そのあとに続く物語
ぽつり、ぽつり、と木の葉から雨粒が滴り落ちて地面で跳ねる。
町の外れの大きな木の下。突然降り始めた雨から逃れるために移動してきた二人の子どもは不安気に空を見上げた。頭上を覆う雲は分厚く、まだ夕方には早い時間だというのに、辺りは薄暗い。雨音がやけに大きく聞こえる。なんとなく、不安と心細さを感じて身を寄せ合う。
「………雨、やまないねぇ」
小柄な方の子どもが紫の瞳を雨空に向けて呟いた。
「大丈夫、きっと晴れるよ」
もう一人の子どもが自分より小さな背中にそっと手を添えた。自分はお兄さんだから、しっかりしないといけないという意地で、ひとつだけ年下の子どもを勇気づけるように笑ってみせる。
「それに、お父さんたちが迎えにくるよ」
ぱちぱちと紫の目を瞬かせた子どもの表情が綻んだ。
雨脚はどんどん強くなっているが、不安はもうなかった。肩をぶつけ合って、寄り添い合って、晴れ間を待つ。
と、ぱたぱたと水を蹴る足音が聞こえた。
「——ティアン、レン。遅くなってごめんな」
「迎えに来たよ」
雨音を掻き分けて、柔らかな声が届いた。
ふたりはばっと顔を上げる。黒色の傘と青色の傘を差した男の人が二人、手を振っていた。
「お父さん!」
「おむかえ!」
口々に叫んで、二人の子どもは立ち上がる。ぴょん、と濡れた地面を蹴ると、黒と青、それぞれの傘に飛び込んだ。
力強い腕が、子どもたちを受け止め、当然のように抱き上げる。きゃっきゃと足をバタつかせる子どもたちを、大人たちは微笑ましく見遣った。
「さ、帰ろうか」
「お母さんたち待ってるよ」
はーい、と元気な声が返る。
雨はまだ、止まない。
振り続ける雨の中、ふたつの傘が、寄り添うように家路を辿る。
※※※
「エリス、まだ来ないのか?」
そわそわしているセージとルリアの二人に、アスタは笑いながら声を掛けた。
机を拭いていたセージがむっとしながら振り返る。
「来てない」
「診療所、今日まで開けているんでしょう?もう少し後かもね」
飲み物を手に厨房から戻ってきたルリアが肩を竦める。困ったように下げていた眉を笑みの形に直すと、ぶらぶらと足をぶらつかせている少女へと声を掛けた。
「はい、アミ。長旅ごくろうさま」
冷たいグラスを小さな手が受け取る。
「ありがとう!」
ごくごくとジュースを口に運ぶ、金髪の少女。以前、エリスによって整えられた髪は、少しだけ伸びて母親の手で可愛らしく纏められている。
かつて軍の実験に巻き込まれたアミは、アスタによって両親のもとに送り届けられ、現在セントラルで平穏に暮らしている。再度軍の陰謀に巻き込まれないように守られている彼女が、アスタとともに数時間列車に揺られてイヴェールに到着した理由はひとつ。エリスに会うためだ。
頻繁にセントラルを訪れるアスタとは違い、エリスとは別れてから一度も会えていなかった。アスタや双子から、お互いの近況を知ってはいたし、通話も何度かしてはいたが、それはそれ。
そんなとき、アミの両親がアスタに相談したのだ。軍の状況が落ち着いているのなら、セントラルを離れたいのだと。近くにいた方が守りやすいが、近くにいるほうが危険なこともある。軍内部においてアミの情報が統制から削除に移行したことをきっかけに、物理的な距離を取る方針となった。
つまり、今回の旅行は、エリスと会いたいアミと、引っ越しのために準備をしたい両親との要望が一致した結果だった。
安全面と、関係者が集まりやすいという理由で場所がイヴェールに決まり、さて日程をどうしようとなった段階で、誰かが言い出した。
——サプライズ、したくない?
そんなわけで、エリスには内緒で事が進められているのである。
「エーデルワイズ。彼はまだ?」
早めの店じまいをしていたアヤメが心配そうに声を掛けてくる。頷いて、アスタは窓の外を伺った。
四角い枠の空には、薄暗い雲が広がっている。これは一雨来るかもしれない。
ふと。雨の中、傘を手に向かってくる人影が脳裏に浮かんだ。誰だろうと記憶を辿るより早く。その面影は瞬きの向こうに消えてしまったけれど。
「………ちょっと、迎えに行ってくる」
そう言って立ち上がったアスタを、空になったグラスを抱えたアミが見上げた。
「お迎え?」
「そう。雨降ったら困るだろ?」
ぱちぱち、と瞬いたアミが満面の笑みを見せる。旅をした頃よりも無邪気で、ほんの少しだけ大人びた笑顔だった。
「いってらっしゃい。早く帰って来てね」
ぽつり、ぽつり、と雨だれから雨粒が滴り落ちる。
濡れた服をパタパタと払いながら、エリス・ユーフォルビアは軒下から空模様を伺った。分厚い雲が空を覆い、雨はまだ止みそうにない。
アスタに誘われてアヤメに代替わりしたイヴェールを訪問するため、ネレーイスの診療所からやって来たのだが、途中で豪雨に捕まってしまった。仕方なく雨宿りをしているのだが、この様子だと走って店に向かった方が早いかもしれない。昨日着いているはずのセージや、ルリアたちが心配していないといいけれど。
「迎えに来てくれないかなー…」
ぽつりと呟いた言葉は、雨音に消えた。
それにしても、アスタは何を企んでいるのだろう。
悪いことではないとは思う。黒色の瞳を、楽しそうに細めていたから。あと多分、双子も共犯だ。隠し事がありますよと隠すこともなく笑っていたアスタとは違って、子どもたちは頑張って隠そうとしていたが、兄を舐めないでほしい。バレバレだ。
くすくす、と笑みを零す。
と。
笑みを含んだ柔らかな声が、雨音を掻き分けて届いた。
「——お前、ここでなにしてんだ」
お、と振り返る。黒色の傘の中、友人が呆れたように笑っている。
迎えに来てくれたらしい。
手を振って返そうとして、ふと既視感を覚えた。ぱちり、と目を瞬かせる。
——いつか、誰かが。
降り注ぐ雨の中、手を振っていた気がしたのだけれど。
「エリス?」
「うんん、なんでもないよ」
ふるふると頭を振る。その拍子に髪を濡らしていた雫が散って、飛んだ先にいたアスタがおい、と声を荒げる。
「散っただろ」
「ごめんごめん」
「お前、傘は?」
「忘れた」
ひょいっとエリスが肩を竦めると、アスタは苦笑してそっと傘を差し向けた。
礼を言いながら傘の中に入る。荷物を濡らさないように動かしながら、店に向かって歩き始めた。
「助かったよ」
「お前、たまに抜けてるよな。ここまでどうやって来たんだよ」
「ジニアに送ってもらった」
「そのジニアは?」
「友だち迎えに行くって言って、オレアンダーに」
ああ、とアスタが頷く。
瘴気が消えてもうすぐ二年。オレアンダーの状況も落ち着いて、数日ならトラデスティも拠点を離れられるようになった。だというのに、行きたいところはないからねぇ、なんて言って閉じ籠ったままのトラデスティを、あの手この手で外に引っ張り出しているのが、仲直りしたという彼の弟だった。
「アルスティ、今オレアンダーにいるのか?」
「らしいよ。そのまま今回はコルチカムに行くって言ってたから、向こうで会えるかもね」
アルスティ・トレーマー。クラッスラに向かう道中で一緒になった彼が、トラデスティの兄弟だと知った時は驚いた。ついでにジニアの友人だというのだから、世間は狭いものである。
再会直後はぎこちないトラデスティとアルスティの間をジニアと、時々エリスが駆り出されて取り持っていたせいで、兄弟のあれやこれやそれやは関係の薄いアスタにまで筒抜けである。いい気味だ。
「診療所は?」
「数日休み。張り紙出してきた。そのせいで昨日と今日、患者さん多くてさー。それにこの雨でしょ?疲れたー」
傘の中でぐっと伸びをする。伸ばした手が傘に当たって、おいと咎める声にごめんごめん、と軽く返す。
「それで傘忘れたのか」
「うっかりしてたよねー。来てくれて助かったよ」
「いつかとは逆だな」
アスタが出逢ったときのことを言っているのだとすぐに分かった。エリスは声を立てて笑う。
随分昔のようにも、つい昨日のことのようにも思う。
あの日がきっと、分岐点だったのだ。
「——で?アスタたちは何を企んでるの」
「なんだ、気が付いてたのか」
「もちろん。楽しそうにしてたから、知らないフリしてたけど。そろそろ種明かしでしょ?」
アスタは何も答えず、ただ楽しそうにけらけらと笑った。口を割る気はないらしい。
「まあいいや。店に行けばわかるんでしょ?早く行こう」
「お前が遅かったんだろ……」
傘の中、肩をぶつけ合いながら店までの道を辿る。
商店街を抜け、店の影が見えた辺りで雨足が勢いを弱めた。傘の隙間から空を見上げると、分厚い雲の隙間から光が差し込んでいる。
「止みそうだな」
「晴れたねぇ」
黒塗りの門を押し開き、敷地内に入る。石畳を越え、玄関に辿り着いたところでアスタが傘を畳んだ。
「ありがとう、助かったよ」
「おう。先入れ」
なるほど。どうやら早々に種明かしがあるらしい。
少しだけわくわくしながら、エリスは店の扉を開けた。
「帰ったぞ!」
エリスの背後で、アスタが店の奥に向けて声を掛ける。おかえりなさい、と返って来たのはアヤメの声だろう。
それから、とととと、という軽い足音が聞こえてきて、エリスは動きを止めた。
「えっ」
背の高い机と椅子の間を縫うようにして現れた少女の姿に、エリスが間の抜けた声を上げる。後ろで様子を伺っていたアスタがくつくつと笑みを噛み殺した。
「エリスさん!」
「アミ!?」
喜色満面。喜び勇んで駆けてきたアミが、ぴょんと床を蹴る。次の行動に気が付いたエリスが咄嗟に腕を広げる。彼が放り投げた荷物を、アスタが間一髪で受け止めた。
嬉しくて仕方がないと言わんばかりに弾んだ声が、雨上がりの空に響き渡る。
「おかえりなさい!」
いつか晴れる花の空 佐倉 美汐 @cerisier0717
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