証明

 あたしは今夜、セイレーンとなって、君を海の底へ沈めようとしている。


 君と暮らす部屋に、遺書を置いてきた。内容はいたってシンプル。音楽活動を休止したあたしに生きる価値はありません。そういった内容。これをフェイクにするかどうかは今後の展開次第で、まあ書いたことに偽りはないし、わりと腹は決まっている。


 重要なのは、君がいまいるあたしの場所を見つけるかどうかだ。付き合いたての頃に、君に言われて登録した位置情報アプリ。あのアカウントはまだ生きている。だからそいつを見れば、あたしの現在地を特定するのは容易い。


 海の底。そこが、あたしの現在地ということになっている。


 ということになっている、とは、実際には違くて、それは位置情報偽装アプリを用いて設定した偽の現在地。あたしがいまいる場所は、偽装した死に場所への通過点、いつか君と来た九十九里浜の海岸だった。


 けれど君が位置情報共有アプリを開けば、すでにあたしは海の底、遺書と照合すれば、あたしが入水自殺をしたとだろう。


 そうしたら君はどうする? どういう行動をとるだろう。


 夜は明け始めていた。目線を斜め下にやれば、波が寄せては引いていく。計画実行から五時間ほどが経つ。君が来るなら、そろそろだ。でも、まだ姿を見せないあたり、警察にでも通報したのかもしれない。それとも、もしかしてもう一方の────


 そんなことを考えていた矢先、背後で足音が鳴って、


「……ふざけんな」振り返ると、君が立っていた。「凪咲なぎさのバカ。メンヘラがすぎる」


 君は、昼間、バイトのために家を出たときと同じ服装をしていた。実家から持ってきたというヨレヨレのパーカーにスキニージーンズ、着替える余裕もないまま、あたしを追って家を飛び出してきたんだろう。


 君は口先では怒っている。だとしたら、今にも泣きそうなその顔はなんだ。安堵したのだろうか。あたしがまだ生きているって知って? ありがたいね。嬉しいよ、愛してる。


「君と出会えてよかった、って、心から思うよ。来てくれてありがとう」


 そう言ってあたしは、君に微笑みかけた。昇ったばかりの朝陽が眩しくて、あたしの人生が映画だとしたら、これ以上ないエンディングの景色だなって思った。


 こうして、あたしの証明は終了した。


 音楽しかしてこなかった自分に価値を求めるあたしの救済、という結果を残して。

 そしてもう一方の、巻き込んでしまった君に償いをしたいあたし、は否定されたわけだ。




 あたしの計画。それは、分裂した自我のどちらを取るべきか、その決断を世界に委ねるためのものだった。




 君が駆けつけてくれるか、否か。その二択を、あたしは世界に問うたのだ。


 もしもあたしに価値があるのならば、音楽を続けてきた意味があるならば、それを証明するのは君という存在なのだ。君はあたしのすべてを肯定してくれる。作る音楽も、バンドマンとしての葛藤も、デートの提案も、貧乏生活も、唇も、裸も、自分の人生さえかなぐり捨てて、あたしの生を肯定するために尽くしてくれる。ならば、死は? あたしが死を選択したら、それさえも君は受け入れてくれる?


 たとえばあたしが海に身を投げたら、君は海の底まで追いかけてきてくれる?

 あたしを本物のセイレーンにしてくれる?


 それほどまでの究極の問いを、君に投げかけたいほどに、あたしは壊れかけていたんだと思う。耐えられなかったんだと思う。


 心底、君を好きになってしまっていたんだと思う。


 だから、になりたかった。もしも君が駆けつけてくれたら、初心に戻ろうって思った。君に無理難題を強いることで愛の強度を確かめて、それをあたしの存在価値として、今後とも利用させてもらう。それが、一方の結末。


 もう一方は、元通りになるのがあたしじゃなくて君、という結末だ。


 未だに、あたしと出会わなかった世界線の君を想う。

 それは大学生活を送る君だ。正社員として働く君だ。男の子と恋をする君だ。結婚して子供を作って、家族に囲まれて幸せな日々を送る君だ。そして、水瀬日葵みなせひまりと親友であり続けた君だ。


 そのすべてを壊したのは、あたしだ。君の人生のレールを捻じ曲げて、一生を海底で送る生活に付き合わせた魔王があたし。そう、あたしは魔王みたいなもんだ。だったら、勇者の登場が待たれる。はて、そいつは誰だ。


 君の人生にとって、正義の主人公は。

 水瀬日葵。たぶん、その子が適任でしょう。


 そうして、あたしは世界にもう一つの選択肢を与えたんだ。水瀬日葵が、君を止めるという選択肢を。そのために、水瀬日葵の自宅にスマホを届けた。あたしの状況と思惑を、断片的に伝えた。位置情報偽装アプリの暗証番号は、動画の秒数で知らせた。


 君が信じた通り、水瀬日葵が運命共同体なのだとすれば、なんとかして君にコンタクトを取るだろうと思った。そしてスマホのこと、その中身、あたしの死が位置偽装アプリによって捏造されたものだと伝えてくれると思った。それを知ればさすがの君だって、我に返るはずだ。あたしがどれほど痛くて、最低最悪の魔王で、自分を不幸にする存在か、気づくはず。


 これが、あたしの計画の全貌で、


「君は、あたしを追いかけてきてくれた」その結果は、この通り。「海の底まで、駆けつけてくれた。……ははっ、なんでそうなるんだ。マジでさ……なんで、」


 君がここにいる、ということは、水瀬日葵の妨害はなかったということになる。


 なるほど。だったら、受け入れるしかないようだ。君の愚かさを。恋人の目的が君を泥濘の底に沈めることで、しかしそのことに一向に気づかない。利用されていることに無自覚な、バカで間抜けな人間であると認めざるを得ない。


「なんで……」


 あたしは、 


「なんで、ここにいるんだよ。……君には、あたししかいないのかよ」


 君を、


「なんだよそれッ……!」


 誰にも救ってもらえない、深く暗い海の底に沈めてしまったってことを、


「君にはあたししかいないってことになるじゃんっ……最悪だよ。なんで、どうして何もかも失ってんの。あたしなんかのためにどうして……愚かだよ、信じられないよ」


 認めるほか、なかった。


 千葉県は九十九里浜の海岸に、あたしたち二人の絶望が映える。






 けれどその絶望を搔き消すように──君が笑った。


 気味が悪いほど、眩しい笑顔だった。




「そうだよね。凪咲は止めて欲しかったんだよね」それから、君は、「水瀬に」


 スマホの画面を、あたしに見せつける。

 その瞬間、あたしの頭は真っ白になった。


「どういう……こと、」


 なぜ、その子の名が出てきたのか、理解できなかった。君はあたしを追いかけてきた。ということは、その子の妨害は無かったはずだ。そう結論付けてもいいはずだった。だから、君が発した言葉の意味が分からなかった。


 けれど、それ以上に分からなかったことは、


「わたしがここに向かう途中、気づいたの。高校生の時、突然消えたアカウントが、画面に表示されている。それどころか、わたしが目指している場所と同じ方角へ、彼女は進んでいる。こんなの偶然とは思えない。でも、心のどこかで必然かも、って思った。だってわたしは……ううん、」


 君が見せたスマホの画面に表示されている──


「わたしと水瀬は、運命共同体みたいなものだから」


 ──水瀬日葵の、アカウント。


 君が見せたのは、Share Routesのアプリ画面だった。世界地図の上に、君の現在地とあたしの現在地──そして、水瀬日葵の現在地が表示されている。


 水瀬日葵の位置を指し示すピンは、かなりの速さで移動していて、あたしたちの現在地に近づいてきていた。おかしな挙動だった。だって、そうでしょう。確かに、あたしの計画の断片を水瀬日葵に伝えた。でも、だとしても彼女が、自分の足でこの場所を目指すとは思えない。たかが友人のために、確証がないにも関わらず、ここまでの行動を起こすなんて、普通じゃ考えられない。


 第一、君と水瀬日葵は絶縁したんだろう。ならば、絶交した友人とShare Routesのアカウント共有なんてしているはずがない。だのに、君のアプリ画面に水瀬日葵が表示されているなんてどう考えてもおかしくて、もしかしてそれって、


「たぶん、凪咲でしょう? 凪咲が、あたしと水瀬を繋いでくれたんだ。水瀬とわたしの世界を、もう一度、つなげてくれた」


 そんなつもりはないのに、結果だけが君の言う通りで、


「卒業式で水瀬に言われたこと、あれが嘘だったって、凪咲が証明してくれたんだ」


 あたしの口は塞がらない。君の解釈は、間違っていた。そうじゃない。そんなことを証明したかったんじゃない。仮に君がそう思ったとして、だったらあたしの元へ来るなよ。失望して、見捨てて、水瀬日葵と生きろよ。元通りになれよ。どうして君は、あたしを誤解したままなんだ。


「違う……。あたしは確かめたくて、君たちを利用して……君を不幸にしているって、自覚したくて。そして君に、嫌われたかったんだ──」


 説明しなきゃ分かんない君に、いつまでたってもあたしを否定しない君のために、ぽろぽろと口から懺悔の言葉を零してみるも君は意に介さず、一歩ずつ、あたしに近寄って、それからあたしを強く抱きしめて、


「ねえ、凪咲。わたし、一緒に堕ちたつもりなんてないんだよ。凪咲は暗い海の底にいるつもりかもしれないけど、わたしはそう思っていないから。わたしのこと、変えられるって思いあがらないでよ。不幸にできるだなんて思わないでよね。わたしの人生はわたしのもので、わたしが棄てたものも手に入れたものも、ぜんぶ、わたしの成果なんだから」


 ああ、そう。やっぱり君は救いようがない。君は眩しい、眩しすぎるほどの光で、あたしをどうしたって肯定しようとする。ならばあたしはそこにつけ込むから。いつまでも、君を生きる理由にするから。いまさら後悔したって知らない。一生愛す。だなんてセリフが胸に浮かんで、一生だなんて簡単に約束しちゃいけないよ、と嘘つき野郎に腹を立てたいつかのあたしと矛盾してしまって、それもぜんぶ君が悪い。




   (了)

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きみがわるい、どこへでもいくな 永原はる @_u_lala_

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