塊が呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒトデナシ あしゃる @ashal6

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画