第30話 訃報

 瞬時にショーティスの全身の血が沸騰する。

「よくも僕の閣下を!」

 優しくバルクトライを横たえると、床に手放していたサーベルを引っ掴んだ。

 タンと床を蹴ると低い姿勢のまま突っ込んでいく。


 その様子を見て暗殺者は舌打ちをした。

 そうでなくても本当は音の出ない剣で始末して密やかに裏から出ていくつもりがピストルを使ってしまっている。

「閣下! 今の音は?」

 礼拝堂の外ては扉をガチャガチャさせ兵士たちが叫び声を上げていた。

 コイツをすぐに倒して脱出するしかない。

 再装填する暇がないピストルを投げ捨てる。

 暗殺者は左手に持ち替えていた剣を右手に握り直した。


 ショーティスは低い姿勢のまま暗殺者の脛を払う。

 防御を一切無視した斬撃を素早く繰り出した。

 一昔前の騎士相手ならすね当てが攻撃を防いだだろうが、暗殺者は防具の類をつけていない。

 斬られた痛みに暗殺者の踏み込みが甘くなる。


「ちっ!」

 反撃の一閃は僅かにショーティスの頬を浅く傷つけただけだった。

 さっと血が彩った美しく整った顔を改めて見た暗殺者が驚きの声を上げる。

「その顔……皇子?」

 暗殺者はロミナスカヤの宮殿でショーティスを見かけたことを思い出していた。

 次の瞬間ショーティスが掬い上げたサーベルの切っ先が暗殺者の喉に届く。

 血潮をまき散らしながら暗殺者は執念で剣を振るい従卒の制服の左腕に斬りつける。

 しかし、そこまでが限界で、暗殺者はバタンと倒れた。


 礼拝堂の扉の一部が斧で壊され兵士がどっと入ってくる。

「閣下は?」

 荒い息を吐いていたショーティスはバルクトライの元へと駆け戻った。

 首筋に手を当てると僅かに脈を感じ、唇に顔を寄せると頬に吐息を感じる。

「生きてる! 閣下は撃たれたけど、まだ息があります。軍医を!」

 兵士たちが口々に叫び、礼拝堂の外から慌ただしく担架が運びこまれた。


 やむを得ない面もあったがバルクトライを気遣うあまりに兵士たちによってショーティスは押しのけられる。

 危急を救った割には扱いがぞんざいだった。

 出血が続いていた左腕がベンチの背もたれに強く押し付けられる。

 バルクトライにまだ息があることでほっとしたところに傷口を抉られるような痛みが加わり、顔面が蒼白になったショーティスは意識を失った。


 バルクトライはエディンシア要塞へと運ばれる馬車の中で早くも意識を取り戻す。

 処置をしていた軍医が声をかけた。

「具合はいかがですか?」

「何があった? ここは?」

「閣下はピストルで撃たれたんです。幸いなことに勲章のお陰で直撃は避けられました。あと少しずれていたら心臓に穴が空いていましたよ」


 弾が当たった衝撃の大部分は勲章が吸収していたが、その残余の運動エネルギーが胸を傷つけ一時的に心臓の鼓動を止めている。

 ショーティスが倒れるバルクトライを受け止めたときは仮死状態だった。

 そのため、勘違いをしたのは無理もない。

「それで、ショーティスは?」

「さあ、私は見ておりません」


 先日ショーティスの打撲を診察したのと別人の軍医はそっけなかった。

 この状況下では司令官の容態が最優先されるのは当然である。

 バルクトライは同乗している兵士たちに視線を向けた。

「私たちも途中から引き継いだので現場の状況は見ておりません」

 ショーティスのことが気になるが公人としての立場を思い出す。


「私は大丈夫だ。負傷者の救護に当たってくれ。次に犯人を確保するんだ。それから俺は面会謝絶にしてくれ。イシュタルだけは別な」

 途中から苦しげな声になり、最後は声が途切れ途切れになった。

 言い終えると目を閉じる。

 慌てて軍医が腕を取り眉間に皺を寄せた。


 ***


 その日の翌日、エディンシア要塞には半旗が掲げられる。

 アーケア帝国の国旗は項垂れるように力ない。

 まるで司令官の死を悼んでいるようだった。

 地元紙は号外を発行し、バルクトライの死はあっという間に広がる。

 暗殺者と第3皇子の間を取り持っていた連絡員は活発に動き始めた。

 バルクトライの暗殺に成功したことを皇子に報告するとともに、不安を煽る流言を飛ばす画策を始める。


 その頃、エディンシア要塞の奥にある貴人用の監獄としても使われる部屋で、1人の男が新聞を眺めて不満げな顔をしていた。

「なあ、この挿絵、少し俺にしちゃ軽薄な感じがしないか?」

「そうですか? まあ、そうかもしれませんね。実物はもうちょっと知的な感じです」

「だよなあ」

「でも、しばらくしたら訂正の記事が出るじゃないですか。そのときはもっと良く書いてもらいましょう」


 記事を書いた記者が会話をしている2人を見たら憮然とするだけではすまないかもしれない。

 部屋の中には新聞では死亡したことになっているバルクトライが椅子に座って新聞を広げている。

 すぐ近くのベッドの上には左腕に包帯を巻いたショーティスが枕を背中に当てて座りバルクトライを見つめていた。


「でも、嘘で死んだことにするなんて本当にいいのかなあ?」

「実行犯が全員死んじゃったから、背後関係を洗うには俺が死ぬのが1番だという話はしただろ? 暗殺に成功したら次のステップがあるわけで」

「そうなんですけどね」

「そんなことで、この後を乗り切れるのか?」

 ショーティスはもうすぐこの部屋を出て一般病室に移ることになっている。

 今まで意識を失っていて、そこでバルクトライの死を知る筋書きだった。


「大丈夫ですよ。閣下の仮病ほど上手くいくかは分かりませんが、それでも悲嘆にくれる従卒の役を見事に演じてみせます」

 椅子から立ちあがったバルクトライは新聞をサイドテーブルに放り出すとベッドに近づく。

 気づかわしげにショーティスを見つめた。


「なんか、俺はショーティスに怪我ばかりさせているな」

 屈み込むと頬に張りつけられた包帯をそっと撫でる。

「先生の話だと傷痕は残らないという話だったが……。俺はショーティスにとって疫病神なんじゃないかという気がしてくるよ」

 ショーティスはバルクトライをキラキラとした目で見上げた。

「もし傷が残っちゃったときは責任を取ってくださいね」


「ああ、まあ、命の恩人でもあるし、俺はそこまで恩知らずじゃないつもりだ」

 ショーティスはバルクトライの右手を怪我をしていない右手で掴むとグイと引き寄せる。

 ついと首を伸ばすとバルクトライと唇を重ねた。

 すぐに少しだけ顔を引く。

「今度は閣下からお願いします。大人の濃厚なののお手本をみせてくださいね」

 吐息がバルクトライの鼻をなでた。


 ショーティスの期待に満ちた瞳にバルクトライはふっと笑みを浮かべる。

 体を屈めると唇をを合わせ舌がぬるりと差し込まれた。

「ふうーん」

 ショーティスの口から熱く甘い声が漏れる。

「ここで終わり?」

 切なげに訴えればあまりの色香にバルクトライもどきりとした。

 無言を了承と受け取ったのか、ショーティスの右手がバルクトライのズボンに伸びる。

 しなやかな指が熱く固くなったものをそっとなでた。


 そこに無情にも扉の鍵をガチャガチャさせる音が響く。

 もう1カ所も解錠するとイシュタルが顔を覗かせた。

「ショーティス。病室の準備ができたぞ」

 予定よりもかなり早い。

「もうそんな時間か?」

 バルクトライは先ほどまでの雰囲気を微塵も感じさせない声を出した。


「はい。分かりました」

 素直にベッドから降りたショーティスがイシュタルに背を向ける。

 バルクトライの顔を見ると唇を尖らせ無音の投げキッスをした。

 ちぇ。

 いいところだったんだけどな。

 真面目な顔を作ると振り返る。


「それじゃ、行きましょう」

 声をかけるとイシュタルと一緒に部屋を出ていった。

 1人残されたバルクトライはベッドに座る。

 やれやれと首を振っていた。


 なんか情に流されてしまったな。

 不快ではないがなんとなくショーティスの手練手管に嵌められているような気もする。

 まあ、拾った命だし構わないか。

 バルクトライはショーティスが必死になって戦っていたときに聞こえてきた音をぼんやりと思い出している。

 何か場違いな単語を聞いた気がしたが、それが何かはまだこの時点では思い出せなかった。

 

 とりあえず、ショーティスとの関係は1歩進むことになる。

 混乱が続くアーケア帝国の将来のこと、想定される暗殺者の雇用者のことを考えるとバルクトライはため息しかでなかった。

 ショーティスが残していった枕を抱きしめる。

 熱心な崇拝者の顔を思い出すと一時憂さを忘れ笑みを浮かべるのだった。


 

 ***


 作者の新巻でございます。

 コンテストに応募する関係上、ここで完結とさせていただきます。

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ご落胤は怠惰なイケオジ将軍がお好き【中編】 新巻へもん @shakesama

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