魔女と聖女

音音

「魔女と聖女」

___現在からはるか昔に存在したとされる魔女。かつては村を天災から守る人柱、はたまた厄除けの巫女として崇め、そして畏怖の念を送られていた。のちに現在の魔女狩りへと繋がっていく___

___とある地方では天候に干渉できる、触れるだけで生命を奪う、夜は魔力が増大するなど多くの証言が上がっているがどれも見解が食い違っている。ただ唯一、魔法の発動後サルビアの花のような甘い香りが発生するという話がいくつも___


 宿舎の施錠が開く、彼女が帰ってきた。

 ページを折り、急いで本をベッドの下に滑り込ませる。


 ただいまと綺麗な笑顔を私に向け、玄関近くにコートを置いた。薄黒い手袋はつけたまま。


「おかえりなさい」


 先月、私が十の歳になった時の話だ。

 孤児院で幼少期を過ごした私は彼女に拾われた。自分に親がいないこともわからない様な歳から育ててくれた彼女はまさに親同然だった。親同然だったのだ。

 

 しかし、夕食のとき私は目にしてしまった。台所で食事を用意する彼女、いつも手伝いを断られるので今回はこっそりと台所を覗き、皿の準備をしようとする。


 味付け中の鍋に瓶詰めの何かを入れる。彼女がスープに入れていたのは得体のしれない薬品だった。


 不信感。


 なぜいつも手袋をしているのだろう、なぜ住む場所を毎回変えているのだろう、なぜ…私にあれほど優しいのだろうか、やっぱり…。


 その日のスープはいつもの味だった、いつもの通り、私は深い眠りについた。


 今日も朝早くに宿舎を出発し、北の都市へと向かう。約七年間、宿と宿を転々とする旅をしている。その都度、行先を訊ねても返ってくる言葉は遠くへという言葉だった。


 目的地に到着し、宿に荷物を置いて街へ出かける。思い出は多い方がいいと行く先々で土産を買ってくれた。手を繋ぎ、いつも通り出店を見回る。急に広場の方が騒がしくなった。出店越しに覗いてみると人混みの真ん中に大きな十字架が立っていた。端の方には自警団が数人集まっている。


 自警団の合図で炎が舞い怒号が鳴る、じわじわと十字架に燃え広がっていった。


 あれは…ふと彼女の方を見てみると怒っているようなそれでいて憐れんでいるような、そんな顔をしていた。危ないから向こうに行こうと私を引っ張って広場とは逆の方へ進む。


 歩いている途中、腐った豚肉を焼いたかのような悪臭が鼻を刺した。


 花の髪飾りを買ってもらい街から離れる。宿につくとすぐに別のところに泊まろうと彼女は言い出した。言われるがまま、置いていた荷物をそのまま担ぎ宿を後にする。


 人が通れるか怪しいほどの森の道から都市を出た。足早に先に進む彼女、もう疲れてしまった。前を歩く彼女を見つめ、足を止める。


「ねぇ」


 声は彼女には届いていない。


「ねぇ!」


 ハッと、後ろを振り向き、ごめんごめんと黒い手袋に包まれた手を私に向けた。


「さわらないで!」


  触れられたら…。一瞬、彼女の表情が暗くなる。が、すぐに笑顔に戻る。ごめんねと何度も呟き、私の横に並んだ。もう少ししたら人のいない空き家があるからと私の手を引く。頷くこともせず、私はまた歩き始めた。


 空き家はとても薄汚れていて、普通ならこんなところで寝泊まりはしたくなかっただろう。しかし、かなり歩いたこともあり背負っていた荷物の中から毛布と取り出し、体に巻き付けるだけで眠りに落ちた。


 翌朝、奥の床で彼女はまだ寝ている。音をたてないように体から毛布を剥がし、着替えもせず玄関まで早歩きし扉をゆっくりと開けた。外に出ると大急ぎで街へと降りる。


 彼女が何を考えているのか、私にはまったくわからない。あの優しさがわからなくなっていた。見知らぬ恐怖が私を覆っていく。


 街につく。商店街のお店はまだ開いていない。お願いだからあそこだけは開いていて……。街の中心を急ぎ足で見回る。しばらくすると外装が他とは違う、やや豪華な建物に行き着いた。


「あった…」


 建物に飛び込む。中には一人の若い兵がいる。私を見てすこし驚いた後、すぐニコリと笑顔を向けた。


「どうかしたのかな?」


 この言葉を言ってしまえば、もうこれまでの生活はなかったことになるのだろうか。これがいいことなのか私には判断できなかった。ただ…今まで言えなかった、詰まる言葉を吐き出す。


「魔女がいます」


 自警団の男に場所と特徴を聞かれ、ほかの兵を数人集めて駐屯地から飛び出していった。その後のことはよく覚えていない。なにも考えられず、ただ時間が経つ。

 数時間後、おもむろに立ち上がった。兵はまだ帰ってきていない。


 どうなったのだろうか。


 外へ出るべきではないのはわかっていた。が、私は駐屯地を離れた。その足で空き家に戻る。


 中は物静かで、私の足音だけがミシミシと響く。彼女はもういなかった。捕まったのか、それとも。もしこのまま一緒に過ごしていたら、私は一体どうなっていたのだろうか、いや…。答えのない問いに頭が重くなる。なぜか涙を流してしまった。毛布に包まりただ時間が過ぎる。


 目をあけると部屋の中は薄暗くなっていた。手探りで暖炉に辿り着き、マッチで火をつける。徐々に火が広がっていく焚火を見つめ、昨日の広場の光景を思い出した。

 吐き気、ぐっと堪え、ランプの方にも明かりを灯した。


 その瞬間、扉が開く音がした。ギョッとし、後ろを振り返る。


 後ろには、彼女がいた。

 どうして、状況を理解できずにいるとさらに後ろには先ほどの自警団の男がいる。


「ここにいたのかお嬢ちゃん、ほんと勘弁してくれ」


 あきれた顔の男は続ける。


「魔女じゃなかった、彼女は」


 体が凍り付く。違う? 魔女じゃ? 本当に?


「今後こういうことは絶対にしないように、今回は厳重注意だけにとどめるが、次はない」


 私を睨み、すぐに部屋から出て行った。その場には私と彼女だけが残る。


 目を合わせることができない。体全身から汗がにじみ出てくる。

 ミシミシと彼女が歩いてくる音だけが聞こえる。あぁ、とんでもないことをしてしまった。


「ごめんなさ…」

 

 ずっとわからなかった、彼女のやさしさが。

 彼女は深く私を抱きしめた。予想外の行動に私は固まる。


「ごめんね」


 彼女はぼろぼろと泣きながら続ける、服は薄汚れ、赤いシミが付いていた。


「ごめんね、不安にさせちゃって…そうだよね、こんな生活していたら疑ってしまうもの。もう不安なんかにさせない、だから許してほしい…」


 私の顔を撫でる、手にはもう手袋をしていない。


 自然と涙がこぼれる、ごめんなさい、ごめんなさいと私は言い続けた。その場で崩れ落ち、ただただ涙を流しあった。


 その日の夜は同じ毛布に包まりながらともに寝床に入った。体を寄せ、手を握る。眠りにつく直前に彼女は何かをささやいた。ただ、何かはわからないまま瞼が閉じていく。


 翌朝、目を覚ますと私は彼女の手を握り続けていた。彼女のやさしさは本物だった。疑ってしまったことに改めて深い罪悪感を覚える。まさに彼女の様な人のことを聖女と呼ぶのだろう。


「起きて…」


 体を揺すりながら呟く。まだ眠りが深いのか、息もせず眠っている。

 部屋の中は、サルビアの花の香りが充満していた。

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