告白3

 四月から君が東京でバイト生活をするっていうから、我が家を一部屋提供することにした。一人で生活するにはワンルームで充分なんだけど、窮屈なのが嫌で借りていた2DK。それがこうして役に立った。


 同棲生活は悪いもんじゃなかった。むしろ心の安寧をもたらしてくれた。朝起きると、髪の毛がくしゃくしゃの君がいる。辛いことがあった夜にはハグやキスをする相手がいるし、映画をよく観るようになったし、掃除の頻度が増えて部屋の綺麗な状態が保たれるようになった。


 一方で、曲が作れなくなった。


 これは君との共同生活が原因ってわけでもない。これまでもスランプってそれなりに経験してきたし、たまたま時期が重なっただけだ。そう、たまたまだ。


 ただ、あたしはこの頃、妙なことを考えるようになっていて、それがスランプの原因と呼べなくもなかった。


 バイトから帰宅した君はいつも疲れ切っている。なのに強がって、「生きていくって大変だねえ」と笑う。あたしが両手を伸ばすと胸に飛び込んできて「あ~、回復するぅ」と気の抜けた声を出す。週に五日、それを繰り返して、あたしもバンドだけじゃ食べていけないからそこそこバイトはしているけど、君の消耗は比較にならないくらい激しくて、見ているのが結構辛かったりした。


 そうして、君に楽させてあげたいな、とか考えるようになる。


「ねぇ」


 いつか、あたしの胸に顔をうずめる君に、訊いたことがある。


「なぁに、凪咲なぎさ

「売れる曲って、どうしたら作れるかな」


 すると君はくすくすと笑いだして、


「売れる曲って、曖昧すぎだよ。知らないけど、凪咲の曲はいつ売れてもおかしくないからなあ。そのままでいいんじゃない」

「キッカケがあれば売れる?」

「そうそう。そういうこと」

「じゃあさ、永遠にキッカケがなかったら?」


 しばらく沈黙が続いた。かと思うと、君は目線をくれて、言った。


「今の生活、わたし好きだよ」今思えば、君は見透かしていたのだろう。「これだけあれば他にはいらない、ってくらい好き」

「…………」

「でもね、そういう話じゃないんだとしたら。凪咲が、自分のために売れたい、って言うんなら挑戦したらいい。わたし、応援するよ」

 

 あたしは、あたしの価値証明がしたいだけ。そのはずだった。


 鳴かず飛ばずの日々が続いて、あたしの音楽には何の価値もないってことだけが徐々に浮き彫りになっていく現実を否定したかっただけ。君という都合のいい存在を見つけたから利用したかっただけ。ほら、あたしの音楽に惹かれて、ついにはあたしと同じ位置まで堕ちてくれた! これってあたしにはそれだけの価値があるってこと! そうでしょう! って自己肯定したかっただけ。


 だのに、あたしはいつのまにか、君が苦しむ姿を見たくなくなっている。


 自覚したのは君がフリーターになってから。

 だけど、その発端は、たぶん君の卒業式の日にあった。


 水瀬日葵みなせひまり。知らない名前の、君の親友。彼女と絶縁することになって、泣きじゃくる君を見たあの瞬間から、あたしは目的を見失い始めたのだ。


 水瀬日葵ってどんな子だったの? 君と同棲を始めて五か月ほど経った、ある夜。眠りに落ちそうな隙を突いて、君に尋ねた。すると君は瞼を閉じたまま笑って、いまから恥ずかしいこと言うね、と前置きしてから話し始めた。わたし、水瀬とは運命共同体みたいなもんだと思ってたんだ。なんていうか、わたしと水瀬だけの世界があって、住民は二人きりで、そこで一生暮らしていくみたいな感じ? 凪咲との関係ともまた少し違う、なんていうかな、恋人になるみたいな契約関係がなくたって成立しちゃうような、そういう絶対的で不可侵で、とにかく揺るぎない友情、みたいなのを感じていた。わたしの直感ではね、たぶん大学も同じとこいってさ、サークルは別なのに休日は遊んで、なんだかんだ社会人になっても月一くらいで会って、結婚式にも当然呼ばれてさ。そういう、わたしの人生が映画だったら、きっとダブル主人公の片割れが水瀬なんだろうな、って思っていたんだ。でも違うって言われちゃった。わたしのこと、なにひとつ理解できなかったって。本当にそうだったのかなあ、って今も疑ってんだよね。水瀬、わたしのこと、ちゃんと分かろうとしてくれなかっただけで、会話が足りなかっただけで、根っこでは繋がっていた気がするんだ。もう会えないけど、次に会えたら確かめたいなあ。諦めきれないんだよね。


 そのすぐ後で君は眠ってしまって、あたしはいつまでも眠れなくて、なんか分かんないけど涙が溢れてきて、あたしの心は真っ二つに分裂した。


 音楽しかしてこなかった自分に、価値を求めるあたし。

 巻き込んでしまった君に、償いをしたいあたし。


 そのどちらも真実のあたしで、矛盾しながら同居していて、それがぎこちなくて気持ち悪くてたまらなくて、相反する二つの心にケリをつけたくて、それから数週間、悩み続けた先で──ひとつの計画を思いつく。

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