磯千鳥凪咲

告白1

 夢を追う、ってドラマ映えする題材だけれど、現実では泥濘の底だ。ぜんぜん良いものじゃないよ。むしろ最低最悪に類する趣味活動だと思う。全員辞めちまえ、そしたらほんの一歩先に幸福を見つけられる、んじゃないかな。


 けれどあたしの場合、音楽に浸かる生活以外をしたことがないから諦めるに諦められなくて、まるで陸に上がる術を知らない海洋生物みたいに、光が差し込まない深海に生息するしかなかった。


 だから、こうなったらいいなあ、って願いもあって、それはあたしが大好きな人をみんな、この泥濘の底に引きずり込んで、共に快適ハッピー海底ライフができたら素敵じゃない、って話。


 そうしていつしか、あたしは這い上がることよりも、周囲の人たちを海の底に沈めてやることばかり考えるようになっていく。


   ◇


 セイレーンって知ってる? 


 ギリシャ神話に出てくる、海の怪物。上半身は人間で、下半身は魚、あるいは鳥でさ。歌声で人をおびき寄せて、海に沈めるっていう設定だよ。たしか神話の中にもセイレーンが棲む海域を船で渡るってエピソードがあったっけか。それのこと。


 あたし、セイレーンって憧れるな。だって、理想じゃない? 聴く人みな、自我を失って海に飛び込むんだってさ。そんな魅力的な歌声なら、そりゃあ欲しいってもんでさ。どれだけ心を込めて歌っても、体内の水分がゼロになるまで汗を流して叫んでも、ライブに来てくれるお客さんがぜんぜん増えないあたしと違って、たった一発。たった一曲披露すれば、全員を魅了できるって凄すぎる。


 もちろん現実と虚構の区別ぐらいついているし、あくまで喩えの領域だけど、あたしはセイレーンになりたい気持ちは本当だから困って、そんな陳腐な葛藤の日々の中で出会ったのが、なんと君だったりする。


 芸能っぽいことをやっていると、嘘つき野郎って滅茶苦茶出会う。それは業界人に限った話じゃなくて、同志とかファンとかにもまぎれているから厄介。一番多いのはアレ、「一生推します」とか「お前は絶対売れる」とか、そういうあたしが心底嬉しい言葉を吐く連中。その辺が、実はかなりペテン。あのね、そんな簡単に一生を約束しちゃいけないよ。そのさ、絶対って言うけど根拠はなんだい。そりゃあ、バンド組み立ての頃はその一つ一つに高揚感を覚えたものだけど、長いことやっているとさすがに気づくわけよ。一応、「嬉しい。ありがとね」は言う。でも、ありがとうとか思ったことない。言ったな? って感じ。なら推せよ、絶対推し続けろ。地上まで推し上げる覚悟あんだろうな? って感じ。


 君にだって、最初は同じことを思った。


 二年前、長野のライブハウス。君は、あたしたちの演奏に間に合わなかった。それですぐ帰ろうとしたところを、あたしが捕まえたんだ。


「君さ、来たばっかでしょ。なのに、もう帰んの?」


 どうしてだろう。この日のあたしは、やけに大胆だったような。演奏を終えて気持ちが大きくなっていたのはあるが、こんな一般人に説教みたいなことする柄じゃない。


 とはいえちょっとムカついていたってのはある。


 だいたい、あたしの活動拠点は東京だ。なのにさ、レーベルの奴らに上手いこと丸め込まれて「全国ツアーやりましょうよ」とか言われて、まあたしかに勝負の時期ではあったし博打も悪くないかあ、とも思ってしぶしぶ承諾したわけで。なのに、実際ツアーやってみると、フロアに観客が一桁しかいないなんてザラで、え待ってよ、こんなに地方勢に人気無いのあたしたち? その現実を見せるためにツアーさせられたってこと? とか、思っちゃっても仕方ない。


 で、挙句の果てに、来て早々踵を返そうとしている君を目撃しちゃったもんだから、八つ当たりしたくなるってもんだ。


「最悪だよ、最悪。あたしたちがどういう気持ちで音楽やってると思って。逃がさないよ。せっかく来たなら、最後までいてよ。今演奏しているのはあたしのバンドじゃないけど、同志なんだよ。頼むから聴いてって。そしてあわよくば、刺され。もしかしたら、君を狂わす音楽、かもしれないよ」


 本音を言えば、ちょっと楽しんでいたのもある。知らない女から唐突にダル絡みされて、この子はどんな反応するかな、ってワクワクした。できれば暴言とかで返されたい。決してマゾヒズムじゃなくて、性悪なことしているって自覚はあったし、適切な熱量でやり返されたら、あたしだって次のパンチを打ちやすくなるっていう。八つ当たりってそういうもんでしょ。だから、待った。君の攻撃的な反応を心待ちにした。


 なのに、


磯千鳥いそちどり……凪咲なぎさ、さん」君はあたしの名を呼んだ。「うそ……、あっ、あの」


 そして君は、有象無象のペテン師同様、あたしを一番悦ばせる言葉を、


「推し……ですっ!」しかし奴らと違って、無垢な瞳を輝かせて、「推しなんです。心の支えです。大好きです。わたし、あなたがいなかったら……わたし、今日まで生きてなかった。あなたの音楽が好きです。歌声が好きです。全部が好きです。だから……出番に間に合わなくて、わたっ、わたし……わたし悲しくて、最悪で……」


 目にいっぱいの涙を浮かべて、そうして不覚にも、あたしの心は撃ち抜かれる。


 ああ、いいね。素直にそう思った。

 君だ、君しかいない。直感に違いなかったけど、たしかにそう思った。




 君みたいな奴なら、泥濘の底に引きずり込んでやれるかもしれない。

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