ヒトデナシ
あしゃる
ヒトデナシ
分かっていますとも。ええ、ええ。分かっております。
存外、明るい声で話しだした彼は、こちらを見て繰り返した。
「分かっております。ワタクシがヒトデナシ、ということは」
人でなし。この言葉が彼ほど似合う男は、他にはいないだろう。少なくとも、今の世で彼以上の人でなしに遭ったことはない。
「それでも、ワタクシは夢を見たいのです。ワタクシだって人間になりたい。ヒトデナシがそう願うのは、いけないことなのでしょうか。いけないことなのでしょうね」
でなければ、アナタはここにいない。
フ、と目を伏せて、堪忍したように話し続ける彼。自分はもう少しで死ぬと分かっているから、最期に話したいのだろう。
「アナタがワタクシの最期の話し相手、です。ヒトデナシを斬る仕事は、さぞや心が晴れるでしょう。ですがもう少しだけ、今一度待っていただきたい」
落語の前口上のように、すらすらと言葉が並べられる。おおよそ、彼の人生では学べるはずもない言葉の数々が。いったいどこで学んだのだろう。
「ワタクシがヒトデナシになった話を、是非、聞いて欲しいのです」
そして、彼は話し始めた。
◯◯◯
ワタクシが生まれ堕ちたのは冬のこと、霜が降り肺まで凍るつとめてのことでした。
泥のような、でろでろしていて形も安定しない、醜い塊。それがワタクシのはじまり。うねうねとムカデのように這って、行く先もなく進むワタクシを、アナタ様方は忌み嫌い、侮蔑やら憎悪やら、そんな目を向けておりました。
今のような思考もなく、ただ、動くだけ。ワタクシは、ワタクシが生まれた意味も知らず、ただうねうねと動いておりました。
ワタクシが思考を持ったのは、いつでしょうか。
ええ、ええ。思い出しました。あれは、アナタ様方の言うまちはずれにいたとき。イヌ、と呼ばれる獣が冷たくなっていて、モノに成り果てていたのを見つけました。たまたま、ワタクシが進む先にイヌがおりましたから、ワタクシはその上を這い上がって、通ろうとしたのです。ちょうど、頭のあたりを。
じゅわわ、と音がしたのです。同時に、「何の音だ?」と疑問を抱きました。今の音は何だ、どこからしたのか、と。
やけに視界がはっきりしているな、と思いました。それから、やけに周囲がうるさいな、と。ワタクシの見ていた世界は、こんなにもうるさいものなのか、と。
そうして、周囲をきょろきょろと見渡して、あることに気付きました。
ワタクシが、生き物になっている。
そこにあるだけの動く物体から、ワタクシという生き物へと。この嬉しさはいかほどだったでしょうか、嬉しくて、抑えきれず、思わず声を上げると、わおぉん、とイヌの遠吠えが発せられました。
そう。ワタクシは、イヌになっていたのです。あの、じゅわわ、という音は、ワタクシの身体がイヌを取り込んだ音で、イヌを取り込んだことで、ワタクシは生き物になったのです。
周囲の世界を観察し続け、生き物が生きていくには「食事」、というものが必要である、と気付き、ワタクシにはそれが必要ない、と分かってから、ワタクシにとっての「食事」とは何か、と考え続けていました。そうやって、イヌの拙い脳で必死に考えた結果、ワタクシにとっての食事が、生き物を取り込むこと、になったのです。
それから、ワタクシは様々な生き物を取り込みました。そうやってふらふらと、あてもなく彷徨って数年、ワタクシはあるモノに出会いました。
恐らくコレが、ワタクシがヒトデナシになった最初の原因でございましょう。
それは、全身を真っ赤に染めた人間でした。とうに命は失っていて、何も言わぬモノになった姿。いつものようにじゅわわ、と取り込んで、ワタクシが人間を型どって終わり。そうなるはずでした。
感情が芽生えたのです。いえ、感情が複雑になった、が正しいのかもしれません。
イヌやネコのような、単純な感情の動き方ではありませんでした。嬉しいのに悲しいような、苦しいのに幸せなような、相反する感情を同時に抱けてしまうぐらい、複雑な働き。せわしなく心臓が動き、停滞していた感情を一気に押し流します。
幸福であり、歓喜であり、哀惜であり、絶望である。
そうやって、ワタクシは人間の形を得ました。
そこからはアナタも知っているでしょう。
この姿であれば、人間の生活を真似できるかもしれない。
正直に申し上げます。ワタクシは、人間にずっと憧れていたのです。人間の生活に憧れておりました。ですから、ワタクシはまちに向かって、人間に紛れ込みました。
人間の言葉を覚えました。
人間の動作を覚えました。
人間の生活を覚えました。
人間である。
人間である。
ワタクシは、人間に紛れ込んで、日々自分にそう言い聞かせて、生活の真似事をしておりました。時々無知を晒しては、アナタ様方に怒鳴られることもありました。ですが、誰もワタクシが人間である、と信じて疑っておりませんでした。
嬉しかったのです。ああ、ワタクシは人間として生活している。ワタクシはアナタ様方と、同等の存在として見倣されている、と。
ワタクシは人間になれたと。
嬉しかったのです。
嬉しかったのです。
ワタクシがヒトデナシになった日。
呼吸さえもできないぐらい、喉が締め付けられるような熱帯夜。
まちはずれを散歩していると、ひとつのモノを見つけたのです。それは、ワタクシが棲み着く古寺の、向かい側に住んでいる女性でした。
名前は確か、はじめ、と呼ばれておりました。ころころと笑って、ワタクシのことをユクヒト、と呼ぶ女性。スズメのように、やけに耳に残る声をしておりました。
そんな彼女が、モノに成り果てておりました。
顔は腫れ上がって、衣服はぼろぼろになって、目も虚ろなまま。ワタクシの名を呼ぶ口は半開きで、何も発しなくなっていました。
人間がモノに成り果てることを死、と表すことを知っていましたので、ワタクシは、ああ、はじめは死んだのだな、と理解したのです。
ならば。ワタクシがすることはひとつ。
はじめを取り込む。
はじめの喉に手を伸ばして、じゅわわ、と取り込み始めます。すべてを取り込んだ頃には朝になって、ワタクシははじめの姿になっておりました。
声を出すと、はじめと同じ、スズメの声が聞こえます。ユクヒトの姿とは違う、ころころと、優しくて、あたたかい声。
ワタクシには出しようもない、美しい人間の声。
はじめを取り込んだことで、手に入れた声。
ワタクシが奇麗なモノになれた気がしました。
気付いてしまいました。
奇麗なモノになるには、奇麗なモノを取り込むしか無いのだと。
欲を出してしまいました。
人間の姿を手に入れ、人間として生活できることに満足して、そしてあろうことか、アイ、というモノが欲しくなったのです。人間であるならば誰もが平等に分け与えられるアイ。
奇麗な姿になれば、いただけるのではないかと。
その日から、ワタクシは奇麗なモノを集めに行きました。まちを訪ね歩き、奇麗なモノを持つ人間を探します。
ひとつ目のまちで目を。
ふたつ目のまちで顔を。
みっつ目のまちで足を。
よっついつつむっつ。たくさんたくさん集めて、奇麗な人間の姿を形作ります。徐々にワタクシは奇麗になっていき、とうとう最後のまちを訪れました。
それが、このまちだったのです。
◯◯◯
「ワタクシはあとひとつ、それを取り込んでしまえば、奇麗なモノとして完成していました。それでやっとアイされるはずだったのです。その前に、捕まってしまいましたが」
ユクヒトと言われている男。その男が出現する町では必ず、住人の1人が姿を消している。ある町では人気の町娘が、ある町では1番の色男が。彼は連続殺人犯と断定され、各町警戒と見回りを怠るな、と通達が来た矢先、彼がこの町に来た。彼はすぐに捕まり、死刑の判決がくだされた。
「ワタクシはヒトデナシです。ワタクシは人間ではありません。ですが、アナタがワタクシを人間と同じように斬るとするならば、ワタクシは人間として死ねる。ああ、それも良いですね」
彼を斬るのが俺の仕事だ。彼の命を奪うのが俺の仕事。
処刑場につき、予定時刻につくまでの間、時間を潰そうと彼に話しかけたのが間違いだった。
「多くの人を殺したお前は、人でなしだ」、と。
彼はそもそも、人間ではなかった。人間になりたいただの化け物。
「殺してください。奇麗なモノにはなりきれませんでしたが、ワタクシは人間になれます。アナタが殺してくだされば、人間になれる。ヒトデナシを斬って、心を晴らしてください」
異常だ。こいつは異常。人でなし以前に人間ではない。人間になろうとしている。
「感謝します。アナタのお陰でワタクシは人間になれる。ヒトデナシから人間へとなれる。アナタはただ斬るだけでよいのです、アナタの仕事をするだけだ」
うるさい、黙れ。お前の声を聞きたくない。人でなしの言葉に耳を貸したのが間違いだった。どうせ同情を寄せるための狂言だ、構わず殺せ。
刀を抜いて、男の背後に立つ。ごぉん、と遠くで鐘の音が鳴っていた。
深呼吸。俺がやるべきことは、こいつを殺すこと。私情を持ち込むな、斬ることだけに集中しなければ。
「処刑の時間だ。言い残すことはあるか」
罪人に対していつも聞く定型文に、彼は目を輝かせて答える。
「ワタクシを人間にしてくださり、ありがとうございます」
そして、刀を振り下ろした。
◯◯◯
記録
罪人名 ユクヒト(死刑執行済み)
罪状 殺人、死体の辱め
念の為記録しておく。
ユクヒトの首が消えたそうだ。
◯◯◯
「ああ、やはり、ヒトデナシなのですね」
小さな塊が呟いた。
ヒトデナシ あしゃる @ashal6
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