告白2

 そのライブの夜、あたしたちは長野駅前のホテルに泊まった。誘ったのはあたしだ。


 会話をすればするほど、君のクイールへの愛情は、もっといえば磯千鳥凪咲いそちどりなぎさというバンドマンへの愛情は、ただならないものだと知る。まるであたしの存在証明を肩代わりしてくれるみたいに、君はあたしを愛してくれていた。肯定してくれた。


 だからあたしは、君という盲目的な信者を利用したくなった。


 そしてすぐさま、次に会う約束を取り付けた。そこからのあたしたちは、かなり順調だった。


 無理難題を提案して、君は二つ返事でイエスをくれる。自分の人生を蔑ろにしてまで、あたしと過ごすために時間を費やしてくれた。その度に、あたしは救われていく。そしてもっと君からの肯定が欲しくなって、大晦日の夜、強引に唇を奪った挙句に、恋人にならないか、と問うた。実を言えば、あたしの恋愛対象は男で、女と付き合ったことはない。セックスやキスに抵抗さえあった。でもなんでだろうね、欲しくなったんだろう君が。あたしの手元に置いておくにはそれが一番合理的かな、って思ったんだ。これにも、君は即座に肯いてくれた。


 そしてあたしは、君を全国各地に連れまわすことに躍起になる。君が受験生であるということを知っていて、いいや、知っていたからこそ。あたしは、君の人生を狂わせたかったのだ。


 九十九里浜の澄み切った水面、宮島へと渡る連絡船の走行音、ひたち海浜公園に咲くネモフィラの青絨毯、大晦日の善行寺の熱狂。君と見た景色のひとつひとつを鮮明に覚えている。


「わたしね。地球に落下する隕石は、何故かたまたまわたしの頭上めがけて落下してきて、そうして人生はあっけなく終わる、みたいな予感を抱えて生きてきた。けど、凪咲と一緒なら、そうならない気がするよ」


 ひたち海浜公園を訪れた日。みはらしの丘の頂上で君が発したのは、あまりにも脈絡のない言葉だった。でも、愛の告白には違いないから、またしてもあたしは自分の価値をそこに見出す。


「海は生命の源って言うけどさ、こうやって打ち上げられた貝殻とか干上がった海草を見ていると逆に、生命の果て、って感じがするんだよね」


 九十九里浜の海岸で君が発した言葉には、心の内を見透かされたような気分になった。君にとっては何気ないユーモアのひとつで、


「それ、陸上生物の角度すぎるし、順路の問題でしょ」


 しかし、あたしの現実を映し出す鏡だった。君には、海が生命の果てに見えるだろう。そうだね、陸へ這い上がることのできないあたしにとっては、いずれ果てる命を浪費するまでの終の棲家だ。けれど、君がいるから絶望はないよ。


 光が差し込まない海の底に、あたし以外の住人がやっと増えた。それがどれほど嬉しかったか。なによりも、君はあたしの音楽が好きだったわけで、だからあたしを好きになって、望んで海の底まで潜ってきてくれたわけで、まるであたし、セイレーン。君にとってのセイレーンじゃないか、って思った。


 その日、九十九里浜の近くのホテルに宿泊したあたしたちは、ベッドの上で散々に果てた。なんだか君が出す甘い声がいつもより色っぽくて、普段通りならあたしが頑張る方なのに、やけにあたしの上に覆いかぶさりたがって、仕方なく受けた。どこで覚えたんだか、いいやあたしのことを分かるようになってきたのか、ちゃんと上手で驚いた。大袈裟な声とか本当は出したくないのに漏れ出ちゃってさ、その時の君のしたり顔ったら、艶やかでたまらなかった。


「わたし、やっぱり凪咲の音楽は世界一だと思うよ」


 あたしの二度目の果てのあとで、君が言った。


「最初にクイールに出会ったのはさ、傷心を癒やすために音楽に頼ろうとしていた時だった。実はね、別にわたしそこまで音楽が好きってわけじゃなかったんだ。なんていうかイメージ? ってかさ。ぽっかり空いた心の穴を埋めるには音楽しかないっしょ、特効薬っしょ、みたいな固定観念で聴き始めたの。でもさ、実際に聴いてみると分かるもんだね、そういんじゃないって」

「そういんじゃない、って?」

「わたし、音楽のこと勘違いしていたんだよ。クイールの曲を聴いたらね、不思議とね、思ったんだ。これはわたしのための音楽でもあるけど、同時に、わたし以外の人のためのものでもあるって」


 そして、君は言う。


「音楽はね、一つの場所に留まりたがっていないんだよ。治療薬ってより、どっちかっていうとウイルスだ。気を悪くしたらごめんね、でもホントにそう思ったの。人と人の間を伝染したがっている。だからわたしは、凪咲の音楽をわたしだけのものにしておきたくない。凪咲からわたしに伝染したように、わたしから誰かにも伝染していってほしい。そう思わせる強い力が、凪咲の音楽にはある、世界一ある」

「…………」


「だからね、凪咲。わたしに独り占めさせないでね」


   ◇


 あの日の君の言葉が、あたしを変えた──なんてことは無い。


 相変わらずあたしは君を全国に連れまわしたし、あたしの価値証明のために君を利用した。セイレーンでい続けられるように、深海の景色を君に見せ続けた。大学受験を放棄する、と告げられたとき、じゃあ一生一緒にいようね、ってあたし君に言った気がする。そしたらなんて言われたっけ。覚えてないけど、キスぐらいしたっけ。


 記憶の中の君は、笑顔の割合が高い。あたしとの出会いを、過ごした日々を、不幸だなんて絶対思っていない表情を浮かべて、いつだって隣にいてくれた。だから変わらなかったんだよ、あたし。変わろうとしなかったんだ。間違っていないって信じさせてくれるから。


 けれど逆に言えば、君から笑顔が消えたあの時ばかりは、

 あたし、何もわからなくなっちゃったな。


 その日は、君の高校の卒業式があった。


 ハレの日にふさわしい快晴の空の下、君は高校を卒業した。せっかくだし、あたしは新幹線に乗って、君を祝福しに行った。東京と比べて長野は冬が抜けきっていない気候で肌寒く、ホームに降りた瞬間は軽く拷問かと思った。


 上田駅の改札を抜けると、制服姿の君を見つけた。そこであたしは目撃したわけだ。


「凪咲……ッ。……わたし、水瀬に嫌われちゃった」


 君の泣き顔を。

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