現在3


「………………」


 上体を起こす。それから磯千鳥凪咲のスマホを手に取り、画面を見る。映像は止まっていて、右下に再生時間が表示されている。二分十七秒。


 いやまさかな、と苦笑して、ホーム画面に戻る。


 改めてフォトアプリを立ち上げた。


 磯千鳥凪咲いそちどりなぎさとあなたの旅行記が並んでいる。九十九里浜、宮島、みはらしの丘の麓、みはらしの丘の頂上、善行寺……それらの再生時間は、すべて二分十七秒で統一されていた。そして最後の喫茶店の映像まで、二分十七秒。


 完全に尺が一致している。意図を感じずにはいられない。


 ○、二、一、七。それは特別な数字ではない。たとえば、あなたの誕生日が二月十七日であるとかでもなく、とにかくあなたとその数字に接点はない。だからこそ解除できなかったロックが存在していて……そうして私は、ほんの思いつきで、そのアプリを起動し、四桁の数字をタップした。


 磯千鳥凪咲のスマホにインストールされていた見知らぬアプリ。オレンジの背景に飛行機のアイコンが描かれた謎のアプリ──そいつのロックは、こうして解除された。


「…………ははっ、なんだそれ」


 さっきまでは冗談のつもりだったのに、こうなるとマジで脱出ゲームみたいだ、と思った。数少ないヒントから謎を解け、そう言っているつもりか。知恵比べのつもり? いったい何のために? 


 アプリ画面に表示されたのは、日本地図だった。ある地点にピンが立っている。その地点は、海の上。


 謎解きはまだ続く、というのか? いい加減にしてくれ、と溜息をつく。ピンの立っている地点、この場所がなんだというのだ。という疑問が湧くと同時に、既視感を覚えた。どこか懐かしい画面だ。かつて私たちが使っていたあのアプリ、Share Routesシェアルーツの画面によく似ている。まるでShare Routesをモデルに作られたみたいなデザインだ。まさか、磯千鳥凪咲の現在地を表示しているんじゃなかろうか。


 いや、そんなはずはない。だとすれば、磯千鳥凪咲は海の底ということになるし、このスマホは遺書代わりとか? ははっ。だったら渡す相手が違う。情報を伝える相手が違うだろう。面識のない私ではなく、恋人であるあなたに知らせるべき。そうじゃないか?


「……え。まさか」とそこで、「そう……いうこと、なのか」


 心の中に不安が渦巻いた。


 アプリの正体を暴くべく、私は検索エンジンを立ち上げる。


 その時、脳内でフラッシュバックしたのは、どうでもいいはずだ、と丸めてゴミ箱に棄てたハズの過去だった。自分でも意外だった。中学一年生で出会い、六年もの間、友人だったあなたのこと。かつては同じ世界に生息していたが、いつしか大陸移動が起こり、卒業式の日に絶縁したあなたのことだ。


 どうしてそうなってしまったんだろう。元を辿れば、あなたが磯千鳥凪咲と交際を始めたからだ。受験生のくせに十歳も上の女性と付き合い始め、恋と恋に青春を捧げるなんて馬鹿げた選択をしたからだ。


 未だに考える。あの頃のあなたの選択って、間違っていないかもしれなくても、正解だったのだろうか。あなたたちの関係って、真実だったのだろうか。実を言えば、私にはとうてい思えないのだ。あなたたちが恋人だなんて、思えないのだ。だって、そうでしょう? いつも一緒にいたのは、私じゃん。なのにぽっと出の磯千鳥凪咲と付き合いだすのって、普通じゃなくない? 普通じゃないよ。


 だからさ、私は信じたんだ。Share Routesのバグとか、そっちの方を信じた。バグじゃないなら、の可能性もちゃんと探った。その可能性とやらは、結局は見当違いだったわけだけど、再び私の目に、その文字列が飛び込んできたのは、はてさて、いったいなんの因果だろうか。


 位置情報偽装アプリ。


 それが、オレンジの背景に飛行機が描かれたアプリの正体だった。


 深呼吸ひとつ。情報を整理。あなたと磯千鳥凪咲は、恋人同士である。二年前と変わらず交際を続けているはずだ。そして、位置情報を共有しあっているのも、相変わらずだろうか。未だ、Share Routesを使っているのだろうか。アカウント共有は解除されていないだろうか。


 だとすれば、この位置情報はあなたに届いているのだろうか。

 磯千鳥凪咲の偽の位置情報を、あなたは掴んでいるのだろうか。


「……わっかんない。マジで、磯千鳥凪咲は、なにを考えて…………」


 最後の動画。喫茶店で、磯千鳥凪咲は何を言っていたっけ。思い出す。映像が途切れる直前、彼女が言ったセリフ。あたしの価値を証明してやろうかなって。証明、ってなにを、どうやって。それも全然分かんなくて、ついでに言えば、もしもこの位置情報をあなたが認識していたとして、あなたはこれをどう捉えて、どう行動するだろう。それも分からない。なにも分かんない。考えることすら億劫になるほど、底の見えない思惑が手のひらの中にある。


 一方で確かなこともあって、それは、いてもたってもいられなくなっている私自身の動揺。おそらく妙なことに巻き込まれているあなたを見過ごせないという使命感。


 そうして私は自分のスマホを手に取り、二年前に分断された大陸にもういちど上陸するため──アプリストアを立ち上げる。


 

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