リンネ、リンネ

外清内ダク

リンネ、リンネ



『夜はただの暗闇じゃない。街が寝静まり、生ぬるい夜風が肌に絡み始めるそのとき、私たちは隔絶されて誰もが独り独りになる。昼の世界――ヒトと関わり、あるいはもつれ、否応なく意思を戦わせ続けなければいけない修羅のちまたが、夜気という間仕切りでばっさり切り分けられてしまうんだ』

 そんなことを言ってたな、と暑苦しい夜に思い出し、窓を開けてバルコニーに出る。青い街灯。雨上がりのアスファルト。隣のマンションの階段で、ダメになった蛍光灯が絶え絶えに明滅を繰り返してる。私は胸を手すりにもたれかからせ、細く息を吸い、吐いた。

 眠れないよ、リンネ、リンネ。

 君と別れてもう何年になるだろう。はっきり言うよ。君は異常だ。君の家も異常だ。

『何が正常で何が異常か、それを決める権利は貴女にしかないけど、決められた正しさに他人が従う義務もない』

 冗談じゃないよ。誰もそんな話はしていない。君はどう思うんだってことを訊いたんだ。『ウチは古い家系だから』? 『室町御所の直臣で』? だからなんだよ、知ったこっちゃない。それが君の人生になんの関わりがあるってえの。そんなことが、高校出た途端に10も年上のおっさんと結婚しなきゃいけない理由になるとでも? 許嫁いいなずけ。血統。家柄。馬鹿じゃないのか。サラブレッドでも繁殖させてるつもりか。世界を壊す力なんかない貧弱な高校生だったのは私も同じだ。でも違うだろ。大事なのは君の意志だろ……

『意志は所詮しょせん、一時的な脳神経のまたたき。私たちは皆、この世のシステムの中に組み込まれた小さな歯車さ。誰もがそうして生きていくしかない』

 それこそ勝手に決めるな! そんなふうに諦めて、18歳の若い肉体を誰かへの捧げ物とする、それがいいと本気で決心したんなら私だって何も言わない。でもね、リンネ、リンネ、リンネ、だったらなんで泣いてんの。どうして私にお別れなんか言いにきたの。ボロボロ泣きながら理屈ばっかりまくしたてて、それが歪んだ自己防衛だって分からないとでも思ってる? 高1の春、なんで私が君にキスしたと思う? あの台風の日、なんでセックスを試みたと思う? 忘れもしない夕暮れの教室で、なんで君をあんなに強烈に抱きしめたと思うの? 私はなあ、くだらん御託を聞きたかったわけじゃない。あんたが自分を慰めるために発明した理論の武装なんかに興味はないんだ。私を恋人と認めてくれるなら、私を愛しているのなら、ほんとの気持ちを聞かせて欲しかっただけなんだ!

『ダメだよ』

 君は涙を拭いた。悔しいくらいに晴れやかな顔で。

『あなたのその言葉だけで、たぶん私は生きていけてしまう』

 勝手なやつ。最後まで、勝手な……

 私をおいてけぼりにして、君は誰かの妻になった。あれから10年。いや15年か。今ごろ子供の2人や3人、生まれているのだろうか。君は幸せ? あるいは、それとも――

 涙は枯れて、もう無いけれど。

 眠れないよ、リンネ、リンネ。



THE END.

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リンネ、リンネ 外清内ダク @darkcrowshin

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