生きるという宿痾。

 僕は時々、自分が生きていて良いのか迷うことがある。それも一度や二度じゃない。心傷を負っているときも、仕事を失敗して後悔に苛まれていてもだ。状況を選ぶことなく僕は迷う。その強度も相当で、自殺未遂の回数は両手足入れても数え切れない。


 死のうとしても死ねない、そんなことが続いたせいで、自分は選別された存在なんじゃないかと勘違いさえした。


 特別なんじゃないのか? 天才なんじゃないのか? 主役なんじゃないのか?


 と、そこで僕は気づく。僕はただ、責任から逃れようとしているだけなのだと。課せられた責任を果たせと、どこまでも伸びる傀儡の腕のように僕の足を掴んで離さないのだ。


 僕は生きていい人間じゃなくて、生きさせられているだけなのだ。


 ならば自らの意思で生きていい人間はどういう人間か?


 生存を選べる人間とは?


 価値を生める人間とは?


 生きてはいけない僕は、その答えをどれだけ思索しても見つけられないのだった。


「――――えっと、迷いの森だっけ? いや、元ってつけないと失礼か。あぁ、僕の住んでたとこじゃあ自然に敬意を払うっていう文化があってね。それも神様扱いが基本なんだぜ? おかしいよな。こっちが散々搾取してるのに、その上で感謝を伝えてるってさ。別に自然は僕たちのために育ってきてくれたわけでもないのにね」


 僕は、森の外れにあるねぐらを前にして、たった一人、そう語りながらオークバルたち方へ向かっていった。


「だけど、ここじゃあその文化も通じない。郷に入っては郷に従えとはいうけれど、この場合は、そうだな――――」


 先ほどまで狂喜乱舞していたオークバルたちが一度に静まり返り、僕の方を怪訝そうに睨む。


 武器を手に取り、悪意と殺意をむき出しにしている。僕をサンドバックか何かと思っているんだろう。


「――――ここは尊敬するには下劣すぎる」


 次の瞬間、僕は目先の金髪のオークバル、ハウ・オークバルへ向かって爆弾花を投げつけた。着弾した爆弾花は爆発し、砂埃と木片が散るのが見える。


 長への襲撃を認知したオークバルたちは、なんの迷いも躊躇いもなく僕に襲いかかってきた。それを見越していた僕は、爆弾花を投げた手とは逆の手で、煙玉を地面に叩きつける。今日の夕方用いたものと同じものだ。


 煙玉を投げつけてすぐに、僕は目の前へ走る。そこにはオークバルがいない上に、シカシと村長が倒れているからだ。


「大丈夫か二人とも。僕、二人分の墓なんて絶対作りたくないぞ。穴掘って、石を削って、運んで……そんな過重労働絶対嫌だ」


 二人とも意識はなかった。僕はすぐさま砂塵が打ったという傷を癒すナイフをシカシの足に刺した。とりあえずこの二人だけを運んで、目立たない場所に隠した後、時間が経って二人が起きたら、それを互いに刺しあって二人で村に帰ってもらおうという算段だ。


 なのでヤツガイは一旦見捨てることになる。あとは――――バイクがあるが、闘孤はどこかへいってしまったから、考える必要はないだろう。


 完璧とは言い難い。どころか、運に頼る要素がいささか多いように思える。実際、僕が二人を抱えて遠くまで逃げ切れるとは限らないし、二人を隠せたとしても、その後見つかる可能性だってある。


 どのみち博打に変わりはない。だが、これ以上いい方法も思いつかない。


「よし――――僕、全然肉体派じゃないんだけどね。たまには合わせて百キロくらいの重りを抱えて走んないと」


 背後からはずっと、オークバルたちがむせる音と、排泄音に似た嗚咽が聞こえている。


 最悪のBGMだ。天国と地獄でいいから流してくれないかな。


「行くぞ……」


 気合いを入れて、アドレナリンマックス。僕は走り出した。


 一歩一歩が重い。走れているかどうか怪しい。歩いた方が早いんじゃないかと思うほどだ。


 いつもよりずっと、足が土を多く抉っている気がする。肺に穴が空いたような苦しさが、早くも付きまとう。


 膝の関節部が噛み合いすぎて痛い。二人の体を支える肩が痛い。木々が顔に当たっても、両手が塞がっているからなす術がない。


 ぬかるんだ地面で踏ん張ると、転びそうになった。もしもこんな状況で転んだらどうなるのだろうか。と、破滅的な思考がよぎる。


「ハァ……ハァ……!」


 どこまでいけばいい。どこまで来た? あの煙玉が稼げる時間など高が知れている。残された時間はどれだけある?


 それに、僕の限界はいつ訪れる?


 足元の悪い中、僕は何度も転びそうになりながら、二人を肩に抱えて走った。ヤクザに追われている時よりもずっと必死だった。途中で靴が脱げたが、そんなものに構っている暇はもちろんなかった。


 十分走ったようか? と道中思ったが、それは確実に希望的観測だ。幻覚であり、錯覚でしかない。


 そうして、メロスのごとく走り、天から監視する月が雲に隠れた頃、僕はまさしく、『最悪な音』を聞いた。


 それは震えるようで、唸り声のようで、何より、すでに一度聴いたことがあった。


『グゥゥゥン』


「ハァ……ハァ……これは、闘孤さん……?」


『グゥゥゥン、グゥゥゥン!』


 まさか、来てくれたのか? いきなりいなくなったのは、彼女なりの演出?


 …………いや、待て、違う。そうだ、あのバイク、闘孤さんの愛馬に、最後跨っていたのは一体誰だった?


『ブゥゥゥン! ブゥゥゥン!』


 最後に跨っていたのは――――


「グゥゥガァァァァ!」


 金髪のオークバル、ハウ・オークバルがそこにはいた。


「――――――」生きていたのか、そんなリアクションを取る暇もなく、その鉄獣は僕へ突っ込んできた。生物ではおよそ実現不可能な突進力。僕を支える二本の骨が、確実に折れた。


「あ”ぁ”っ! がっ、ぐっ!」


 何も言えない、口が開かないし、喉が動かない。


 何も見えない、痛みを堪えて顔面の全ての部位に力を込めてしまう。

 何も思わない。もう、無理だと悟ってしまったからだ。


「ヨォ、インゲン」


 誰だ、誰か喋っている。まさか他の人間か? ならば助けか? いやまて、ちがう、今喋ったのはこいつだ。


 ハウ・オークバルだ。


「オマエ、ハ、コレカラ、アー、シヌ! オレガ、コロス、カラ、ダ!」


 残酷で非情な事実を、稚拙にもぶつけてくる。


 そんなこと、言われなくてもわかっているというのに。


「オマエ、ザンネンダッタナ。ナカマ、ナンダロ? アタマシボッタンダロウガ、ムダニオワッタナ」


 ナカマ……? 仲間か。確かに、それについては申し訳ない気持ちで一杯だ。元を辿れば僕が全ての元凶なのだ。森を調査しようと提案したのは僕だった気もする。さらに言えば、僕が龍を騙すなんて言ったから、ここは迷いの森ではなくなって、オークバルが流出してきたわけなんだし。


 やっぱり僕に生きている価値はない。生きていい理由がないのだ。


 いるだけで厄災を振り撒く、正真正銘悪人なのだ。


「デ、ドウヤッテコロソウカ。ムシニイキタママクワセルカ? カイボウシテミテモイイ。ニンゲンダーツ、ヤッテミタイゾ」


 全部最悪な死に方だ。僕らしくていいかもしれないが。


 あーあ、さっさと自決しておくべきだった。死のうと思えば、いつでも死ねたな。先延ばしにしてるから、こうやって割を食う。


「マァ、ゼンブヤレバイイハナシカ。オイ! オマエラ、コイツハコビダスゾ――――」


 あぁ、これで終わり、全て終わり。僕の人生の最終回、見苦しくはあったけれど、劇的ではあったかな。


 結果論で言うと、やっぱり僕は生きているべきではなかったんだろうな。責任に生かされていたような僕だけど、果たすことは叶わず、無様に死んでいく。


 僕は死ぬべき、悪人だ。


「死ぬべき人間なんていない。そう思わないか?」


 ……誰の声だ?


「絶対は絶対ありえないって言えば、その限りじゃねーけどな。だが、少なくともお前は生きてていいって、あたしは思うぜ?」


「闘孤さん……? な、なんで?」


「遅れちまってごめんな。本当はあの金髪畜生から愛馬をぶんどるつもりだったんだけどな。想定外なことに、あたしの愛馬が暴れ出しやがった。そんで……おい!」


 張り詰めた太鼓のような、重く圧のある怒鳴り声をあげた。正真正銘千霧屋闘孤、その人である。肩にヤツガイを掛けてやってきたらしい。


「たっくなんだよボケ獣風情が。人間様の知恵の結晶に悪さしてんじゃねーよ。しかもそんなかでトップのこのあたしの愛馬に乗るなんざ、天も許さねーし、あたしはもっと許さねー。ぶっ殺すぞ。シーツを交換する手間が増えただろうが。それともなんだ? 家畜に成り下がるか? それが嫌なら死ぬしかねーけど」


「ナンダオマエ! ガァッ! マサカ、テツバノオンナカ!?」


「あぁ? 鉄馬? なんだそりゃ。あたしのこと言ってんのか? つーか、さっさと降りろよ。まじで冗談抜きでぶっ殺すぜ」


 ……ハウ・オークバルの方は闘孤さんを知っている? それも、かなり畏怖がこもった名前らしい、その、鉄馬とやらは。


「ガァ、イマノオレハ、コイツヲノリコナシタ。イクラテツバトハイエオイツケマイ! イマノキサマナド、スナツブニモミタナイ!」


 そう言って、ハウ・オークバルはエンジンをふかす。どういうつもりか知らないが、逃げる腹づもりのようだ。


「けっ、甘ちゃんが。あたしからみりゃ全然まだまだだぞ。三輪車どころか、補助輪つけまくりのベビーカーみたいだぜ。いいぞ。逃げんのなら逃げてみな」


 そうニヤつくように微笑みながらも、眉間には濃く皺が浮かんでいる。その三白眼は、ナイフのように尖っている。


「オマエタチ、アシドメヲシロ!」

「ゲェ!」


 茂みからぞろぞろと、下品な面をしたオークバルが顔を出してきた。


 そんな中ハウ・オークバルは、器用に車体を反転させて、エンジンを唸らせて走っていった。


「……いい、んですか。闘孤さん、逃げられます、よ」


 僕は折れた足から伝わる痛みに耐えながら、闘孤さんにそう警告した。


「いいんだよ。それと、お前も喋んなくていい。足が真逆になって骨がくっついても知らねーぞ?」


 フランクに振る舞っているが、その言葉は重みを帯びている。


 オークバルの残党が、闘孤さんに襲いかかった。


 ……が、闘孤さんはものともせず、一本の剣であしらっている。


「そういえば、驚いたか? あたしがいきなりいなくなって。なぁに、そうだろうよ。言葉にしなくてもわかるぜ。なんでこんなことをしたんだって聞きたいんだろう? 言っておくが、これについてはお前だって悪いんだからな? あたしを目一杯信用しないで、どうとでも料理できる安牌な役回しやがってよ。自業自得ってやつだ」


 自業自得……確かにその通りだ。僕の悪業は、首桐白老という人間が生まれた頃から付き纏っている。


 それを晴らすのは、やはり死以外にありえない。


「人間ってのはもっと正直に生きていいんだぜ? あたしを見ろよ。あたし以上に正しく真っ直ぐに生きてる人間はそういないぞ?」


「そうでしょう……ね。だけど、正直に生きるっていうのは、僕に不可能です、くっ」


「そうかよ。そうだろうと思ったぜ。さて……そろそろかな? この茶番もさっさと終わらせちまおうぜ」


 そういったかと思えば、闘孤は振り返って何もないところに拳を繰り出すそぶりを見せた。


 シャドーボクシング、ではないことは明白だとして、次の瞬間、その拳が勢いづいた地点向かって、ハウ・オークバルが突っ込んできた。


「! グガァ!?」


 ドンピシャ、その拳はハウ・オークバルの顔面を陥没させた。


「な、なんでそっちからあいつが……」


 ハウ・オークバルが茂みから現れてきたのは、あいつが逃げたのとは真逆の方向である。星を一周してきたとしか説明がつかない。


「なんで? ってそりゃお前。ここがどこか忘れたのか? 迷いの森だぞ?」


「い、いや、でも、ここはもう迷いの森じゃないはず……」


「あぁ? なんでだよ。お前、龍が原因だから、そいつがいなくなってここが迷わせることのないただの森になったって、そう思ってたのか? そいつは都合が利きすぎだろ。悪影響の元を絶ったところで、事がおさまるとは限らない。何かしら禍根は残るもんだろうが」


 つまりどういうことだ。龍がいなくなったことによって、森が迷わなくなったとヤツガイあたりが言っていた覚えがあるが、あれは嘘だったのか?


「迷いの森の原因は、龍が生成した粉塵にある。そいつが森中に漂ってたから、粉塵を吸い込んで左右がわからなくなっちまうんだ。そんで、粉塵は龍が飛翔した時に森の奥へ散っていったんだ。だから森からは何日経っても出れねーし、こうやって馬鹿が無様な目に遭うわけだ」


 龍の粉塵を吸い込んでしまうのが、迷いの森たらしめる原因だったのか。


 全ての物事には必ず禍根を残す。原初を絶って綺麗さっぱり収まるなんて、あり得ない。


「さーてと、おら、さっさと降りやがれ。ちっ、派手に汚してくれやがってよ」


「ヒ、ヒィ! オマエタチ、オレヲイカセ! ゼンインイノチヲステテタタカエ!」


 ハウ・オークバルは戦慄し、それを見ていた闘孤さんは嘲笑っていた。


 そんな闘孤は、バイクに跨り、あるべく姿を取り戻したかのような存在感を放っている。


 そうしてニタリ笑顔で彼女は言う。

「――――反撃開始だよん!」

 

 ――――足の痛みに歯を食いしばりながら耐えながらも、数時間経った後、闘孤は返り血まみれの獣臭い容貌に変わって僕の前に再度現れた。


「よっす。相変わらず元気そうじゃん? はははっ! 足がパンパンになっる! すげーなこれ。筋肉? 触ってみてもいい?」


 いいわけない。が、そんなツッコミが出てくるほど、僕は元気ではなかった。


「さてと、おや、全員揃ってんじゃん。あたしの目的とお前の目的、どっちも達成してんじゃねーか! よかったな! これもひとえにあたしのおかげだな!」


 などと高笑いしていたが、とても対応できそうにない。


「んじゃ、あたしは両手に花で、お前とあの男は一緒にくくりつやるから、早いとこ帰ろうぜ?」


「その前に……応急処置くらいはしてほしいんですが……」


 僕は一応、ダメもとで聞いてみた。返ってくる答えについては、おおよそ見当がついているけれど。


「なぁに、気にすんなよ。擦過傷みてーに気にすんな」


 ほらね。


 それから僕は闘孤さんのバイクに乗せられ、ぐったりしたままみんなと一緒に村へと向け出発した。


 闘孤は両手でシカシと村長を抱え、体重移動だけで左右移動をするという驚異の操法を用いている。以前乗った時より幾らか運転が優しかったのは、きっと僕への気遣いのつもりなのだろう。


 全く気持ちの良くない夜風を浴びながら、森の中を走っていく。


 もし今日、闘孤が現れることなく、僕一人でこの戦いに挑むことになっていたら、結末はどう転んだだろうか。


 失敗に終わってしまうかもしれない。そもそも僕は挑みはしない可能性だってある。無謀だとわかっていて一歩を踏み出す勇気が、とても僕にあるとは思えない。


 よく考えたら不思議なのだ。僕は自分が用心深いやつで、その上小心者であることを知っている。その上で勇気をともにしなければならない賭けに出た理由というものが、僕の思考域に浮かんでこないのだ。


 ダカラちゃんに懇願されたから? 村のみんなを大切に思っていたから? 僕の目的を達成するため?


 それとも、千霧屋闘孤が現れたから?


 そんな僕は、どうしようもなく嘘つきだ。


「闘孤さん、一ついいですか?」

「おう。なんだ?」


「本当、今日はありがとうございました」


「はっはっは! なんだ、お前、正直になれんじゃんよ! だったらこのあたしからも、一つお言葉。首桐白老! これが偶然だなんて思うなよ。自分はたまたま助かっただけなんて言おうものなら、このあたし直々砂鉄にしてやる。偶然なんて式から外せ、必然について思考しろ。運なんてもんはお前を戦場に運ぶためもんだ。進むのはてめーの足自身だぜ。ほら、わかったら返事!」


 この人は強い。彼女に通っている芯は、僕なんかが食ってかかっても凹み一つつけられない。


 身どころか心も嘘で霞んでいる、詐欺師如きには、雲の上の人だ。


「……はい」


「オーケー。そんじゃ、そこで寝てな。安全運転は大得意だから、慢心してろ」


 満月だった月はいつの間にか雲に隠れて見えなくなっていた。


 よかった。これで僕の、泣いてしまうような顔を見られてしまう心配もない。


 これで、よかった。

 本当に、よかった。


 僕の意識は、ゆったりと夜に投げ出されていった。

 

 **********

 

 大事な存在ができることと、大事な存在に自分自身がなること、どちらがより苦しいかについては議論が分かれるところだとして、明白なのは、人間誰しも自分があって初めてその苦しみを享受できる点である。


 次目が覚めた時、そこはダカラちゃんの家のベッドだった。


「僕ってやつは危機から脱出するときいっつも寝てるな。大晦日なんかでは途中で寝ちゃうタイプなんだろう。きっと」


 独り言を呟いてみたけれども、どこからも返答はない。独りなんだから当たり前だ。


 さてと、あの後は一体どうなったんだろうな。闘孤はまだ村にいるだろうか。それともすでに去っていったかな? 彼女の動きはどうにも定かじゃない。だが、そもそも千霧屋闘孤について定かなことなど一つでもあっただろうか。と、我に帰る。


 そういえば、ぽっきりと折れた骨はどうなったんだ。大事な足だから、大事にはなってほしくない。後遺症とか無いといいな。


「……ふむ」


 足は両足とも包帯と木の板で固定され、折れた直接の箇所には、例の傷を癒すナイフが両足に一本刺さっていた。


 ……ナイフが一本増えてるぞ。まさか自己分裂したのか。もしそうだとしても、今更驚きはしないが。


「やっほ。シラオイくん。元気?」


 いきなり扉を開けて、慎重に入ってきたのは村長だった。包帯で全身を巻かれており、右手には血のシミが滲んでいる。


「見ての通り。息災だよ」


「それはよかった。丸一日寝込んでたんだよ」


 僕は村長から、僕が起きるまでのあらましを聞いた。


「一番最初に目覚めたのは私なんだけどさ、そのときダカラちゃんが介抱してくれてたの。すっごい一生懸命でね、私たち四人の面倒ずっとみててくれたんだから」


 ダカラちゃん……僕はあの子に助けてと懇願されたがゆえに、今回の無茶を働いたようなものだ。ダカラちゃんの涙がなければ、僕の重い腰は動かなかっただろう。


 いや……それは虚言か。そこまで冷淡なつもりはないが、しかしあんな蛮行が出来るほど愚かな判断回路では決してない。


 僕はやらなねばならないと決心したから行動したのだ。それは誰が泣いても、どいつが富んでも揺るぎはしない結果だ。


「そういえば闘孤……じゃなくて、鉄の馬に乗った背の高い女の人には会いませんでした? 何にも気にしなそうな、能天気な人なんですが」


「なかなか酷いことを言うねシラオイくん。その人が聞いたらマジギレだよ?」


 ふむ。想像に難くない。妄想すら危ぶまれる、R指定が必要になるシーン間違いなしだ。


「会ったわよ。すっごいかっこいい女の人だったわ。それで、その人から渡されてた物があるの。『反抗期真っ只中のお子さんが起きたら渡してくれや』って」


 伝えなくてもいい余計な一言と共に、僕は畳まれた一枚の紙と、仄かに光る手のひら大の結晶を受け取る。


「ありがとう。そういえばダカラちゃんは?」


「? ダカラ? あははっ、さぁ? どこいるのか私にもさっぱり。それじゃ、私あと二人の看病しなきゃだから」


「……そう。二人によろしく。さっきからずっと何笑ってんの?」


 足を引き摺りながら、その重篤さに似合わない笑顔を浮かべて村長は部屋を出ていった。まさか酒を飲んではいないだろうな。


もし飲んでるだとすれば、あいつが伏す病床は、外傷じゃなくて急性アルコール中毒になることだろう。


「さて、あの人からプレゼント? 柄になさすぎて気味悪いぞ」


 身構えながらも、僕は紙を開く。一体どんな内容が書かれているのだろう。脅迫文とか、果し状とかだったらどうしよう。一番困るのは請求書ってオチだな。今の僕たちには財産と呼べるものはこの身一つくらいだ。


 ロハで命四つ救ってもらったわけだから、いつかお礼をしたいとは思っているけれど、もう一度出会えるかどうか怪しいな。


 紙をめくろうとして間に指を滑り込ませた時、ふと村長の笑い顔が頭に浮かんできた。なんで笑ってたんだ? あいつ。


 …………もしや。


「あー、ダカラちゃんと結婚したいなー」


「ぶふっ」


「いたのかよ……」


「おはよう。お兄さん。元気そうで何より」


 ダカラちゃんは小さな椅子にちょこんと座り、相変わらずの大人しさで僕に接している。


「いろいろ心配かけてごめんな。一晩で何事もなく解決とはいかなかったけどごめんね? 僕ら大怪我負っちゃってさ。これからも色々苦労かけるけど――――ぐわっ」


 喋っているのに、口元を包帯で突然覆い隠された。らしくない悪戯である。


「……ふぁんだい、これ」


「お兄さん、少し喋りすぎ。言葉はいらないよ」


 すげえ。めっちゃかっこいいじゃん。


 それに比べて僕は、全く格好良くないな。


ダサいと言うより滑稽である。まるで悪事のツケを、新しい世界で無理やり取らされている気分だ。


「ダカラちゃん。僕、生きてていいのかな?」


「お兄さん。治る気がないと怪我っていうのは治らないんだよ。それに、そんなくだらないこと言わないで」


「くだらないこと? 僕の生涯にわたる苦悩がかい?」


「難しいことはよくわからないけど、生きるって、良い悪いで区別できる物じゃ、ないと思う。よ。私もヤツガイお兄ちゃんもシカシお姉さんも村長さんも、そしてお兄さんも、生きてるんだから。どんな悪い人でも、どんなに何もできない人でも、生きることについて評価を出せたりはしない。私はそう考えるかな」


 …………


 手が動いて、目が開く、りんごは地に落ち、空は曇る。それらと生きることは同質だといいたいのだろう。


 これらは権利でも義務でもない。ゆえに放棄はできないし、評価のつけようもない。だから、何もする必要はなく、良い人間でも悪い人間でも、生存に対してとやかく言う事はできないのだ。それは他人からはもちろん、自分自身も同様…………。


「……そうか。そうかもね。僕ってやつは、簡単なことをややこしくして考えすぎたのかもな」


「そう、それならよかった。じゃあ私、村長さんの家に行ってくるね」


「うん。ありがとう」


「お礼をいうのは、私のほう……かな。また後で」


 そう言って、ダカラちゃんは部屋を出ていった。


 僕はそれから考え込む――――のはいつものことだが、しかし今回の僕はそうしなかった。


 何も考えず、何も噛み締めず、何も振り返らない。


 およそ数年ぶりに、僕の頭は空っぽになった。


「…………あぁ、そういえば、紙があったんだった」


 休息も束の間、静かになった部屋で、僕はようやく紙を開く。


 たった一枚の紙。そこに重厚さも厳密さも何もないが、その内容は僕を異様に驚愕させるに十分すぎる物だった。


 「なんだこれは…………!」


 そこに書かれていたのは――――――

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転生した先で、村づくりを任された。けどさ、僕詐欺師だよ? 青ニシン @Nisin_very

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