第4話 賢者

「あの屋敷よ」

 ゾンビの彷徨う街を歩いてしばらく。遠巻きに見ても大きく感じた屋敷が、ようやくその全貌を拝めるようになった。坂を登っているあいだ、ケンはショットガンの重みに何度、その辺に捨てようかと思ったかわからない。

「綺麗そうな屋敷だな」

「賢者は光属性だから、ゾンビを寄せ付けないのかもしれないわ。あたしは近付けないかもしれないわね」

 ゾンビを寄せ付けないことで、建物は綺麗に保たれているのだ。避難所に利用されているのかもしれない。

「無理はしないでおこう。リンがいなくなったら困る」

「ふん、都合の良いゾンビってわけね」

 リンがついとそっぽを向くので、いや、とケンは暗い声で言った。

「初めての秘書艦が轟沈したときの悲しみは深かったからな」

「どうせオートだからって目を離してたんでしょ」

 呆れたように目を細めるリンに、ケンは小さく息をつく。あの悲しみを忘れることは、終生ないだろう。

「そうでないにしても、せっかくリンと友達になれたんだから、友達を失ったら悲しいのは当然だろ?」

「とっ、友達……」

 リンがぴたりと足を止めた。その表情に、あっ、とケンは慌てて言う。

「会ったばかりで厚かましかったかな」

「べっ、別にいいけど!」

 腕を組んでついとそっぽを向くリンに、どうやら嫌ではないらしい、とケンは小さく笑った。

「じゃあこの先、他のゾンビ娘に出会っても、あたしが一番だって約束しなさい」

「ああ、わかった。リンが一番の友達だよ」

「約束を破ったら、ユリシア様に言い付けてこの世界から抹消するから」

「脅しの規模がデカくて怖い」

 リンの表情は明るい。友達になったことを喜んでくれているなら、ケンとしても嬉しいことだった。

 屋敷はケンのイメージする貴族の邸宅のような風采をしている。古びてはいるが、この頽廃した街で一軒だけ取り残されたように感じられた。

 ケンが大きなドアのノッカーに手を伸ばすと、リンが恐る恐る屋敷に近付く。ケンとしては無理をして消滅するようなことにはならないでほしい。少しずつ近寄るリンに異常が起こるようなことはなく、無事にドアの前まで辿り着いた。

「近付いても大丈夫そうね。中にも入れるかもしれないわ」

「よかった。賢者の話を聞く中で、リンの意見が必要になってくることもあるかもしれないからな」

 ノッカーの音は、ゴンゴン、と思っていたより大きな音を立てる。どれくらいの使用人がいるのかはわからないが、これだけ街が頽廃していれば、残っている者は少ないのではないだろうか。ケンはそう考えていた。

 ややあって、大きなドアが開く。顔を覗かせたのは、クラシカルメイドのお仕着せを身に纏った女性だった。ホワイトブリムで纏められた金髪が、端正な顔立ちを際立たせる清楚な侍女だ。

「どちらさまでしょう」

「ケンと言います。賢者様の知恵をお借りしたいんです」

「おじいちゃんの知恵袋を頼っていらっしゃったのですね」

「何を焼いているんだろう」

 どうぞ、と侍女がケンとリンを屋敷内に招く。屋敷の中は決して豪華ではないが、掃除が行き届いており、綺麗な内装だった。

 侍女は屋敷の奥にふたりを案内するが、他の使用人の姿が見えない。これがけ立派な屋敷なら、何人もの使用人が行き交っていてもおかしくはないはずだ。

「あの」ケンは言った。「他に使用人はいないんですか?」

「はい」侍女は頷く。「いまは私だけです」

「あなたは賢者様のお付きの侍女だから残ったということ?」

 リンの問いに、侍女は薄く笑う。

「私はこの屋敷の使用人ではありません。介護ヘルパーです」

「介護ヘルパー……」

「はい。マキナと申します」

 介護ヘルパーがメイドの格好をしているとは実にファンタジーだ、とケンはそんなことを考えていた。

「頼るついでに連れて行っていただけたら助かります。こんな辺境の屋敷でひとりなんて嫌だったんです」

「急に辛辣ですね。まあ、とにかく会ってみます」

 賢者と言えど、介護ヘルパーが付くほどの老人ということである。もし、いわゆる“ボケ老人”であれば、連れて行くのはひと苦労になるだろう。しかし、そうであればマキナは正直にそう打ち明けるだろう。ボケて話にならないほどの老人を旅人であるケンとリンに任せるような無責任ではないように感じられた。

 マキナはリビングにふたりを案内した。暖かいリビングの中、緩やかに燃える暖炉の前の揺り椅子に座って、いかにも賢者というようなローブ姿の老人がうたた寝している。眉と顎髭は長い白髪だ。

「タケヒコ、お客様がお見えですよ」

 マキナが賢者の肩をたたく。返って来たのはいびきだった。

「タケヒコ、起きてください」

 またいびきが返事をする。深く眠っているらしい。

「タケヒコ、目を開けたら目の前に可愛い子がいますよ」

「ほっ? 死んだばあさんか?」

 賢者がパッと顔を上げるので、ケンは苦笑いを浮かべる。賢者はリンを見つけると、柔らかく微笑んだ。

「おお、これは可愛らしいお嬢さんだ」

「不名誉だわ」

 リンは不満そうな表情だが、賢者は髭を揺らして、ほほほ、と穏やかに笑う。それから、ひとりで納得したように頷いた。

「なるほど、なるほど。裏の勇者がついに来なさったか」

「裏の勇者?」

 首を傾げるケンに、うむうむ、と賢者はまた頷く。

「九十八年も生きて来たが、勇者がふたりもこの街におるとはの」

「ゾンビ化する暇もなさそうね」

 リンは肩をすくめる。光属性の賢者がゾンビ化することはないのだろうが、その長寿から、ゾンビ化したとしても、という言葉がケンの頭の中をよぎった。

「このお方は賢者タケヒコ」と、マキナ。「何十年前か忘れましたが、かつて勇者パーティの一員でした」

「ということは」ケンは言う。「この街がゾンビ化するのは二度目なんですか?」

「そのときは魔王がおりました。それに比べれば、ゾンビ討伐なんて小さな栄誉です」

「みんな、もしかして勇者が嫌いなのかな」

「嫌いじゃよ」

「清々しい~」

 魔王の出現は世界が危機に晒されることだ。魔王と戦う勇者は、世界の平和を守るという使命がある。対して今回の勇者は、ゾンビ討伐でこの街セルシリアを救う。世界と街という規模の差は確かに印象が違った。

「というか、裏の勇者って?」

「わしがそう呼んでいるだけじゃよ。ユリシア様はたまにやらかすからのう」

 ぽんこつ女神ユリシアのぽんこつぶりは、ユリシアを知る者はすべからく承知しているらしい。

「間違えて召喚されたから勇者ではない、なんて、あまりに不憫じゃ。だから、わしはそう呼んでおる」

「いままでにも間違えて召喚された人がいたんですね」

「ユリシア様のぽんこつぶりは終生、治らんじゃろうの」

 女神に「終生」というものがあるのかはわからないが、タケヒコはすでに慣れているらしい。賢者ともなると、女神と接触することがあるだろう。そのたびにユリシアはやらかしているのかもしれない。

「特に使命があるわけでもない。もとの世界に戻る方法はないのじゃから、あまりに不憫じゃよ」

「えっ、戻る方法ないの!?」

 驚いて声が裏返るケンに、タケヒコは重々しく頷いた。

「いまのところはの」

「じゃあ、俺はこれからこの世界で生きていかなくちゃならないんですか?」

「この世界も悪くないと思うぞい。ゾンビ化が解消されれば、街の復興が始まる。それに手を貸せばエピソード2じゃよ」

「第二の人生みたいなものね」

 リンが平然としているところを見ると、もとの世界に戻る方法がないことは知っていたらしい。それでも言わなかったのは、ケンを落胆させないようにする優しさだったのかもしれない。

 ケンはひとつ息をつき、気を取り直す。

「復興のためには、知性のあるゾンビも討伐しなくちゃならないんですか?」

「この世界には、魔物がおる。この街は、知性のあるゾンビが夜襲を防いでおるのだよ」

 ケンが視線を遣ると、リンは小さく頷く。彼女も戦いに赴くひとりらしい。

「夜な夜な魔物と戦うゾンビ、それがゾンビ娘じゃ。この街は、そうやって成り立って来たのじゃよ」

「けれど、ゾンビも魔物であることに変わりはない……」マキナが言う。「ゾンビ娘の存在をよしとしないのが女神エヴァ様です」

 エヴァはゾンビの殲滅を目的に勇者を召喚した。ゾンビ娘もゾンビとして、討伐対象なのだろう。

「この街はユリシア様の領域」と、タケヒコ。「ユリシア様はゾンビ娘の存在を必要なものとお考えじゃ。つまり、姉妹喧嘩じゃな」

「はた迷惑な姉妹喧嘩だ」

 姉妹喧嘩の決着が、この街の存続に関わってくる。ケンとしては、エヴァに肩入れすることはできないように感じられた。

「でも、ユリシア様は手違いで俺を召喚したと言っていました」

「ドジっ子ぽんこつ女神というキャラ付けじゃな」

「女神にキャラ付け必要かなあー」

「女神も属性で差をつける必要があるからの。ガチでミスの可能性もあるがの」

 あのぽんこつ女神のことだ。もとの世界に戻る方法がない上にチート能力すら授けてもらえなかったとしたら、心から恨んでいたことだろう。ケンには、リンという友達を得たことは何より大きいことのように感じられた。

「でも、ゾンビ娘を守るに越したことはないですよね」

「うむ」

「この街がゾンビ娘の存在で成り立って来たなら、勇者に討伐されるなんてあんまりです」

「わしもそう思うよ」

「ユリシア様に肩入れするわけではありませんが、リンと同じゾンビ娘なら助けると思うのは当然ですよね」

 力強く言うケンに、賢者は満足そうに頷く。

「それでこそ裏の勇者じゃ。では、わしも力を貸さねばならんのう」

 杖を手に、タケヒコが重い腰を持ち上げる。マキナが手を添えても、タケヒコの杖は右へ左へガクガクと揺れていた。

「これをきみに授けよう。テッテレー。四次げ……アイテムボックスじゃ」

「効果音、間違えてないっスか?」

「そうしてショットガンを持ち歩いていると疲れるじゃろ。アイテムボックスは空間に干渉する魔道具じゃ。なんでもいくらでも収納することができるぞい」

「それはありがたいです」

 半信半疑ではあるが、ケンは受け取った緑色のポーチにショットガンを突き刺す。それはポーチに貫通することなく、するすると納まっていく。本当に空間に物がしまえるポーチのようだ。

「これで」と、リン。「他の武器を手に入れてもしまうことができるわね」

「ああ」

「とにかく、チート能力を使ってゾンビ娘を保護するところからじゃな」

 なぜそこまで把握しているのか、とケンは思ったが、それも「賢者だから」で片付けられそうな気がして、言うのはやめておいた。

「マキナさんも一緒に来ませんか?」

「私も、ですか?」

「こんな状況じゃ、どこに行ったってゾンビと戦うことになります。ひとりで街を出ることを目指すより、みんなで行ったほうが安全じゃないですか?」

 マキナは、こんなところにひとりでいるのが嫌だった、と言っていた。この街を脱して外に行くにしても、どこかしらでゾンビと遭遇する。ひとりで戦いに赴くより、四人で行動すれば少しでも安心できるはずだ。

「……そうですね。田舎に戻るまで、同行させていただきます」

「はい。よろしくお願いします」

 介護ヘルパーがどれくらい戦えるかはわからないが、ケンとしても、味方が増えることはありがたかった。

「さて、行くとするかの」

 タケヒコが一歩、足を踏み出す。しかし、二歩目がかなり重い。三歩目を踏み出すのも、かなりゆったりしていた。

「まずは、おじいちゃんの歩く速度のアップグレードからみたいね」

 呆れて目を細めるリンに、ケンは苦笑する。また女神の力を借りる必要があるようだ。




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ぽんこつ女神の手違いで異世界転移したら、ゾンビ娘を救う裏の勇者になった 加賀谷 依胡 @icokagaya

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